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コラム

澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所

コミュ障だった少年がラジオの帝王に、「スレスレのところを来ただけ」(ゲスト:吉田照美)【中編】

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好きなラジオの声を真似することから始めた

吉田:そうやっているうちに、話が上手な人とか面白い話ができる人って、どういう話し方をして、どういう内容を喋っているのかを、注意して聞くようになりましたね。

その頃からラジオを聞くのが面白くて、『パックインミュージック』で、局アナの小島一慶さんが喋っている日の放送にすごくハマってね。

最初は落語家の方が喋っているみたいで、とても局アナだとは思えなくて。1週間にあった面白かったこと、頭にきたこと、笑ったことをすべて提供してくれて、なんかすごくグッとくるわけですね。あるとき、ラジオのヘビーリスナーで不治の病で亡くなっちゃった女の子の日記をただただ朗読するという日があって、小島さんは読みながら号泣しているわけですよ。「へえ、こんなことラジオでやるんだ」ってこと自体が驚きで、すっかり小島一慶さんのファンになりました。

僕は元々、ぼそぼそと暗い喋り方だったけど、自分では良い声に聞こえるわけですよ。それがカセットとかテープレコーダーに吹き込んで、客観的に聞いたときに、「すげえ暗いヤツだな」ってことが分かる。「これは、変えなきゃいけないな」って思って、作家でいうところの“文体”みたいなものを欲しがっていて。小島一慶さんの喋り方をすると、何か別の自分になれる感じがあったから、その頃から一慶さんの真似をすることで喋れるようになってきました。それがずっと続いていましたね。後々、一慶さんにお会いすることもできて……とてもいい方でした。自分のマイナス面をプラスにしようというポジティブな気持ちが、なんで生まれたのかは今を持って分からないですけどね。

中村:分かんないんですか、そこは。

吉田:何もそんな苦労しなくてもいいのになって。

中村:そのアナウンスアカデミーに9カ月通って、大学2、3年のときにラジオにどっぷりハマって聞きまくっていたということですよね。

吉田:そうですね。ハマっちゃいましたね。普通は高校生ぐらいの時期でハマるのが、僕は大学2年くらいからで、卒業までは深夜放送を結構聞いていましたね。

中村:確かにラジオを好きでずっと聞いていると、口癖とか移ってきますよね。

吉田:そうですね。そのときに、やっぱり“真似”っていうのは大事だなと思いました。だって、決まりきった自分というものはないわけだから。何でも、まずは真似からなのかなって。「人の様子を見て盗むっていうことは、そういうことなんだ」と、喋ることに関しては痛切に感じ取れましたね。

中村:じゃあ、当時の文化放送に入社される頃にはもう、ものすごい完成度?

吉田:いや、全然全然。僕が真似をしていると思っていても本人がその気になっているだけで、客観的に聞いた場合は全然遠いものだったと思います。当時の入社試験での面接のやり取りも、文化放送に録音がとってあったんですよね。『やる気MANMAN!』なんて、アナウンサーになってからずいぶん時間が経っているんだけど、時折その恥ずかしい僕の喋りをオンエアで流すんですよ。

一同:(笑)

吉田:それもつらかったですよ。だから、どんどん変わっていきますよね。最初はマイクに立つ前の自分と、マイクに立っているときの自分というのは、別人だったんですよ。それがどんどん仕事としてやっていくと、その距離がどんどん近づいていって、ほぼ同じになってきちゃったっていう。

入社試験のとき、第一次音声試験官がみのもんたさんで。僕より7年先輩の方なんですけど、その頃深夜放送聞いていたから、「あ、みのさんだ」って分かるんですよ。それで何か短い文章を読んだ後に、みのさんが「吉田君、ラ行が弱いね」なんか言われて。「これもう落ちたな」と思っていたら、補助でいる女子アナの人から「次は何月何日に来てください」って言われたんで、「あっ、受かっていたんだ」って。受かっているのにみのさんって嫌なこと言う人だなって(笑)。

一同:ハハハ。

吉田:恨んじゃって(笑)。入る前からね。

次ページ 「「俺はもうダメかもしれないな」と思った文化放送新人時代」へ続く