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コラム

マーケティングを“別名保存”する

企業にとって不可欠な広告は、消費者にとっても「価値」があるのか?

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私は、広告宣伝の仕事をしています。ブランドマーケティングです。私の仕事を説明するために、ちょっとだけ回り道をすることを許してください。

高校生の頃のことですが、図書館で大学受験のための勉強をしているとき、気晴らしに手に取ったカーネル・サンダースの伝記を、ついつい勉強そっちのけで読み込んでしまったことがあります。

40以上もの職を転々としたサンダースが、ケンタッキー州の小さな街コービンにガソリンスタンドを開設し、そこに併設するカフェで自慢のフライドチキンを給する。そしてやがてそのフライドチキンが、あの「ケンタッキーフライドチキン」になるまでの軌跡が、そこに描かれていました。
 

開発に9年の歳月を要した秘伝のスパイスは文字通り秘伝で、社内でも限られた人しかレシピを知ることはできない。オリジナルのレシピは水ではなくミルクをつなぎにしている。仕上げは専用の圧力フライアーで、じっくり圧力をかけながら揚げていく。

田舎町の小さなカフェから、フランチャイズという独自のビジネスモデルを構築するまでの波瀾万丈のストーリーと、そんなサンダースのフライドチキンに対するこだわりを読んでいるうちに、たまらなくフライドチキンが食べたくなり、ちょうど帰り道にあったケンタッキーフライドチキンに立ち寄って、フライドチキンを1ピース買って頬張りました。
 
すると。フライドチキンがいつになく美味しく感じるのです。それまでケンタッキーのフライドチキンは何度も食べたことがありましたが、その時の味は明らかにそれまでとは異なるものでした。それ以後、今日に至るまで、ケンタッキーフライドチキンは私にとって特別な存在です。

この「美味しくなった」分の価値は、マーケティング的にいうと「知覚価値が増えた」ということになるのですが、商品ではない何者かによってもたらされたことは明らかです。そんな価値、モノに上積みされる、見えないながらもしっかりと知覚できる価値を生み出すのが、ほかならぬブランドマーケティングなのです。
 
モノの価値、というのは相対的なものです。思い出がたくさん詰まった愛車は、オーナーにとっては、中古の市場価格以上に価値あるものに違いありません。大切な人からの贈り物は、そこに想いがあるからこそ、より一層の価値があるものです。

ブランドマーケティングにおける広告宣伝というのは、言ってみればそんな「思い出」や「想い」のような特別な価値を、モノにあらかじめ付与する行為です。それは時に自分の中に構築される思い入れのようなものであったり、他人に対して自分を表現してくれるある種のアクセサリーのようなものだったりします。
 
もし、ブランドマーケターである私が、100人のうちの1人として火星の植民地にいたら。私は火星の限られた物資から生み出された限られたモノに、そんな新しい価値を付与することができます。しかも、そんな価値の生成に、原材料はいりません。必要なのは、他の99人の日々の営みからストーリーを引き出す洞察力と想像力だけです。

そうして生み出された新しい価値は、例えば火星のフライドチキンをよりおいしくするでしょうし、「思い出」や「想い」がそうするように、人々の心をより豊かにするでしょう。