第一線のマーケター・クリエイターが明かす、キャリアアップの奥義。今回は、2025年12月からシャープでブランド戦略本部長を務める三田村有香さんにこれまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずではなかったのに…」とならないための、転職情報をお届けします!
━━就活中はどんなことを考えていましたか。
私のキャリアは、結果論ですが、心動かされる偶然の出会いを大切にしてきたからこそ、道が開けてきたと感じています。
就活の時も同様で、やりたいことが定まらず幅広い企業に応募していたなかで心が動いたのがP&Gジャパンでした。その理由は、生活者に身近な日用品という商材、早期から専門性を持てる部門別採用、そしてマーケティング部門の新人をアメリカ本社に送り出す英語研修(当時)です。会社として人に投資する姿勢に驚きましたね。ここなら可能性が広がる、という直感で入社を決めました。
シャープ
ブランド戦略本部長
三田村有香 氏
1996年、P&Gジャパンでマーケターとしてのキャリアをスタート。「SK-Ⅱ」グローバルブランドマネージャーを務めた後、クラーク記念国際高等学校(2010年入社)で広報・マーケティング部門、江崎グリコ(2016年入社)でコーポレートコミュニケーション部立ち上げに従事。2022年、ヤンマーホールディングス ブランド部コミュニケーション部長。2025年12月から現職。国家資格キャリアコンサルタント。
━━P&Gでどんなことを学びましたか。
在籍した約14年の間に、ブランドマーケティングの基礎を学び、実践を積んでいきました。最初の仕事は、化粧品の店頭POPやポスターづくり。地道な仕事でしたが、営業や美容部員の方々と向き合い、生活者の反応を肌で感じたこの現場起点の経験があったからこそ、新商品のコンセプトやCM制作、投資計画といった上流の仕事も、机上の理論ではなく、生活者の視点とつながった形で実行できました。個々人の成長に合わせ段階的に領域を広げるP&Gの育成文化のなかで、視野が育っていったのだと思います。
その後はメディアバイイング、生理用品の日本・韓国担当ブランドマネージャー、そして「SK-II」のグローバルブランドマネージャーを担当。ロジスティクスはインド人マネージャー、マーケティングの同僚はタイ人マネージャー、上司はメキシコ人と、国境を超えた協働が当たり前の環境に身を置きました。「異文化間のコミュニケーションは面白い」という感覚は、グローバルで働くことへの恐れを消してくれました。
こうした積み重ねのなかで、相手に合わせて柔軟に動く力、どんな状況でも折れずに前に進むレジリエンスが身につきました。
━━なぜ教育の道に踏み出したのですか。
通信制高校のマーケティング職に転職したのは、キャリアでもっとも大きな決断でした。P&G在籍中に子どもが生まれたのですが、産休からの復帰後も毎月の海外出張が続くなかで、「子どもとしっかり向き合いたい」という思いが強くなってきました。実は、大学時代に教員免許を取得するくらい、教育に関心があったんです。「いつか教育に関わる仕事がしたい」という気持ちはずっと心の片隅にありました。「小1の壁」も心配でしたし…。そんなタイミングで、転職先となる学校法人の理事長から、「うちでデジタルマーケティングをやらないか」と直接声をかけられました。時短勤務で働き方は大きく変わりましたが、当時の私にとっては「子育て」と「教育への関心」がキャリアの選択理由となりました。
マスメディアン
取締役 国家資格キャリアコンサルタント
荒川直哉
マーケティング・クリエイティブ職専門のキャリアコンサルタント。累計4000名以上の転職を支援する一方で、大手事業会社や広告会社、広告制作会社、IT 企業、コンサル企業への採用コンサルティングを行う。転職希望者と採用企業の両方の動向を把握しているエキスパートとして、キャリアコンサルティング部門の責任者を務める。「転職者の親身になる」がモットー。
ところが入ってみると、前職とは異なる意思決定や組織文化に適応していくのに時間がかかりました。当時、異業種からの中途入社は珍しかったうえ、マネージャーの時短勤務は前例がなく、周囲にとって私は新しい働き方・キャリアの異質すぎる存在だったためです。
チャレンジをしようにもつまずくことが多かったなか、転機となったのはある会議でした。部下への厳しい指摘がなされた場面で、私はどうしても我慢ができず、部下の状況も踏まえて意見を伝えました。それで「建設的に対話ができる人だ」と判断されたのか、その日を境に周囲の態度が和らいでいきました。ようやくチームの一員になれたと感じた瞬間でした。

