クリエイティブディレクターと脚本家を行き来して見えた 広告人のクロスキャリアのすゝめ

今、広告クリエイターにとって「大越境時代」が到来しているという。映画、小説、飲食店経営……領域を鮮やかに飛び越え活躍する彼らの原動力はどこにあるのか。

クリエイティブディレクターとして第一線で走りながら、脚本家としても数々のヒットドラマを手掛ける畑中翔太氏が、異なるキャリアを掛け合わせることで生まれる化学反応と、キャリアの境界線を溶かす思考を綴ります。

今、次々と「越境」する広告人たち

「広告人には無限の可能性がある。」
それが、この文章で一番伝えたいメッセージである。

近年、広告出身クリエイターによる “大越境時代” がはじまっている。映画監督、プロデューサー、作家、飲食店経営者、アーティスト、ラジオスター、挙げればキリはない。これまで「越境」という言葉は、大きくは広告コミュニケーションにおけるソリューションとしての拡張を意味していたが、今では広告領域からピボットして、別ジャンル、別業界の舞台で戦うクリエイターが増えている。

かくいう自分も、広告領域の「クリエイティブディレクター」とともに、ドラマや番組、舞台の「企画プロデューサー・脚本家」という顔を持っている。初めてテレビドラマを制作したのが2020年。そこから6年で20作品ほどの企画、プロデュース、脚本を担当してきた。 

なぜ広告人が、他領域でも戦えるのか?

広告の最大の目的は、人々に行動を起こさせることにある。そのために私たちクリエイターは、「感情の文脈設計」をする。ターゲットをどんな気持ちにさせて、そこにモノやサービスをどのように触れさせたら心が動くのか、と日々向き合っている。

実はそれは脚本においても全く同じだ。このシーンで主人公にどんな感情を抱かせて、次のシーンでそれがどのように変われば、視聴者や観客の心が動くはずだ、という「感情の文脈設計」を常にしている。広告は様々なアプローチを複合的、多面的に設計するのに対し、ドラマや映画は物語という1つのキャンバスの中でそれを設計する。

私は飲食店のプロデュースも行っているが、飲食においても、入店から退店までの体験の中で、料理を中心にお客さまの感情のカーブをどう描くのかを設計している。要は練り上げるソフトの部分は同じで、それを定着させるハードの部分がそれぞれ異なるだけであって、「広告人=感情の文脈設計者」だと考えると、たしかにどんな領域においても戦える力があるはずである。

「越境」の本質は、常に「同じことをしている」という感覚を持つこと

最近ではよく、「どうやって脚本を書いているのか?」「どこで書き方を学んだのか?」と聞かれることがある。結論から言うと、どこかで学んだことはないし、特に自分に脚本のメソッドがあるわけでもない。

CMは15秒や30秒という中で、練りに練ったセリフやコピーで構成を組み立てていくが、例えばドラマづくりも、そうしたコピーライティング作業の “超” 延長だと考えている。普段は15秒で描いている濃縮された「起承転結」を、30分や1時間フォーマットに、いかにその熱量を落とさず拡張していくかの作業だ。

ちなみに、過去に制作したテレビ東京系ドラマ『お耳に合いましたら。』も、「お口に合いましたら」という言葉を、頭の中で「‟お耳” に合いましたら」と語呂遊びのように変換していたときに、「グルメ愛を語る、ラジオパーソナリティの主人公」という企画が思い浮かんだ。まさにコピーライティングから生み出した作品だ。

ちなみに、個人的に作品の中には、視聴者がテレビの前で一緒に言いたくなるような、‟決めゼリフ” を作るようにしている。『量産型リコ』の「ギブバース」、『絶メシロード』の「絶メシフォーエバー」、『イグナイト』の「争いは起こせばいい」も、ドラマの感情を一行に乗せて視聴者に染み込ませるためのコピーだ。

このようにたとえ領域が変わっても、感情の文脈設計であったり、コピーライティングの連続であったりと、広告で培ったものと「同じことをしている」感覚を自己の中に持てることこそ、シームレスに領域を飛び越えていける最大の「越境力」なのだと個人的には思う。

実際に様々な領域で活躍するクリエイターほど、異なる様々な能力を持っているわけでなく、自分が信じている “1つの力” を研ぎ澄ましているように思う。

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