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なぜ私たちは英語を学ぶのか?~翻訳家・エッセイストの村井理子氏に聴く、英語学習と翻訳の関係~

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英語教育において悪者扱いされる翻訳

翻訳は、起点原語(source language:村井さんの場合は英語)を理解する能力だけではなく、目標言語(target language)である日本語力が要求される。筆者自身、社内翻訳者として働いていたときに強く感じたのは、調査力と日本語力が先で、英語力はその次、であった。翻訳力とは総合力ともいえる。

その翻訳という「訳す」作業が、いま再び英語教育において議論されている。いわゆる中学校・高等学校の英語の授業で行われる英文和訳である。だが近年「訳すこと」は英語教育において悪者扱いされ、「訳してばかりいるからいつまでたっても英語を話せるようにはならないんだ」という理屈でその役割が軽視されている。

文部科学省が定める新しい「学習指導要領」では、高等学校だけではなく中学校でも「英語の授業は英語で行うことを基本とする」方針が盛り込まれた。

「訳す」時間を減らして「授業は英語で」行うことで、「話すこと」に重きをおいた内容だ。しかし、「英語による英語の授業」に警鐘を鳴らす専門家は多い。立教大学名誉教授の鳥飼玖美子氏によると、「英語だけでの授業は内容が浅薄になりがちで、生徒の知的関心を喚起しない」、「英語という外国語を『ことば』として分析する機会を生徒から奪ってしまい、ことばの奥深さに気づくことが難しくなる」という(『学術の動向』、2017年)。

筆者自身は現在、大学の非常勤講師として英語を教えている。自分のスクールも含めて10年以上、英語を教える仕事に携わっているが、翻訳者としての経験も踏まえて「訳す」ことは英語学習に効果があると実感する場面は多い。同時に、ここ数年は大学生の読解力が英語だけでなく日本語においても低下していることを痛感する。

「訳す」ことの軽視が読解力の低下につながっているのではないか?英語学習において「訳す」つまり「翻訳」は本当に悪なのか?

英語力のみならず類まれなる日本語力を武器に活躍される村井理子氏へのインタビューを元に、多くの悩める英語学習者へのヒントを提示したい。そして教育現場で必ず投げかけられる疑問、「なぜ私たちは英語を学ぶのか?」についての答えを探りたい。その思いが、この取材を始めようと思ったきっかけだった。

次ページ 「図書館と丸善に通いつめた大学時代」へ続く