メール受信設定のご確認をお願いいたします。

AdverTimes.からのメールを受信できていない場合は、
下記から受信設定の確認方法をご覧いただけます。

×

片岡英彦×山田まさる×中川淳一郎「戦略PRはどこへ行く?」(1)ブロガーイベント失敗の理由

share

ブロガーイベント失敗の理由

中川:「ブロガーイベント」とかも、今さらやりましょうって言うのは恥ずかしいですからね(笑)。

片岡:そうですね(笑)。だからこそあえて、今ここでやってみるとかえって話題になるかもしれない(笑)。

山田:でも今もやっている企業もあるわけで、ああいうイベントの効果ってどうなんですか?

中川:「有名ブロガーが10人書きました」「トラックバックしまくってコメントが200つきました」みたいな話を社内で報告すると上司に「おお、すごいじゃないか」なんて言われるのが最大の効果だったんじゃないでしょうか。「すごい」の基準がよくわからない時代だからこそ、広告のプランナーが使えた手法だと思います。

コミュニケーション・プロデューサー 国際NGO「世界の医療団」 広報責任者 片岡 英彦

片岡:まだどのサイトも総ページビューが多くない時代は、可視化しやすく分かりやすい指標だったんでしょうね。実は僕もクライアント側にいたときに一度トライしてみて失敗したことがあるんです。ある新商品を訴求するにあたって、1000人くらいの若い女性に映画の試写会に参加してもらい、全員にその場で試食もしてもらうという施策で。映画の幕間にも舞台上でトークショーをしながらゲストに試食してもらって、その様子を後からフリーペーパーに掲載しウェブTVでも放送するというスキーム。

山田:1000人は大変でしょうね…。

片岡:ええ。でも何が失敗したかというとクリティカルマス(急速に市場での普及が広がるほどのボリューム)に1000人程度では全く達しないんですよ。別に選んだ媒体が悪いわけじゃなくて、露出が具体的に何人に達したのかという意味で圧倒的に足りませんでした。それで行き着いた結論は、簡単に「戦略PR」とか「空気づくり」とか言っても色々やり方はある、だけど最後に苦心するのは「露出量の不足」「届かなければ入らない」なんだなと。

「ワシが仕掛けた!」PR列伝

中川:クリティカルマスの話で言うと、僕が1997年に博報堂に入った当時、CC局のおっさんたちが80年代の武勇伝を語りまくってたんですよ。「ワシがやった」と(笑)。いくつかネタがあって、一つはロサンゼルスオリンピックの時の、コカ・コーラのキャンペーン。原宿の竹の子族が踊るなか、皆でヨーヨーで遊んでみたらメディアに取り上げられてヨーヨーが大ブームになったとか。オレも感動して「すげー!こんな仕事ができる会社に入ったんだ!」なんて思ってたんですけど、これって今の時代なら「戦略PR」って呼べるんですかね?

山田片岡:あははは(笑)。

中川:あと「スベルト」っていう塗って痩せるクリームね。「銀座の百貨店に1000人並ばせたのはワシだ」って人もいた。それと旅館が払う税金の値上げに反対しようってことで、旅館の女将たちを47人集めて「旅館女将47士討ち入り」とぶち上げて国会まで行進したとかって話もあったな。赤穂浪士の討入りの日に実行して、先頭の吉良上野介の役を山形のジェニーさんという白人の女将にしたと。「どやっ!」なんて言わせて(笑)。バカバカしすぎて、戦略PRとは呼べないのかな(笑)。いや、かなり戦略的だと思うんですけど……。つまり、昔から名前はついていないながらも、「戦略PR」的考えはあったんじゃないかと思うんですよ。

片岡:商品が結果的に売れたから後世に語られている、ということだと思いますよ。売れてなかったら「ワシが仕掛けた」なんて誰も言わないでしょうし。「ワシが松田聖子を育てた」という芸能関係者がたくさんいるっていうのと同じで(笑)。

<後編へ続く>
(本文中・敬称略)

『戦略PR講座』
広告が効きにくい時代、何が生活者を動かしているのか
Webとソーシャルメディアの普及によって、広告メディア(ペイドメディア)一辺倒のマーケティング活動は、大きく軌道修正を迫られるようになりました。宣伝会議は、この変化に危機感を覚えるマーケターを対象として、「戦略PR講座」を開講いたします。

詳細はこちら