AIのレッドラインは誰が引くのか―米国防総省のAnthropic排除が示すもの

※本稿の情報は2026年3月1日時点のものです。Anthropicの訴訟、イラン情勢、CCWでの自律型兵器規制の議論など複数の分岐点が同時に動いており、状況は極めて流動的です。

7カ月で反転した風景「サプライチェーンリスク」に

2026年2月27日、トランプ大統領が全連邦機関に対してAnthropic製品の使用停止を命じました。同日、ピート・ヘグセス国防長官がAnthropicを「サプライチェーンリスク」に指定しています。

サプライチェーンリスク指定は、通常、中国のHuaweiのような敵対国の企業に対して適用される措置です。世界最大のAI投資国の政府が、自国のAI企業を安全保障上の脅威と認定する。米国のAI企業に対しては史上初のことになります。

7カ月前の話をしましょう。2025年7月、AnthropicのAIモデルClaudeは米国防総省の機密ネットワーク上で稼働する唯一の商用フロンティアAIでした。最大2億ドル(約300億円)のプロトタイプ開発契約を結び、情報分析から作戦計画、サイバー防衛、衛星画像分析まで幅広く利用されていましたtyuu

国防総省の機密ネットワークに外部のAI企業が入ること自体が異例です。セキュリティ認証の取得には年単位のコストと時間がかかるため、通常のスタートアップには手が届きません。

Anthropicは防衛テック企業であるPalantirの認証済み環境を経由する形でこのハードルを越えていました。8月にはGSA(一般調達庁)と契約を締結し、行政・立法・司法の全3部門にClaudeを提供しています(※1)。

同じ企業が、同じ国の政府から安全保障上の脅威と呼ばれている。この反転は率直に言ってかなり異例です。そしてこれは国防総省だけの話ではありません。Claude APIは広告・マーケティングの制作現場でもコピーライティングやデータ分析に急速に浸透し始めたツールです。その提供企業に何が起きたのか。追ってみます。

※1: GSA OneGov契約。契約金額はシンボリックな1ドルでした。SalesforceやMicrosoftなら珍しくない政府全体契約ですが、設立数年のAIスタートアップとしては異例の待遇と言えます。

Anthropicとの蜜月から決裂まで

起点は2025年1月です。トランプ大統領が就任初日にバイデン前政権のAI安全規制(EO 14110)を撤回し、規制緩和によるイノベーション加速を国策に据えました(※2)。高リスクモデルのレッドチーム義務や安全監視要件が一括廃止され、3日後には新行政命令に署名。AI企業にとっては追い風以外の何物でもない空気でした。

Anthropicはこの流れに乗り、7月に国防総省と最大2億ドル、2年間のプロトタイプ開発契約を締結しています。資金調達も加速していました。3月にSeries Eで35億ドル(時価総額615億ドル)、9月にSeries Fで130億ドル(時価総額1,830億ドル)。この時点では政権との関係は良好だったと言えるでしょう。

転機は2026年1月に訪れます。米軍がベネズエラのマドゥロ大統領拘束作戦でClaudeを使用したことが報じられました(※3)。注目すべきは、AnthropicがClaudeの使用有無をPalantirの幹部に問い合わせたという点です。自社のAIが軍事作戦にどう使われたのか確認する行為。これ自体が関係悪化のきっかけになりました。

ここから国防総省がAnthropicに対して、Claudeの安全制限の全面撤廃を要求し始めます。Anthropicは部分的に受け入れ、部分的に拒否しました。

拒否したのは2点です。

1点目は大量国内監視への利用。ダリオ・アモデイCEOは「現行法が令状なしで市民のデータ購入を認めており、LLMがその処理能力を飛躍的に加速させる」というリスクを警告しています。

2点目は完全自律型兵器への利用。人間の最終判断なしに標的を選定・攻撃するシステムへの組み込みです。「フロンティアAIは現時点で十分な信頼性がない」と技術的な根拠をもって拒否しました(※4)。

一方で、ミサイル防衛やサイバー防衛など部分的な自律運用は許可していました。完全自律型兵器についてもR&D段階での協力を申し出ていますが、国防総省はこれを拒否しました。つまりAnthropicは軍事利用そのものを拒否したわけではない、という点は押さえておく必要があります。

2月に入って事態は急展開します。12日にAnthropicがSeries Gで300億ドルを調達し、時価総額は3800億ドルに到達。評価額は1年で6倍以上に膨らんでいます。GIC(シンガポール政府系ファンド)、Goldman Sachs、JPMorganなど大手機関投資家が名を連ねており、民間市場は強気でした。個人的にも、ここまでの急成長はちょっと記憶にありません。

24日、ヘグセス国防長官が最後通牒を突きつけます。金曜17時01分までにセーフガード全撤廃に応じなければ契約打ち切りとサプライチェーンリスク指定を実行する、と(※5)。

興味深いのは同じ2月24日にAnthropicがもう一つの動きを見せていることです。自主的な安全方針であるRSP(Responsible Scaling Policy)のv3.0を公開しました。

主な変更は、旧版にあった「安全を保証できなければ開発を停止する」というハードコミットメントの撤回です。代わりに定期的な透明性レポートと第三者による外部レビューを制度化しています。

CNNやEngadgetはこれを「圧力の中で安全への約束を弱めた」と報じました。Anthropic側は「2年半の運用を踏まえた現実的な改訂であり、レッドラインは維持している」との立場です。最後通牒と同日に「ここは譲れないが、ここは柔軟にする」という線引きを示した形と言えるでしょう。意図的だったのかどうかは分かりませんが。

アモデイCEOは26日に公式声明を発表。「良心に従い要求に応じることはできない」と正式に拒否しました。27日、トランプ大統領がTruth Socialで全面排除を命令。6カ月のフェーズアウト期間を設定し、ヘグセス国防長官がサプライチェーンリスクに正式指定します。

エイミル・マイケル国防次官(研究工学担当)はXでアモデイCEOを「嘘つき」「God complex」と公然と非難しています。こうした個人攻撃の激しさには正直驚きました。

翌28日、Anthropicは法廷で争う方針を表明しました。「この指定は法的に根拠がなく、政府と交渉するすべての米国企業にとって危険な前例になる」という声明です(※6)。元トランプ政権AI顧問のDean Ball氏はこの措置を「attempted corporate murder(企業謀殺の試み)」と呼び、「ほぼ確実に違法」と断じました。

超党派の上院議員4名も動いています。上院軍事委員長Wicker(共和)と筆頭委員Reed(民主)、国防歳出小委員会委員長McConnell(共和)と筆頭委員Coons(民主)の4名が和解を求める書簡を送付しました(※7)。「信頼できる証拠なしにサプライチェーンリスク指定を行うことへの懸念」と「中国との競争上、シリコンバレーとの協力維持の必要性」を訴えています。一企業の紛争に留まらない空気が漂っている、という感触です。

※2: バイデン政権のEO 14110は高リスクモデルの安全テスト義務などを定めていました。トランプ政権はこれを「イノベーションの障壁」として撤回。3日後の新行政命令で規制緩和路線を明示しています。

※3: NBC Newsの報道。国防総省の機密ネットワーク上でPalantirのプラットフォーム経由での利用でした。

※4:アモディCEOの公式声明。2点のレッドラインについて技術的・倫理的根拠を詳細に論じています。

※5: Axiosの報道。「respond in full or face consequences」という文言だったとされています。

※6: Anthropicは指定の法的根拠に加え、Hegseth国防長官が請負業者全般との商取引を禁止する権限を持つかどうかにも異議を唱えています。

※7: 超党派で軍事委員会トップが動くのは異例の事態です。

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生成AI時代のテクニカルディレクション
岡田太一(sync.dev Technical Director/Visualization Artist)

CG会社のDigital Artist からキャリアを開始。ポストプロダクションを経て、現在はビジュアルクリエイティブ領域にてテクニカルディレクションを担当。得意な分野は映像編集、ビデオ信号とリアルタイム合成、トラッキング関連など。2022年から『ブレーン』で連載中。

岡田太一(sync.dev Technical Director/Visualization Artist)

CG会社のDigital Artist からキャリアを開始。ポストプロダクションを経て、現在はビジュアルクリエイティブ領域にてテクニカルディレクションを担当。得意な分野は映像編集、ビデオ信号とリアルタイム合成、トラッキング関連など。2022年から『ブレーン』で連載中。

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