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コラム

Webプロダクション進化論

こんな僕でも社長になれた~初めて過去を語ります~

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はじめに

皆様、はじめまして(もしくはお世話になっております)。ワン・トゥー・テン・ホールディングス代表の澤邊です。宣伝会議さんからのお声がけで、アドタイでコラムを書かせていただくことになりました。これから12回、長いですが、毎週アップしていきますので、どうかお付き合い頂けると幸いです。

このコラムでは「Webプロダクション進化論」と題し、ワン・トゥー・テン・デザインのこれまでの歩みの中で経営者視点で感じてきたことや、ディレクターとして現場を多く見てきた経験の中で得た考え方をもとに、Webプロダクション経営者やフリーランスの方、Webクリエイターを目指す方へ、組織とWebサイトの2つのプロデュース手法を私の考えでお伝えしたいと思います。

私のことを直接ご存じの方はお分かりかとは思いますが、コラムにお付き合いいただくにあたり、ご存じない方のためにまずは自身のことについて語らせていただきます。実は創業以来、約14年、ネット上で自らのことについて語ったことは一度もありません。意図的に全身写真も一切掲載してきませんでした。

デザイン会社を経営するにあたり、私自身の状況はまったくもってプラスではなく、組織のブランディングの妨げになるばかりか、ある種の卑怯さを含んでいます。なので実力を試すため、これまでは触れずにいました。ビジネス上は無意味だからです。

しかし、怪我からこの4月で20年を迎え、何かが変わったのか。このことも含め、このコラムでは書き、理解していただこうと思い至りました。

私は今や110人の社員を率いていますが、「手足がまったく動かない上肢下肢一級身体障害者」です。

全てを変えた18歳の長い一日

それは1992年4月1日の零時を過ぎたころでした。夕方からのゴルフ練習場でのバイトを終え、もらった3月分の給料でバイト仲間2人とカラオケに行ったあと、食事をしようと単車でファミレスに向かっていました。私は数日前に単車同士の接触事故で自分の原付を大破していたため(懲りないヤツです)、友人の単車の後ろに乗っていました。そして、自宅近くの川を渡る橋の手前に差し掛かったところで、右に強い光を感じました。

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ガ~ン。

強い衝撃が身を包み、体が宙に投げ出されたことがわかりました。
「うわ、はねられた!」
意識はすぐになくなりました。
何分かたち、「救急車を呼んだから!」と泣き叫ぶ女性の声が遠くから聞こえてきました。

その瞬間、はっと目を覚まし起き上がろうとしました。しかし、まったく体が動かない。なにかがおかしい。これはもしかして重症?
アスファルトの上の砂を口にくわえながら、また意識を失いました。

2年半のリハビリの後、つかんだこと

せいぜい1カ月と思っていたところ、首の骨を脱臼して神経を痛めたからすぐの退院はおろか、障害が残るとの医師の話。入院や病気など無縁だった自分には、「一生体が動かない」なんて、どう考えても受け入れられない。

そんなばかなことがあるか。花のキャンパスライフが待っているんだ~。と一切信じていませんでした。リハビリをさぼったやつが車椅子に乗ってるんだ。そうに違いない。俺は絶対治してみせる。そう思い、約2年半、4つの病院を転々とし、最後は二番目の病院(兵庫医科大学)で仲良くなった友人の紹介で、日本トップクラスの兵庫県立総合リハビリセンターに入り、リハビリの世界で非常に有名な理学療法士の先生に担当してもらうことになります。しかし、結局体は治りませんでした。

努力は報われるとは限らないということを痛感させられました。
そして目的を「治す」から「生活する」に切り替えました。若者の頭では受け入れがたい、何か分からない理不尽さと闘うために。

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会社設立までの道のり

21歳になり、どうしても障害者であることを受け入れられないまま、もういっそ、受け入れないまま生きよう。いつか医学が進歩するはずだ。と決め(これが前向きスイッチをオンにするきっかけでした)、退院後、家族と友人の支えで大学に復学することとなりました。自分から見えてる世界は同じだ。そう言い聞かせていました。

しかし、同じには見られないのです。

前とは違う世界がそこにはありました。もう立派な障害者なんです。(今でこそないですが)当時「自分で車椅子をこがないとだめよ」や「お大事に」「坊っちゃんかしこそうね」と言われるたびに、「しばくぞ、てめえ」と思っていました(ごめんなさい)。実はこういった経験が画一的に自己中心的に見ていた景色に変化をもたらします。人は見た目や状況で判断してはいけない。本質は見えないものだと。

もともと負けず嫌いなので、失ったものを埋めるにはどうすればいいか必死に考えました。で、一般教養が終わる頃、ふと重大なことに気づきます。

「自分はなにがしたくてこの大学(京都にある理系の国立大学です)に入ったんだろう?」
空っぽでした。偏差値の声にしたがっただけで、なにも目的なんて無い。

そもそも世の中にどんな仕事があるかもよく知らない!
さらにこの体じゃ普通に就活もできない! 俺は一生働けない!
一生、障害基礎年金でくらすのか! じゃあなんのために大学に行っているんだ!

実は怪我をしたことよりも、このことに気づいたときこそが本当の絶望でした。

そして、この後、24歳でワン・トゥー・テン・デザインを創業、6年半かけ大学を卒業します。
そのお話は次回。

澤邊流経営哲学

私は主語が自分にない人が嫌いです。あれが悪い、これが悪い。できない理由はいくらでもあります。しかし、私はできない理由に取り囲まれている状況なので、自らでできることを探す人生を送ってきました。だから、私は社員の自主性を尊重し、自発を促す環境作りを絶えず意識しています。クリエイターにとって、最も重要な自己実現のモチベーションと自己承認欲求。これを理解できない経営者はじり貧になる運命です。

私は不幸にも多感な時期に入院で多くの時間を無駄にしました。しかし、多摩大学大学院教授の田坂広志氏いわく、古来より優れた経営者には、投獄・大病・戦争のような生死にかかわる経験をしたことがある人が多いと言います(戦争は倒産に置き換えてもいいと思います)。私は自らを優れた経営者だとは思いませんが、上記に共通するのは、もて余すほど自分を見つめる時間を(ある種強制的に)もったかではないかと考えています。

まああまりこういうことばっかり言うと堅苦しいので、普段の適当男で今後は進めたいと思いますが、私がどういう視点でコラムを書かせていただくか、少しご理解いだだけたら嬉しいです。ではよろしければ次回もお付き合いください。

澤邊 芳明「Webプロダクション進化論」バックナンバー