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コラム

CSR視点で広報を考える

情報操作社会、国民の「知る権利」はどこまで守られているのか

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見えているもの、聴こえているものだけが事実ではない!?

菅直人前首相が自身の10日付のブログで、東京電力福島第一原発事故を検証する国会事故調査委員会が「官邸が頻繁に発電所に介入して指揮命令系統を混乱させた」とする見解をまとめたことに対し、「官邸としてそうせざるを得なかったのが現実だった」と反論していたことが、11日に報道された。

国会事故調査委員会は、多くの関係者から聴取を行い、時間を重ね、独自の調査を経て客観的な視点から今回の見解をまとめている。菅前首相が「そのようなことはない」と主張するためには、相当の証拠と事実関係に基づいた合理的推論が必要となる。

現在は退任しているとはいえ、当時は首相であった人物が、官邸の行動に対する第三者の見解に反論する場合に、自身のブログで意見を述べるというのはいかがなものか?ただ、自分の言いたいことを語るだけでは議論にもならず、その言葉の透明性も見えてこない。真摯に評価を行った国会の事故調査委員会の見解と一個人のブログの書き込みとを同等のレベルでマスコミが並べてコメントするのも疑問が生じる。

通常、事実がひとつであるなら、その対応行動と結果の関係は、理解がたやすく(Simple)、合理的(Reasonable)で、論理的(Logical)でなければならない。しかし、事実がねじ曲げられたり、何かが隠されたとき、対応行動から生まれた結果は不自然で、まがい物に見えてくる。大災害や国家的危機が起きたとき、ときとして国内外でもそのような事態が垣間見える。

米国商務長官に何が起きていたのか?

米国ではジョン・ブライソン商務長官がロサンゼルスで自身の運転する車で交通事故を起こし、その場を逃走、その直後、別の事故を起こしていたと報道されて、騒然となった。その後の報道で、ブライソン氏は「当て逃げの罪で当局が捜査対象としている」とされ、さらに、二度目の事故では車内で意識不明の状態で発見され、病院に搬送されたことも判明し、事故の様相は「事件がらみか?」との憶測も出始めた。

12日になると、一転して、ブライソン氏は車の後輪近くの路上で意識を失って倒れていた、と報道され、その不可解なブライソン氏の行動は「何らかの病気などに伴う健康状態が原因」という情報が主流を占め、その場合の当て逃げの立件は難しい、との流れで急速に沈静化しつつある。

本人は10日に病院を退院しワシントンに戻ったが、マスコミとの接触はなく、オバマ大統領もホワイトハウスで深くはコメントしていない。地元の保安官事務所も広報を通じて、「現場の初動捜査ではアルコールや薬物の使用の形跡はなかった」と発表し、事件性の懸念を払拭している。11日に本人よりホワイトハウスに『発作の治療』に専念したいという意向があり、しばらく休職することが確認されたが、引き続きマスコミはシャットアウトされ、不可思議な事態は依然として究明されていない。

ブライソン氏は、実業家からの起用で、元エジソン・インターナショナル会長兼最高経営責任者、ボーイング社、ウォルト・ディズニー社の取締役も務めた経験を持ち、オバマ政権では鳴り物入りで入閣した重要人物である。オバマ政権が抱える「経済成長」「輸出拡大」「雇用創出」「持続可能な発展」などのミッションを実現させるためのキーパーソンでもあった。

今回の事態は、マスコミはもちろん、一般国民の関心も高いが、その熱気も一気にしぼみつつある。「触れてはいけないものに触れてしまう可能性がある」と思った瞬間、全ての関係者は、その熱気を失う、いや失ったふりをする。このニュースは、あと数日もすると沈静化し、2週間もすればサイトに痕跡すらなくなるかもしれない。

日本では、危機的事実が適切に知らされず、隠蔽されることで、残念ながら国民の無関心さが浮き彫りにされることがよくあるが、米国のような情報管理国家では、「不自然な状況を不自然と言えない」怖さがあり、国民の関心の高さも「情報管制」によって一掃される日本と真逆な状況が存在する。

見えているもの、聴こえているもの、何を信頼し行動を起こすかは、各個人が判断するしかない。また、見えないものを見ようとすること、聴こえないものを聴こうとすることが、日本人には必要かもしれない。

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