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コラム

やかん沸騰日記

ただいまアドフェスト最終日。

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今、タイのパタヤに来ています。
アドフェスト(アジア太平洋広告祭)の3日目、つまり最終日の午後です。
あと、2時間後に最終日の授賞式が始まります。
フィルム、360(統合キャンペーン)、イノーバ(革新的なキャンペーン)、ロータスルーツ(ローカルに根付いたキャンペーン)の授賞式です。
なので、急いで書いています。
これが掲載される時にはもうアドフェストは終わってると思いますが。

アドフェスト初日のプレゼンテーション

この広告祭に参加するのは、7回目なのですが、今回は初日の午後にスピーチをしました。
“How do People experts go beyond People’s expectations?”
というタイトルで、
「人々の期待を上回るための4つのキースキル」
について45分間、英語でスピーチしました。

詳しい内容は割愛しますが、簡単にご紹介すると、
今は、何か欲しいと思ったら、すぐに自分で検索して買ってシェアできてしまう時代。
だから、僕らPeople Expertsは、生活者が「欲しい」と言っているものを提供するだけではだめで、生活者の想像を上回るサプライズや本音を実現しないといけない。
そのためのブレイクスルーのコツを4つのケーススタディを紹介しながら話しました。

アドフェストがパタヤで開催されるのは実は3年ぶりです。
おととしは、政情不安で急遽東京開催になりました。
昨年も、政治的なリスクから、パタヤでなくプーケットで行われました。
そして不運続きだったアドフェストが今年ようやく本拠地パタヤに戻ってきたわけです。

僕は、やっぱりアドフェストはパタヤがいいなあとつくづく思います。
世界一の夜の歓楽街を抱える街ですが、会場が山の上にあるので、昼間は巨大な会場に幽閉されており、セミナーや展示に集中できるし、アジアのクリエイターたちや日本の参加者たちと、広告談義をしたり、再会して近況を報告しあったり、そういった普段できない交流が楽しいのです。

でも、昨年のプーケットには、特別な思い出があります。
昨年のアドフェストは、東日本大震災の直後にありました。
そして、その前にバンコクで、博報堂のアセアン拠点の現地社員たちを集めてケトルの橋田和明とふたりで、8時間の英語による研修の講師をやる予定がありました。
僕は、広告会社の人間は、普段通りに仕事をして経済を支えるべきだと思ったので、バンコクで僕らのレクチャーを待っている現地社員たちのために、予定通り地震の翌日の3月12日の深夜便で、バンコクに飛びました。
羽田空港の待合室で、携帯の地震警告音が何度も一斉に鳴り響いたのを覚えています。

予定通り、バンコクでレクチャーを終え、アドフェストが行われるプーケットに入ったときです。
そこで、ちょっと不思議な体験をしました。
タクシーの運転手やレストランのウェイトレスが、僕らが日本人であることを知ると、こう明るく語りかけてくるのです。
「チュナーミー、チュナーミー」
満面の笑顔で津波と言ってくるのです。
日本は大変なのに、なんなんだ彼らのこの明るさは?

そしてその謎はすぐに解けました。
プーケットは2004年のスマトラ沖大地震で、大津波に被災し、島ごと壊滅状態になったのでした。
僕らに明るく話しかけてくる人たちも、被災者か被災者の家族だったのです。

「俺たちも津波で絶望的だったけど、今のこの俺たちを見ろよ!日本人も大丈夫だよ。」
と語りかけてきてくれていたのでした。
今は、津波で壊滅的だったことを感じさせないにぎやかな街並みです。
なによりも、彼らの笑顔は、復興の最大の証拠だと思いました。
僕らは津波の直接の被災者ではないけど、この彼ら7年前の当事者の励ましは、心に深く届きました。

「彼らの声を映像にして東北の被災者に届けましょうよ」
こう発案したのは、橋田でした。
「なるほど、人の痛みは、痛みを知っている人にしか癒せないな」
「当事者の声こそ、被災者の力になると思うんです」
そんな会話があったのは、その翌日、アドフェスト初日のランチのときでした。

「あの話、一緒にやりましょう!」
「よしやるか!」
僕が橋田にそう答えたのは、ビーチ沿いでのオープニングパーティの会場でした。
そこで、実現に向けてどうしたらいいか作戦会議を始めました。
最低限必要なのは、タイ語でインタビューできる人。
あとは、カメラ、交通手段。できればカメラマンとディレクター。
ふと周りを見回すと、ここは広告祭!
しかもオープニングパーティ。
プロデューサーもディレクターもカメラマンもたくさん集まってるじゃないか!

そこで相談したのは、そのパーティ会場にいた葵プロモーションの山本愛さん。
彼女は、今年アドフェストで授賞式の司会をやっているほどの国際通。
彼女はすぐに僕らの企画に賛同してくれて、タイ語と日本語か英語が話せる人を探すと言ってくれました。

翌朝、ロビーにひとりの背の高い男が座ってました。
彼女が連れてきたのは、ロー君。
タイ語と英語と日本語が話せる新進気鋭のディレクター兼カメラマン。
全てのファンクションが揃っている人材!
すぐに彼とプロデューサーの上保さんとで、前の晩に僕と橋田が作った映像のイメージをすりあわせて、被災地に向かいました。

その日から二日間、バンコク行きの飛行機にのる直前まで、授賞式以外の全ての時間を使って、僕らはプーケットの津波被災地を何か所も回り、当時の被災者に次々インタビューしました。

津波で一瞬にして家族を失った漁師のおじいさん。
波の音と悲鳴しか聞こえなかった当時を語ってくれたレストランのお姉さん。
涙ながらに「日本人、頑張れ!」と語ってくれたお兄さん。

そして、帰国48時間後、Dear Japan, from Phuketという映像を完成させました。
Dear Japan Projectという匿名の団体名で、YouTube上にひっそりアップしました。

それがこの映像です。

最終的には、このインタビュー映像に賛同してくれた多くの人たちの協力、特に橋田が複属している博報堂DYメディアパートナーズのボランティア協力を得て、まず岩手放送で取り上げられ、次に全国のイオンチャンネルで流されました。そして15社のクライアントのスポンサードを得て、ついには岩手・宮城・福島の津波被災が甚大だった3県でテレビCMとしてオンエアされました。
過去の津波被災者の励ましが、最終的に日本の津波被災者に届いたのです。

今日、ついさきほど、アドフェストの最終日で審査委員長たちが今年のアドフェストを語りあうセッションで、最初にこの映像が会場に流されてびっくりしました。
昨年の記憶が頭に思い浮かんだのと同時に、応援メッセージを送ってくれたタイの人たちへの感謝が伝わったような気がして、うれしかったです。

今年のアドフェストも感慨深い3日間になりそうです。

(編集部注)その後開かれた授賞式で、“Dear Japan, from Phuket”はロータスルーツ部門のグランプリに選ばれたことが発表されました。

木村健太郎「やかん沸騰日記」バックナンバー