米国で5番目のPR会社設立、AT&Tの広報活動を統括したPRパーソン

新聞記者出身、企業広報のパイオニアの一人

写真 人物 ペンドルトン・ダッドレイ

ペンドルトン・ダッドレイ(Pendleton Dudley 、1876 – 1966)(出所: Wikipedia)

ぺンドルトン・ダッドレイ(Pendleton Dudley)は、アメリカ企業広報のパイオニアの一人として知られています。彼は長年にわたって企業広報の分野で重要な役割を果たしました。

コロンビア大学卒業後、さまざまな仕事を経験した後、友人の

アイビー・リー

の紹介で『ウォールストリート・ジャーナル』の記者として採用されます。金融担当記者として多くの企業家たちと付き合うなかで、彼らの多くがメディアに対して無知であり、その対応ができていないことに気づきました。

1909年、ダッドレイはリーの助言を受けいれてウォールストリート・ジャーナルを退社し、米国5番目となる自身のPR会社「ぺンドルトン・ダッドレイ・アンド・アソシエイツ」を設立します。

ダッドレイは、多くの有名企業と契約を結びましたが、自身にとって最初のクライアントとなったAT&T社とは1966年に彼が90歳で亡くなるまで、クライアント契約を結んでいました。

企業の社会的責任を強調する企業広告を出稿

彼は、AT&Tの広報活動を統括し、企業イメージの向上や顧客との関係強化を図りました。特に、AT&Tが独占企業としての批判にさらされる中で、ダッドレイはそのイメージを守るための広報戦略を構築しました。

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河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)
河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

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