Twitterというプラットフォームを失ったら、広告業界はどうなる?
“It’s a great opportunity for people to finally see that social media can be done differently, that it can be a protocol not under control of any single company. ”
(ソーシャルメディアが企業の管理下ではなくプロトコルのもとで独自の運営をおこなえること、それを知ってもらうにはいまだかつてない機会だ)
と、Mastodon創業者のEugen Rochkoが述べているように、Twitter社の迷走は「分散型」「非中央集権」といったとっつきにくそうなテーマを一気に身近な話題に変えてくれた。Web3.0とも称される分散型インターネットは、往々にしてNFT(非代替性トークン) やDeFi (分散型金融) の話題が先行しがちなため、一部の業界ないしは情報感度の高いビジネスパーソンにとっての議論材料にとどまりがちだが、今回は手馴染みのよくなりすぎたSNSの話だから訳がちがう。意図の読めない仕様変更に振り回されないことはもちろん、利益や支配を目的とするテック企業から独立した「分散型」のソーシャルネットワークサービスが求められるようになっているのである。
もちろん、デジタルコミュニケーションを担うわたしたちにとってこれは他人事ではない。日々必死になって広告を作ってはいるものの、プラットフォームの考え方自体はここ数年比較的シンプルだったように思える。Twitter・Instagram・YouTube・TikTok、どれを主戦場にして施策を組み立てていくのか。もちろんだれをどのようにして巻き込んで、どのような配信設計で、など細々としたところに多くの思考とマンパワーが擁されているわけだが、言葉を選ばずに言ってしまえば、Web2.0時代のプラットフォームの存在に多少なりともあぐらをかいていた節がある。新たな分散型SNSの台頭は、ユーザーにとってはさまざまな呪いからの解放である。監視という呪いからの解放、広告という呪いからの解放、無意識なフィルターバブルという呪いからの解放。これらの解放の手段に対して、わたしたちはとてつもないスピードで今後順応を求められていく可能性がある。