コラム

長谷川、カヤックやめるってよ。

秋山具義がアートディレクターをめざすキッカケは糸井重里

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会社のなかを自分で営業してまわっていた

長谷川:入ってみて、どうでしたか?

秋山:入社したのは、ちょうどバブルがはじけたくらいのときで、4~5年間はめちゃめちゃ忙しかったです。人間関係のストレスで円形脱毛症になったこともあるし。当時は、どんなに小さくても、良いものをつくれば評価してもらえると思っていたけど、途中でそんなことはないと気づいたんですよね。ふっきれて、好きなことをやろうと思いました。それが4年目のときかな。

長谷川:そこから、働き方は変わりましたか?

秋山: 自分で勝手にアートディレクターの名刺をつくって、そのとき、名前の読み方を本名の「ともよし」から「ぐぎ」に変えちゃったんですよ。それで、会社のなかで面白そうな仕事をしている人のところへ行って、何か仕事はないか聞いて回って営業していました。そのうち、バンタンデザイン研究所に講師として呼ばれたり、『広告批評』の対談に呼んでもらったりと、社外での活動もだんだん増えてきたんですよね。

長谷川:社内にいながら、独立しているみたいですね。入社前から、いつか独立したいと思っていたんですか?

秋山:はい。でもだんだん、独立したいというより、独立しないと好きなことができないな、と思い始めたんです。社外での活動は人事の方もあまりいい顔はしていなかったし、大きい会社にいると自分の下につく人も選べないし。当時、精神科医の斎藤茂太さんの本をけっこう読んでいたんです。社会人になりたての頃、精神科医の斎藤茂太さん(斎藤茂吉の息子であり、北杜夫のお兄さん)の本をけっこう読んでいて、ある本のなかに「10年後の自分の未来を書きなさい」というページがあって。ちょうど自分にとっての10年後が、ちょうど2000年から2001年になる世紀の変わり目だったんです。だから「2000年には自分の名前で仕事をできるようになっていたい」と書きました。10年後に達成するために、1年後、3年後、5年後、7年後に何をやるべきかを書き込むんです。それを毎年見直すといい、と書いてあったのでその通りにしたら、見るたびに気持ちが調整されるのか、自然と10年後には目標に近づけているものなんですね。1999年の7月に、会社を辞めて独立しました。

独立しても、最初の頃は仕事がなかった

長谷川:独立してみて、どうでしたか?

秋山:広告の雑誌にもたくさん出ていたから、最初からバンバン仕事の電話がかかってくると妄想してたんだけど、実際はそれほどなかったんです。一応、円満退社だったけど、もともといた会社からも依頼はほとんど来なかったし。最初に声をかけてくれたのは、コピーライターの谷山雅計さんでした。これは本当に助かりましたね。だから、独立して最初の仕事をくれた人は絶対忘れないと思うよ。それから人の紹介とかで、だんだん仕事が増えてきて、ある程度お金になる仕事が入ると、そのぶん自分の好きなことができるようになってきました。

長谷川:独立して、仕事も働くスタッフも選べるようになったんですね。ちなみに、「デイリーフレッシュ」という社名の由来は何ですか?

秋山:これは、糸井さんがつけてくれたんです。「今度、独立するんです」と相談したら「デイリーフレッシュは?」って。そのあと、何かの取材で、立ち上げる会社の社名を聞かれたので、「デイリーフレッシュにします」と言ったら、「どっちの『デイリー』ですか?」と質問されたんですね。そこで初めて、「デイリー」には「Daily(毎日)」だけじゃなく「Dairy(乳製品)」という意味もあると知りました。「毎日新鮮」より「新鮮な牛乳」のほうが面白いなと思って。だから、会社をつくって最初にしたのは、牛乳パックをつくって、そこに会社のロゴが入ったTシャツとマグネットと挨拶状を入れて送ることでした。真夏に、色々な人のデスクに牛乳パックが届く。それってなんか面白いし、話題になるでしょう。電話番号の語呂合わせもメールアドレスも、ぜんぶ「ミルク」にちなんでつけていたんですよ。

次ページ 「広告という狭い世界を出て、もっと“広く”いたい」へ続く


コピーライター養成講座 拡散コース
長谷川さんに加え、藤本宗将さん(電通)・眞鍋海里さん(BBDO J WEST)の3名を講師として、媒体、コンテンツを問わず機能し、拡散していくクリエイティブの在り方について学び、今の時代に「コピーライター」として生き残る術を考える「コピーライター養成講座拡散コース」を開講しています。
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