コラム

脳のなかの金魚

彼女は何と何と何と何でできているのか

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「生まれつき」より「その後」、「その後」から「現在」

これを、僕は、「育ち」と呼びたいのだ。そして、それを優性な成分と認識して、クリエーティブ・パースンにとって貴重なものと考えたいのだ。ここで言う「育ち」とは、当然、家が金持ちとかは1ミリグラムも関係ない。

今までの人生で、どれだけいいものを見て、どれだけいいものを聴いて、どれだけいいものと接してきたか。

今までの人生で、どれだけ自分のアタマで考え、どれだけ自分のコトバで話してきたか。

今までの人生で、受けてきた愛情の質と量の総体。

というような意味内容を「育ち」と謹んで呼びたい。話がだんだん感じ悪くなってきてるが、ひとつめも、知識・勉強のようなことだけを指すのではなく、年中一緒にいる人、なんとなく近くにいる人、初めて出会うリスペクトできる人、いわばコンテンツとしての人々が決定的な作用を及ぼすことを指す。

要は、「生まれつき」より「その後」。「その後」から「現在」に至るまで呼吸し続ける酸素の質のようなこと。

ものを考え、ものを創る仕事を始めた初期段階のありよう、これは実践的に言えば、パーソナルな問題というより、クリエーティブ的環境問題だと思われる。パティ・スミス周辺だけでなく、アンドレ・ブルトン、キキ周辺、ルーカス、スピルバーグ周辺、ヌーヴェル・ヴァーグ、手塚治虫たち、トキワ荘などなど。

才能と簡単には規定できない、個々の「なんらかのもちもの」を持ち寄り、それぞれ異なるクリエーティブ・フェロモンのようなものを撒き散らし合う環境がいかに滋養強壮にいいか。まるで局長みたいなことを言うようだが、僕などほんとはもっとちゃんと設計して、それを後輩たちに渡す義務がある。たぶんある。
 
三谷幸喜が『コンフィダント・絆』という芝居を書いている。あまり知られてない作品だが彼のベストのひとつ。登場人物は画家志望の4人。現世的に成功しているスーラ。まったく売れず理解もされないが圧倒的な天分を誇るゴッホ。彼に嫉妬できるレベルの才能ゴーギャン。全体の世話役だがまったく才能のないシュフネッケル。彼はそれでも、スーラ、自分、ゴーギャン、ゴッホという能力順だと信じて疑わない。

残酷だ。気持ちいいほど。自分にほんとに才能があるのか、金は一銭もない。友達でありながらお互いの能力を値踏みしあい、自分を天才と信じた1秒後に自分にはひとかけらの才能もないと絶望したり、友人に全財産を差し出すほどの完璧な善意と友人から全財産を騙し取るほどの底知れぬ悪意とが交互に現れる。なにものかたらんとする若者が大昔から繰り返してきた滑稽なまでの純粋さ。
 
確かなのは、パティ・スミスもジミ・ヘンドリックスも、ゴッホもゴーギャンも、その時期にしか持ちえない、誰もが持ちえるわけではない、貴重ななにものかを明らかに持ちえたということだ。それはたぶん、その後の人生のクオリティのようなことを決定するものだと思う。そりゃ聴いてて胸に来ます。 
 
なぜ彼らについて語るのかと聞かれて、パティ・スミスは答えている。

“So many gifted people around me didn’t survive. Keep these people alive.”

生き残った者は語らねばならない。『白鯨』のイシュマエルのように。


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