※本稿の情報は2026年3月1日時点のものです。Anthropicの訴訟、イラン情勢、CCWでの自律型兵器規制の議論など複数の分岐点が同時に動いており、状況は極めて流動的です。
外国企業の排除だけではない、ベンダー選定に加わった変数
前回はアメリカ国防総省のAnthropic排除に端を発した、イラン情勢、自律型兵器規制の議論などについて触れました。ここからは、AIを「使う」側の話です。
ベンダー選定における地政学リスクそのものは今更指摘するまでもありません。Huaweiの排除、CHIPS Act、TikTokの規制。テクノロジーの選定に地政学が絡むことは十分に経験してきました。
今回の件で変わったのは、リスクの方向だと思います。
従来の地政学リスクは「外国ベンダーが規制される」構図でした。中国企業を使うと米国との取引に支障が出る。ロシア企業のソフトウェアが制裁で使えなくなる。リスクの発生源は国境の向こう側にあり、「どの国のベンダーを使うか」が判断の基準になっていました。
ところが今回は米国企業が米国政府に排除されています。しかも安全制限を設けたこと自体が排除の理由になった。リスクの方向が内側に向いたと言えるでしょう。
速度の問題も見逃せません。Huaweiの排除は2018年のCFIUS(Committee on Foreign Investment in the United States)(対米外国投資委員会)の審査強化から段階的に進みました。TikTokの規制論議は2020年頃に始まり、2024年の法案可決まで4年以上を要しています。
政府の規制は通常、時間をかけて予見可能な形で進むものですが、前回述べたとおりAnthropicの件は7カ月です。機密ネットワークの唯一の商用フロンティアAIから、サプライチェーンリスクへ。この速度感はこれまでのベンダーリスクにはなかった特徴と言えます。
冷静に確認しておくと、連邦排除が即座に事業崩壊を意味するわけではありません。AnthropicのARR(年換算経常収益)は140億ドルに達しており、Fortune 500上位10社中8社が顧客です。Claude APIが明日から使えなくなるという話ではないでしょう。2月のSeries G調達が示す通り、民間投資家はAnthropicの事業基盤を依然として評価しています(※1)。
ただし波及構造は気にしておく必要があります。サプライチェーンリスク指定の直接的な法的対象は国防総省との直接契約ですが、ピート・ヘグセス国防長官は「軍と取引のある全企業」にまで商取引禁止を拡大解釈しており、仮にこの解釈が維持されれば二次、三次の波及があり得ます。
国防総省はすでにボーイングとロッキード・マーティンにAnthropic依存度の評価を要請しています。AmazonはAnthropicに累計80億ドルを投資し、AWS Bedrockを通じてClaude APIを提供する基盤側にいます。
AWSは多くの広告テクノロジー企業やメディア企業が利用しているインフラでもあります。Amazonの投資判断がサプライチェーンリスク指定によってどう影響を受けるかは、AWS上のサービスを利用する下流の企業にとっても他人事ではありません。直接の取引がなくても、自社が依存するプラットフォームの上流で何が起きているかは意識しておいた方がよいでしょう。
もう一つ気になる論点があります。国防生産法(DPA)の適用可能性です。DPAは冷戦時代の法律で、政府が企業に国家安全保障上必要な製品の生産を強制できます。国防総省はこれをセーフガード撤廃の強制に使う可能性を示唆しました。
Anthropicのダリオ・アモデイCEOが指摘した矛盾は的を射ていると感じます。一方で「サプライチェーンリスク」(排除対象)と呼び、他方で「国家安全保障に不可欠」(利用強制の対象)と呼ぶのは論理的に両立しません。
仮にDPA適用が認められた場合、政府がソフトウェア企業の利用規約を実質的に書き換える権限を持つ前例になります。テクノロジー企業の自律性を巡る、かなり重大な論点になりそうです(※2)。
もう一つ、逆方向のリスクも考えておく必要があります。今回は「政府がベンダーを排除した」ケースですが、「ベンダー自身のポリシー変更で利用条件が変わる」ケースも構造としては同じです。先述のRSP v3.0のように、ベンダーの安全方針は運用の中で変わっていきます。利用者から見ると「このベンダーの方針がいつ、どう変わるか分からない」という不確実性にあたります。
広告やマーケティングの現場にとって、直接の法的影響は現時点ではありません。ただ、多くの制作現場がClaude APIやGPT APIをコピーライティング、戦略立案、データ分析に組み込み始めている。制作フローにAIベンダーが深く入り込むほど、ベンダーの政策変更や政治的リスクは自社の業務継続リスクに直結していきます。
「うちのツールはClaude APIを使っています」という事実が、取引先の都合で問題になるシナリオは、ゼロではないと思います。グローバルに展開している企業や、米国の防衛関連企業と取引がある場合はなおさらでしょう。
マルチベンダー戦略の重要性は技術的な互換性の面から語られることが多いですが、今回の件で政治的なリスク分散という意味合いも加わりました(※3)。
技術選定は「今のAPI仕様」だけでは完結しません。ベンダーの意思決定構造、政治的なポジション、ポリシー変更の履歴。そうしたものの重みが一段増した、という気がしています。正直なところ、ここまで評価軸が広がる日が来るとは思っていませんでした。
※1: Fortuneの報道では$3,800億規模と報じられていたAnthropicのIPO計画への影響も懸念されています。
※2: Lawfareの法的分析。DPAの「production」がソフトウェアの利用規約変更を含むかどうかは法的に未確定であり前例がない、と結論づけています。
※3: OpenAI、Anthropic、GoogleのAPI仕様は収斂傾向にあり、技術的な乗り換えコストは下がっています。とはいえプロンプトの最適化やシステムプロンプトの設計など、ベンダー固有の資産は蓄積されるもので、「いつでも切り替えられる」と「すぐに切り替えられる」は別の話です。保険として準備しておく価値は上がったのではないでしょうか。
