AI時代にこそ求められる「ビジネストランスレーター」

「生成AIの普及によって、分析や企画、クリエイティブ制作のハードルは大きく下がりました。その一方で、AIが示した情報や選択肢をどう読み解き、事業の意思決定や現場の行動につなげるかは、これまで以上に重要になっています」
 
そう語るのが、積水ハウス イノベーション&コミュニケーションでCMO(最高マーケティング責任者)兼CDDO(最高データ&デジタル責任者)を務める木田浩理氏。販売・営業・マーケティング・データ分析と領域を横断してきたキャリアを通じて磨かれたのは、専門知識を事業の文脈に翻訳し、人を動かす「ビジネストランスレーター」としての力。そして、百貨店の販売現場で培った「数字には現れないリアル」を読み取る感覚でした。
 
AI時代に求められるマーケターの資質、挑戦をためらう若手へのメッセージ、そしてイノコムで推進するイノベーションの裏側──その本質をマスメディアンの荒川直哉が伺いました。

成果をストーリーとして届け、人を動かす

━━これまでのキャリアを振り返って、現在のご自身の立ち位置をどう捉えていますか。

私は「ビジネストランスレーター」というスキルが、どの領域でも普遍的に価値を持つと感じています。ビジネストランスレーターとは、専門的な知識やデータをそのまま提示するのではなく、事業の文脈に置き換え、関係者が理解し、意思決定できる形に翻訳する役割です。

その翻訳には、数字やロジックだけではなく、背景・意図・影響・未来像まで含めて、相手が腹落ちする形で伝えることが欠かせません。だからこそ、成果をストーリーとして届け、人を動かす力が重要になります。

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積水ハウス イノベーション&コミュニケーション CMO兼CDDO 木田浩理(きだ・ひろまさ)氏
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。大手通信企業、外資系ソフトウェア企業、大手百貨店、大手外資系EC企業などを経て、データサイエンス×マーケティングの領域で幅広く経験を重ねる。大手損害保険会社ではCMOを務める。2025年より現職。上智大学大学院応用データサイエンス学位プログラム非常勤講師。一般社団法人日本エビデンスベーストマーケティング研究機構代表理事。

私自身、データサイエンティストとして数字を扱ってきましたが、数字だけでは人は動かないことを何度も体感してきました。専門知識を物語として再構成し、相手の理解と行動につなげる──そこにこそ、ビジネストランスレーターの本質があると思っています。

こうした「専門知識を文脈に翻訳し、相手を動かす」力をつけられたのは、これまで販売、営業、マーケティング、データ分析など、幅広い領域を横断してきたことが大きいと感じています。

もちろん、それぞれの領域を深く担う専門家は不可欠です。そのうえで、ビジネストランスレーターには、マーケティング、データ、AI、現場、経営など、複数の領域について60点程度の基礎理解を持つことが求められます。

すべてを自分一人で解決するのではなく、必要に応じて専門家やAIの力を借りながら、それぞれの知見をつなぎ、実行へ持っていく。六法全書をすべて暗記するのではなく、どこに何があり、誰に相談すべきかを理解している状態に近いと思います。

この「横断的に理解して、必要な知識をつなぎ合わせる力」が、まさにビジネストランスレーターとしての強みになっています。AIが登場してからはその価値がさらに高まり、データサイエンティストとしての経験も含めて幅を広げてきたことが、今につながっていると感じています。

成長を続けている実感がほしい

━━現在の積水ハウス イノベーション&コミュニケーション(イノコム)へ移られた経緯を教えてください。

前職では、CMOとしてマーケティング組織の立ち上げや人材育成など、多くの経験を積ませてもらいました。その中で、マーケティングに加えて、データ、デジタル、AI、人材育成まで、より広いテーマに挑戦したいという思いが強くなりました。

私の場合は、失敗することよりも、学びが止まってしまうことの方に不安を感じます。マーケティングの理論やテクノロジーは変化し続けますし、新しいことを学び、少しずつできることが増えていく、その感覚を持てる環境に身を置きたいと思っています。当時私は40代半ばでしたが、もやもやする気持ちを抱えたまま生きていくのはイヤでした。マーケティングの理論は日々更新されますし、学び続けるプレッシャーがむしろ楽しい。少しでも成長している実感があることが、私にとっては大きな喜びなんです。

データもデジタルも含めて、もっと幅広く挑戦したい。そんな思いが強くなり、転職を考えるようになりました。ちょうどそのタイミングでイノコムの辰井伸洋社長に声をかけてもらい、CMO兼CDDOとして参画することに。新しい環境に身を置くことで、これまでの経験を生かしながら、自分自身の領域もさらに広げられると感じました。

何より惹かれたのは、私の著作『データ分析人材になる。目指すは「ビジネストランスレーター」』(日経BP)を辰井社長が読み、「ビジネストランスレーターを育成したい」と2年前に直接連絡をくれたこと。その考えに強く共感しましたし、これまでの経験を生かして貢献できると感じました。

そして、もう一つ理由があって。転職を決める1年ほど前、突然、兄を亡くしました。それまで当たり前に続くと思っていた時間には限りがあるのだと、強く実感した出来事でした。「いつか挑戦したい」と思いながら先延ばしにするのではなく、挑戦できる機会があるなら、今やろう。そう考えるようになったことも、転職を決断した大きな理由の一つです。

━━イノコムでの役割について教えてください。

イノコムは、積水ハウスグループのオープンイノベーションを担い、住まいや暮らしに関わる社会課題に対して、外部のパートナー企業やスタートアップと協業したり、AIを活用したりしながら、新しい事業や解決策を生み出していく会社です。

また、CVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)ファンドを活用した「出島」のような組織でもあり、外部の新しい技術やビジネスモデルを積極的に取り込みながら、グループ全体のイノベーションを推進しています。

現在は、積水ハウスグループ全体を対象に、マーケティング戦略の企画支援、デジタルマーケティングの設計・実行支援、AIやデータ活用の推進、人財育成、採用やブランドづくりなど、複数のテーマを横断して担当しています。グループ各社には、それぞれの事業や顧客に向き合うマーケティングの取り組みがあります。イノコムは、そうした各社の取り組みを尊重しながら、各事業部が抱える課題や目指す方向を丁寧に捉え、必要な戦略、仕組み、人財をつなぎながら、少数精鋭のメンバーと共にプロジェクトを進めています。

私の役割は、個別の施策を動かすことだけではなく、事業部と専門人財の間に立ち、それぞれの知見を事業成長につながる形へ翻訳し、実行を支えることだと考えています。

━━キャリアを選ぶ際の基準は何でしょうか。

キャリアを選ぶときには、自分の視野や可能性が広がるかどうかを大切にしています。安定も重要な価値だと思いますが、私自身は、新しい領域に触れ、学び続けられる環境に魅力を感じます。年齢を重ねても人は成長できる──そう強く信じていますし、実際にまだまだ挑戦したいことがたくさんあります。だからこそ、自分が前に進める環境を選び続けています。

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マスメディアン 取締役 国家資格キャリアコンサルタント 荒川直哉
マーケティング・クリエイティブ職専門のキャリアコンサルタント。累計4000人以上の転職を支援する一方で、大手事業会社や広告会社、広告制作会社、IT企業、コンサル企業への採用コンサルティングを行う。転職希望者と採用企業の両方の動向を把握しているエキスパートとして、キャリアコンサルティング部門の責任者を務める。「転職者の親身になる」がモットー。

データや論理は、意思決定の大切な土台です。一方で、組織の中には一人ひとりの感情や関係性、立場があります。正しいことを示すだけではなく、相手が置かれている状況を理解し、対話を重ねながら合意をつくることも必要だと考えています。キャリアについてもきれいな理想論にとらわれるのではなく、自分の置かれている現実や、今の能力を正確に見つめることが重要だと思っています。転職のたび、足りない点が見えれば、関連する本を片っ端から読んだり、展示会があれば実際に足を運んだりと、求められるものを徹底的に勉強し、基礎力をつけてから挑んでいます。

結果として、私は経験社数が多い方だと思いますが、それは転職そのものも成長の機会と考えるからです。

マーケターに欠かせない「数値を読み解く力」

━━AI時代において、マーケターにはどんな資質が求められるのでしょうか。

CTRやCPAを改善する運用業務は、これからもマーケティングの重要な仕事です。一方で、AIによる自動化が進むほど、マーケターには「なぜこの指標を追うのか」「その改善が事業全体にどう貢献するのか」まで考える役割が、より求められるようになると思います。

AIは分析や運用を力強く支えてくれますが、どの課題に取り組み、どの選択肢を採用するかは、人が判断する必要があります。

中世の瀉血(しゃけつ)が、当時の知識や経験に基づいて長く行われていたように、マーケティングでも、過去に成果が出た施策がそのまま続けられることがあります。AI時代のマーケターに求められるのは、これまでの経験を大切にしながらも、「今も本当に有効なのか」をデータやエビデンスで確かめ、事業全体を広く捉えて判断する力だと思います。

例えば、リターゲティング広告(自社サイトを訪れたことがある人など、すでに接点のある顕在層に広告を出し続ける手法)への依存はよく起きてしまうことです。リターゲティング広告はもともと購入意向が高い人に広告を配信するため、配信を続ければ確かにCPAは改善しやすくなります。広告経由の成果として計測された中には、広告がなくても購入に至った可能性のある人が含まれている場合があります。

そのため、CPAだけでなく、広告によってどれだけ新しい行動が生まれたのかという増分効果も見ていく必要があります。リターゲティング広告は、この増分効果が小さくなりやすい。つまり、実際に新たに生まれた売り上げは限られている可能性があります。それに気づかずリターゲティング広告頼りになってしまい、顕在層や一度接点を持った人に対する広告費の配分が大きくなりすぎると、潜在層との新しい接点づくりが、相対的に弱くなる可能性もあります。

データマーケティングも同じで、「当たりやすい人」ばかりを選んで施策を最適化すると、短期的には数字が良く見えますが、事業全体はむしろ縮小していく可能性があります。こうした「効率よく見える施策」が、長期的な成長を阻害しかねないことを理解しておく必要があります。

「この施策は、会社の成長にどのように貢献しているのか」。そう問い続けることが重要です。マーケティングの研究や実証データを学び、理論的な裏付けをもってブランド成長の仕組みを理解すること。

管理画面の数字は、施策を改善するための大切な手がかりです。そのうえで、顧客基盤、売り上げ、利益など、事業全体の成果とどうつながっているのかまで見ていく必要があります。個々の指標を改善するだけでなく、複数の指標をつなぎながら判断することが、これからのマーケターには求められると思います。

━━そうした挑戦をためらう若手も多いと思います。

何事もやってみなきゃわからないと伝えたいですね。AIは、挑戦に伴うリスクや選択肢を整理するうえで、非常に有用な存在です。一方で、過去に例の少ない挑戦や、まだデータになっていない可能性の価値まで、完全に判断できるわけではありません。だからこそ最後は、AIが示した情報を参考にしながら、自分の経験や価値観に照らして決めることが大切だと思います。

ただ、無謀に見える挑戦でも、十分な準備と基礎力があれば、挑戦に伴う不確実性を小さくすることができます。どんな状況にも応用できる知識やスキルがあれば、未知の領域でも自分で道を切り開けるからです。ここでいう基礎力とは、すべてを専門家レベルで身につけることではありません。論理的に考える力、数字を読む力、顧客や現場を見る力、人と対話する力など、複数の領域について60点程度の土台を持つことです。わからないことがあれば学び、専門家やAIの力を適切に借りられる。その状態であれば、未知の領域にも少しずつ越境していけると思います。

私自身、転職のたびに足りない部分を徹底的に学び直し、基礎力を積み上げることで、新しい領域にも踏み出してきました。そうやって可能性を広げてきた実感があるからこそ、AIが強力なツールであっても、すべてが正しいわけではないことも理解しています。

挑戦には不安が伴いますが、これまで身につけてきた基礎力は、未知の領域に踏み出す際の支えになります。だからこそ、自分の可能性を狭めず、まずは、自分にできる範囲から一歩を踏み出してほしいと思います。

「AI」や「データ」と「現場」を行き来する

━━AI時代におけるビジネストランスレーター育成はどうあるべきですか。

AI時代の人材育成では、AIの使い方を学ぶことと、顧客や現場に直接向き合う経験の両方が大切だと思っています。私自身、百貨店時代には婦人服販売の現場に立ち、お客さまと直接向き合ってきました。そこには、表情、仕草、空気感といった「数字には現れない情報」が圧倒的に多く、AIでは捉えきれないリアルが存在します。

対面の現場では、相手の反応をその場で受け取りながら、言葉や対応を調整していく必要があります。お客さまの前に立ち、瞬時に判断し、対応し続けるあの緊張感と経験があるからこそ、AIの良さも限界も理解できるようになりました。アナログの現場で得た感覚があってこそ、AIを正しく使いこなし、自分の可能性を広げることができるのだと思っています。

━━最後に、若手マーケターへメッセージをお願いします。

数字を読むだけでなく、数字の裏にあるお客さまの行動や気持ちを想像し、確かめる力を持ってほしいです。データを見るときには、数字が示していることだけでなく、まだ数字には表れていないことにも目を向けてほしいと思います。数字から見えた傾向を、実際の顧客行動や現場の声と照らし合わせることで、理解はより具体的になります。

数字の先にはお客さまがいて、感情が渦巻いている。お客さまと自社との接点を常に意識すること。そのためには現場を見ることが欠かせません。営業がどんな声を聞いているのか、お客さまが店舗でどこに迷っているのか──温度感のある言葉で語れるレベルまで現場を理解することが大事です。

マーケティングもAIも、変化の速い領域です。これまで培ってきた知識や経験を大切にしながら、新しい知見を取り入れ、自分なりの判断軸を更新し続けてほしいと思います。

AI時代に差が生まれるのは、単にツールを使えるかどうかだけではありません。自分で問いを立て、現場の文脈を読み、AIやデータが示した情報を判断し、それを人や組織が動ける言葉へ翻訳できるかどうかです。AIを活用しながら、ぜひ人や現場と直接向き合う経験も大切にしてほしいと思います。

━━お話を伺い、AI時代でも「現場で感じ取る力」がマーケターの基礎になることを強く実感しました。数字を読むだけでなく、その裏にあるお客さまの行動や感情を想像し、確かめる姿勢。百貨店の販売現場で培ったリアルな感覚と、転職のたびに学び直してきた基礎力が、木田さんのキャリアを支えてきたのだとわかりました。変化の激しい時代でも、自分をアップデートし続ける。その姿勢は、これからキャリアを築く人たちにとって大きな示唆になるはずです。ありがとうございました。

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