会社員生命、託します。~『計画しない人はうまくいく』によせて(佐野光)

『宣伝会議のこの本、どんな本?』では、弊社が刊行した書籍の、内容と性格を感じていただけるよう、本のテーマを掘り下げるような解説を掲載していきます。言うなれば、本の中身の見通しと、その本の位置づけをわかりやすくするための試みです。今回は電通 CMプランナー 佐野光さんが『計画しない人はうまくいく 帳尻合わせのキャリア論』(中村洋基著)を紹介します。

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僕が初めて働いたのは、小学2年生の頃でした。父が家具のリサイクルショップを経営していたので、僕も仕入れのための市(いち)に、ついていくことがありました。そこで競りに参加して、お小遣いで商品を仕入れて、父の店で売っていました。初めて競り落としたのは地球儀でした。僕が「500円!」というと、「600円!」と張り合ってくる人がいて、最終的に1000円で僕が落札しました。勝因は、相手の方に小指がなく、両手を広げても950円としかカウントしてもらえなかったからです。地球儀は、2500円で売れました。

次に働いたのは、同じく小学生の頃で、近所の商店街にあるドラッグストアでした。飛び込みで「働かせてください!」とお願いして、店頭に立たせてもらいました。父が日頃からナンパをしている姿を見て育った僕は「そこのお姉さん、こちらのビタミンでますます綺麗になりますよ!」などと声をかけながら、一生懸命働きました。2時間ほど働いて、店主から「ご苦労様、お給料は現金で渡したらややこしいから、これで!」と言われ、手渡されたのはヤクルト10本でした。労働の厳しさを学びました。

中学生にあがると、「メダルゲーム代行業」というのを始めました。近所のゲームセンターのメダルゲームコーナーで『絶対に増やせるテクニック』を持っていた僕は、メダルを代わりに増やしてあげることでお小遣いを稼いでいました。10枚100円のメダルを30枚まで増やして手数料をもらう時の僕の眼差しは、アクティブファンドの敏腕トレーダーのようだったと思います。ただ、最終的に店員に目をつけられて出禁になりました。

その後は、ゲーム売買事業を立ち上げました。未成年がゲーム屋でゲームを売る場合、その都度親の許可証が必要で、とても面倒でした。そこで、学校の中でゲーム売買のプラットフォームを作りました。といっても、大層なものではなく、まずゲームを売りたい人を探して、売りたいゲームを僕の手帳に書いてもらいます。値段は売りたい人が決めます。そして次にゲームを買いたい人を探してきて、ゲームが売れると、売上の2割を僕が貰うというものでした。毎月5千円程度のお小遣いを稼げるようになりましたが、このビジネスも、一瞬で終わることになりました。ある日、クラスのヤンキーが僕に声をかけてきました。「お前ゲーム売ってるらしいやん。俺にも売ってや。もちろん手数料はいらんよな?」僕はすぐにヤンキーに屈しました。1度ヤンキーに手数料無料を許してしまったことで、他の同級生からも手数料を受け取るわけにはいかなくなり、この日を境にビジネスは崩壊しました。

大学生になると、ようやく「普通の」アルバイトをするようになりました。カラオケ店でした。最初の頃は、ドリンクを作ったり、部屋の片づけをしたり、色々な仕事をやらせてもらっていましたが、どうやら壊滅的に作業が遅いらしく、途中からは大きな看板を持って外で立つ専業バイトになりました。真夏の炎天下も、極寒のクリスマスも、看板を持って立っていました。しかし、なぜか僕はこの仕事には向いていたらしく、地域1番の集客を達成し、時給が10円上がりました。店長から「どうやって集客してるんだ?」と執拗に聞かれたものの、本当にただ立ってるだけなので、当時は何も答えられませんでした。ただ、今思えば、暇すぎて演説をしていた記憶があります。誰かに話すというよりは、独り言で愚痴を言っていました。「クリスマス、こんな寒い中、僕は今看板を持って立っています。時給850円です。せめてカラオケ来てくれてもいいんじゃないですか~」とか、そんなことを言っていました。いや、それは関係ないか。

その後、バイト先で出会った先輩に誘われて、ホストクラブで働きました。当時、奨学金の返済総額が450万円になる予定だった僕は、なるべく早く返済するためにほとんど毎日カラオケ店で働いていましたが、時給10円アップ程度では、焼け石に水でした。幼少期、父が300万円の借金に苦しみ、自ら命を絶ったという背景もあるので、少しでも多くお金を稼ぎたい一心でした。そんな時に先輩からの「ホストになれば1日で1000万円貰えるらしい!一緒に体験入店行ってみない?」という底抜けにポジティブな提案を受け、快諾しました。お店に入ると、20名ほどのホストがいました。採用担当者の話によると、売上の約50%がお給料になるとのことでした。さすがに1000万円は見通しが甘すぎたと僕が絶望している最中、先輩は、「じゃあ今日2000万円売り上げたら、日払いで1000万円貰えるってことですか?やばっ。」と言っていました。先輩のやばさに救われました。僕と先輩はまず、キャッチに行かされました。僕はキャッチには少し自信がありました。なぜならカラオケ店で呼び込み専用マシーンだったからです。なんとかキャッチに成功し、店内に戻ると先輩ホストたちから驚かれました。「初日でお客さん連れてくるなんて、見込みあるよ、お前ら!」と言われ、僕と先輩は浮かれました。その日のお給料は、1000万円にはほど遠かったのですが、2万円いただきました。先輩はキャッチした女性と手を繋いでラブホテルに向かい、二度と戻ってくることはありませんでしたが、僕はそのまま働き続け、奨学金以上の蓄えができました。

大学を卒業した後は、バーを経営しました。早起きが苦手なのと、就職するよりも起業したほうが、うまくいけばお金が稼げるし、失敗しても20代なのでやり直しがきくと思ったからです。ただ、当然ながら全くうまくいかず、オープンしてから半年間はずっと赤字でした。赤字を解消するために、毎日、17時間休みなく働いていましたが、吐血、血尿、血便と、気づけば血だらけになっていました。一応オープン前に「誰でも成功するBARの始め方」みたいなタイトルの本を読んでいたので、こんな生活になるなんて思っていませんでした。もやしの種を買って、育てて食べたりもしました。もやしよりも、味付けのタレのほうが高いのが辛かったです。毎日死にそうな顔で働く僕の「泥船感」がすごすぎて、一緒に働いてくれていたスタッフも、離れていきました。そしてある日、お店のお金をスタッフに持ち逃げされてしまったことをきっかけに、ついに僕の心は壊れそうになりました。しかしそんなタイミングで、少しずつできた常連さんたちが、せっかく作ったお店がすぐに潰れると可哀そうだからと、支えてくれました。そのおかげでなんとか閉店を免れ、再出発することができました。そして独りよがりにならないよう、スタッフの提案をどんどん採用するようにしました。当初目指していたのは、クラシックの流れるオーセンティックなバーでしたが、スタッフの声を取り入れ過ぎた結果、レゲエが爆音で流れるダーツバーになりました。客層も金髪ツーブロックがメインになり、毎日自分の店に怯えながら通うようになりましたが、5年間黒字経営することができました。

そして現在、僕は総合広告代理店で働いています。バー経営の傍ら大学院に通い、そのまま就職活動を経て新卒入社しました。バーは、知人に売却しました。ここで、これまでの僕のキャリアは、神懸ったラッキーの上に成り立っていたことを痛感しました。初任配属は、第一希望のビジネスプロデューサー。多分、人事の方からも期待されていたと思います。初めての仕事は、コピー機の紙を朝早く出社して、満タンにしておくことでした。これは新入社員が1年間おこなう、伝統的な仕事だそうです。それに対し僕は「コピー機は事務員さんに任せて、もっと生産的な仕事がやりたいです。」と口答えしました。先輩は、ポカンとしていました。そして話は局長まで届き、この伝統は僕を最後に終わりました。この事件は、後輩からは感謝されることこそあるものの、今思えば大失敗だったと思います。なぜならコピー機の仕事の本質は、紙を詰めることではなく、その仕事を通じて先輩方とコミュニケーションをとることだったからです。そこを疎かにしたうえに、社会人としての常識を身に着けていない僕は、遅刻しそうになって慌ててヒッチハイクで出社したり、ホストクラブのように膝をついて名刺を渡そうとしたり、1億円の請求書を10億円で請求しようとしたり、怒りを通り越して呆れられるような失敗をたくさんしました。仕事も全くうまくできず、コピー機に紙を詰めているほうが、よっぽど生産的でした。僕がこれまでうまくいっていたのは、能力の高さではなく、本当にただのラッキーに支えられていることをここで初めて知りました。

しかしこんな僕にまたラッキーが襲い掛かります。日常をつぶやいていたTwitter(現X)がバズり、フォロワー数が急増したのです。それを機に、クリエイティブ局の先輩方が目をかけてくださるようになり、ラジオCMを作ってみないか?というお誘いを受けました。もちろんCMの作り方なんてわからないので、YouTubeで「ラジオ名作集」みたいなのを聞いて、作ってみました。するとそのラジオCMで、広告電通賞銀賞、フジサンケイ広告大賞優秀賞と、立て続けに賞を受賞しました。さらに、合格率わずか数パーセントの転局試験に満場一致で一発合格し、CMプランナーに転身しました。ただし、ラッキーはいつまでも続きません。ここが僕のピークでした。最初の頃は色々な仕事に挑戦させてもらえましたが、僕の案はいつもE案。E案というのは、プレゼンにおける、おまけです。上司がプレゼンで、「まぁこんなんもありますけどね…冗談は置いておいて、本命はA案です」と本命を引き立てるための案、それがE案です。さらに広告のことを勉強していない僕は、キャッチコピー、ボディコピー、タグライン、などの言葉の意味もわかっておらず、「こちらが、上段のコピー、続いて中段のコピー、下段のコピーはこのようにまとめてみました!」と上司に説明したら、「お前は、空手やってんのか!」と激怒されました。こちら、去年の話です。キャッチコピーを20案持っていき、そのうち1案だけAIが考えたものを忍ばせたら、AIの考えたコピーだけ褒められたこともあります。こちら、今年の話です。ソフトバンク「白戸家」シリーズなどを手掛ける巨匠、澤本嘉光さんがCM企画のチャンスをくれたこともありました。しかしここでもチャンスを活かせず、それでもなんとか僕が仕事に貢献したことに示すために澤本さんは気を利かせてくれて僕に「関西弁のプロ」という役割を与えてくれました。大阪まで出張して、タレントの関西弁が変じゃないか確認するのが僕の仕事です。出演者がみんな関西人なので、変なわけがありません。僕は少しでも仕事をした感じを出すために「今の、快適~、は良い関西弁でした」とか、それっぽくディレクションしました。現場にいる人、みんな関西人なのに。

今の会社で働き始めて9年目になりますが、いまだ代表作はありません。ここ数年、KREVAさんの「存在感」という曲が出社のたび脳内で流れてきます。「存在感はある。でも、決定打が出ていない気がした。」「存在感はある。でも、代表作が無いような気がした。」という歌詞とともに、日々フラッパーゲートを通過しています。でも、いつまでもこのままでいいわけがないと思い、過去自分が活躍できた方法を振り返りました。過去の僕はピンチの時ほど、力を発揮していました。そうだ、リスクを背負おう。とてつもないリスクを背負えば、嫌でも頑張るしかなくなるじゃないか!そう思い立ち、僕は去年1億円を超える1棟アパートを購入しました。借金をすることで、お尻に火をつける作戦です。結果、またラッキーに見舞われました。購入後に家賃は全部屋値上がりし、満室稼働になり、初年度から黒字経営になりました。大家としての才能を発揮してしまった僕は、いよいよどうすべきかわからなくなってしまいました。もっと大きなリスクは無いかと、もはや本来の目的である「仕事で活躍する」など忘れて、リスクを探す日々。そして最終的に、2年以内に大きな広告賞を受賞できなければ会社を辞める、という決断を下しました。具体的には、TCC・ACC・宣伝会議賞・朝日広告賞・BOVA・文化放送ラジオCMコンテストのいずれかで、金賞を取れなければ、会社を辞めます。このまましがみついて定年まで迎えるという選択肢も当然よぎりましたが、頑張っている同期や、こんな僕にチャンスをくれる先輩や後輩の顔を思い浮かべると、やはりリスクを取って強制的に成長し、それでもだめなら、別の道を探すしかないように思いました。

そんな最中に今回、中村洋基さんの『計画しない人はうまくいく 帳尻合わせのキャリア論』の書評の依頼をいただきました。タイトルがまさに、今の僕の生き方を肯定していただいているように感じられました。もしかしたら、これは運命なのかもしれません。いや、運命だったということに帳尻合わせしよう。中村さんは、早稲田卒の元電通マンで、今はPARTYという会社を経営している、肩書だけみれば、絵に描いたようなお祭り男です。だけど本書を読んでいくと、学生時代は決してクラスの中心人物ではなかったようで、少し親近感が湧きました。しかも中村さんは学生時代、ヤンキーの先輩が誤ってバイクのガソリンタンクにライターを近づけ、エヴァンゲリオンの使徒殲滅ばりの火柱が上がっているのを目撃したことがあるそうです。僕も少年野球に所属していた頃に、ホームレスのコーチが僕たち子どもを温めようとして、ガソリンをまいたドラム缶に火をつけ、使徒殲滅ばりの火柱が上がったのを見たことがあったので、絆を感じました。はじめは中村さんの身の上話が中心でしたが、読み進めていくうちに、本書はただの自伝ではなく、怠惰な人間の行動をハックし、効率的に力に変えるための具体的な方法論が書かれていました。中村さんはしきりに自身の才能を否定されていますが、やはり面白いことを考える才能があることは文中からもひしひしと感じます。ただ、中村メソッドの通りにやれば、ジェネリック中村さんくらいにはなれるかもしれないという希望が湧く本でした。本を読み終えた結果、僕の会社員生命を中村さんに託すことに決めました。とにかく僕はこの本のいう通りに行動しようと思います。僕と中村さんの関係は、1度ラジオ番組でお会いしただけです。それなのに、本を読んで勝手に絆を感じられて、もはや中村さんが気の毒です。もし二年後、僕が会社を辞めていたら、僕はひっそりとどこかでベーグルを作っていると思います。そして中村さんには僕の作るベーグルを食べていただきます。そうならないために(そうなっても楽しそうだけど)、コピー機に紙を詰める仕事含め、どんな仕事も広告賞を取るつもりで全力でお受けしますので、この記事を読んでくださった方はぜひお仕事をください。全力でやるという証拠に、こちらの書評も依頼は400字でしたが、6000字書いております。もはや空回りで迷惑をかけております。ただ、それだけ本書がやる気に火をつけてくれたということです。

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佐野光

電通 CMプランナー。1989年生まれ、入社9年目。いまだ代表作なし。プレゼンではE案担当。実家は全焼。

好評発売中
『計画しない人はうまくいく 帳尻合わせのキャリア論』

(中村洋基著、定価2,200円+税)

特殊なスキルもなく、偏差値35、就職活動は落ちこぼれ。そんな若者が、なぜ広告クリエイターとして300を超える賞を獲得し、何社も起業できたのか?そのコツを、見る前に跳び、とにかく大量行動・大量失敗しながら修正していく「帳尻合わせのキャリア論」として解説。キャリアに迷っている人のための、「考えるため」ではなく「動くため」の一冊。

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宣伝会議のこの本、どんな本?
宣伝会議 書籍編集部

宣伝会議書籍編集部では、広告・マーケティング・クリエイティブ分野に特化した専門書籍の企画・編集を担当。業界の第一線で活躍する実務家や研究者と連携し、実践的かつ最先端の知見を読者に届けています。

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