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コラム

広告の未来の話をしよう。COMMUNICATION SHIFT

澤本嘉光さんに聞く(後編)「広告の未来は、広告をつくっている僕らが決めることができる」

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澤本嘉光さんに聞く(前編)はこちら

澤本嘉光 プロフィール:
1966年生まれ。電通コミュニケーション・デザイン・センター クリエーティブディレクター、CMプランナー。主な仕事に東京ガス「ガス・パッ・チョ!」、ソフトバンクモバイル「白戸家」など。クリエイター・オブ・ザ・イヤー、TCCグランプリなど受賞。


<前半>からの続きです。

僕は、現世に懐疑的なんです。もっとなんとかした方がいいんじゃないかと思っている。

並河:CMは、ブランドや企業のトップの人の意志をきちんと反映するものというのは分かるのですが、そこに、作り手である自分の意志はどう関係しているのか、ということをよく考えます。

澤本さんは、自分が作ったCMが、毎日、大量にオンエアされているわけですが、そのCMに、こんなメッセージを込めたいとか、社会に対してこういうことを伝えていきたいとかって、そういう意思はありますか?

澤本:CMは、あくまでも広告主が発信するもの。でも、CMをつくっているうちに、自分の言いたいことも混ざっちゃっているのかなというのはあります。

例えば、スポーツのCMで「あきらめるな」みたいなコピーを書いたとしても、いつも、そういう風に言っている訳じゃなくて、こういう商品をお題としていただいたから、こういうメッセージを発信してもいいかなって思って書いているわけです。

毎朝、通勤途中、電車に乗り遅れそうな人に、いつも「あきらめるな!」とか言っているわけじゃない。「あきらめるな、と普段から思ってるから、俺はCMでもそう言いたい!」っていうのはないわけで(笑)。

並河:澤本さんは、寺山修司さんが好きと聞いたことがあるのですが、実は、僕も大好きで。寺山修司さんは、よく「芸術で世界を変えていく」と言っていましたよね。確かに、彼は、アートを作るだけじゃなくて、それで既存の固定概念とかを、ずらしたりとか変えたりとか、社会の変革を目指していた。

お父さんが犬になっていたりとか、そういう澤本さんの表現も、既存の何かをずらそうとか、気づきを与えようとか、社会的に、寺山修司さんがやろうとしていたことを、澤本さん自身も意識してやっているのかなって、僕は勝手に想像していたんです。

澤本:メッセージとして、確かに、そういうものを持っていると思います。僕は、基本的には現世に懐疑的なんですよ。もっとなんとかした方がいいんじゃないかと思っていて。また、固定概念を一部分ずらすという手法は、CMの表現手法としても、面白さが明快なんです。

とにかく、サブカルチャーがやりたかった。

並河:元々広告って、既存の考え方よりも少し先の考え方を示したり、視点変えて気づきを与えたりとか、そういう存在だったと僕は思うんです。

昔の広告雑誌を見ると、広告が今よりもずっとアングラで、サブカルで、世の中でいちばん新しい表現が生まれる場所だったように思えるんです。

そこが若い人たちに支持されて、広告の世界に入りたいって若い子たちがたくさんいた時代があったのに、いつのまにか、そうではなくなってしまった。

でも、澤本さんが作っているものって、サブカルチャーの匂いがある。だから、若い子に支持されているんだと思うんです。

澤本:そう、そう。自分は、とにかく、サブカルチャーがやりたくて、それがやれるんだったら広告じゃなくて映画でもバンドでも良かったんです。

ちょうど、僕が将来の仕事を考えていた頃に、糸井重里さんが出てきて、広告が、すごくサブカルで。自分が大学入って、会社に入って、サブカルっぽいことをやろうとすると、やれそうな会社は電通だった、というのが、電通に入った理由だから。これを、ずっと続けられているといいなという感じですよね。

並河:澤本さんはずっと続けているんじゃないんですか?広告の真ん中にいながらも、サブカル的なことをやり続けている。それは、「カルチャーとしての広告」というものを、澤本さんがずっと守ろうとしているということなんだと思っています。

澤本:すごく恥ずかしいんですけど、高校生の時に何になりたいのかって聞かれて、「文化人」と答えてしまったことがあって(笑)。文化人ってかっこいいなって思っていたんですよね。

広告をつくる環境の中には、広告を批評しあえる場が必要だと思う。

並河:「カルチャーとしての広告」が生まれる土壌や環境を僕らが作れているかどうかについては、どう思いますか?

澤本: 多分、そういう環境を作ろうと思っている人が少ないんじゃないかな。

文化っていうのは批評精神だから。現状に対する批評というところが、いちばん大事なんです。「広告批評」という雑誌がなくなったってことは、結局広告を批評できなくなったってことかもしれない。

文化って、基本的に、悪口と嫉妬からスタートするんです。いろんな作品を見て、これはこういうところがいけないとか、こうしなきゃだめだとか。昔のフランスの画家たちのサロンの時代から、ずっとそう。

例えば、このあいだ、Facebookで、ある方が、人のことをきっちり批評していて、かっこいいなあって。「最近このページ読んだけど、がっかりした」と。俺だったら、「そんなこと言うなよ」って思われるのが嫌だから書けない(笑)。リスクを負いたくない(笑)。Facebookに書きこんで、まずいまずいって、1分後くらいに消したりしてる(笑)。

いま、世の中、批判や批評がしにくいと感じています。

飲み会でもカラオケでもいい。悪口言ったり、誉めあったり、広告をつくる環境の中には、広告を批評しあえる場が必要だと思うんです。

並河: たぶん、世の中から、「広告って、どんなモノでも、良いって言う」と思われてしまっている。そういう意味では、広告にとって、批評精神とは、安全装置みたいなものかもしれないですね。広告には自ら批評する精神があってこそ信頼される、と。

広告の今のシステム自体についても、「今はこういうシステムだけど、これからはもっとこうしていったほうがいいんじゃないか」という今日のような批評を、もっとみんなでできる場があればいいのに、と僕は思います。

澤本さんが、今日、最初に話されていたように、広告がよくなっていくためには、広告がつくられる環境や条件がどうあるべきか、広告をつくっている僕らが自分たちで考えて決めることができるんですよね。なのに、なぜか、広告という枠組みは最初からそこにあって、その中でなんとかしなくちゃいけないと僕らはつい考えてしまう。

本当は、その枠組みを決めていくのも、僕らなんですよね。

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「COMMUNICATION SHIFT」第2回は、永井一史さん(HAKUHODO DESIGN)とお話しします。
タイトルは、「デザインとは、もともと社会のためになるもの」。

8月22日に更新予定です。

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