#非進化論7:生まれ変わってもグラビアがしたい(グラビアアイドル:浜田翔子さん)

今回の仕事人

今回たずねた

仕事人は…グラビアアイドル:浜田翔子さん

ある夜、事務所のテレビでバラエティ番組を見ていて、とあるフレーズに引っかかりました。「アイドルDVDリリース史上最多」(2016年10月現在、51枚)。そんな肩書きとともに画面に登場したのは、高校生みたいに小柄でニコニコした女の子でした。
人の入れ替わりが究極的に激しいグラビアの世界で10年以上も活躍し、50本以上のDVDをリリースしてもなお、前向きに活動を続ける浜田翔子さん。一つのことを突き詰め続ける生き方に迫ってきた「非進化論」的に、絶対にお話を伺うべき人なのではないかと考えました。
とある初秋の昼下がり、テレビや雑誌でのイメージそのままに、ニコニコと事務所にいらっしゃった浜田さん。ふんわり穏やかな対談になるかと思いきや、骨太な覚悟と意志に裏付けられた言葉が次々に飛び出して、空気が一気に熱くなるのを感じました。

レースクイーンから始めたキャリア

渡辺:

浜田さんが、この仕事に就いたきっかけを教えてください。

浜田:

モーニング娘。さんに憧れてオーディションを受けてたんです。何度か1次通過、2次通過はしたんですけど、最終的にはいつも合格できなかった。

あるとき、地元の京都から東京に遊びに来た帰りに、今の事務所の方にスカウトされて「東京に来ない?」って言われて。それで高校も編入して、すぐに東京で芸能活動をはじめました。

渡辺:

そもそも芸能界に憧れていたんですね。

浜田:

かわいい女の子が大好きで、テレビで歌番組を見ながら、こんなふうにかわいくなりたいって、いつも思っていました。

渡辺:

レースクイーンからのスタートだったんですよね?それはどういう流れで?

浜田:

レースクイーンって、“ハイレグのキレイ系お姉さん”がやっているイメージだったんですけど…私が入った頃は、ちょうどかわいいコスプレ服が多くなった時代だったんです。私、コスプレが好きだったので「レースクイーンがやりたいです」って、自分から事務所の人に言いました。

渡辺:

その当時は、ここまで長くこのお仕事を続けていくってイメージはしていましたか。

浜田:

思ってなかったですね。20歳の時、日テレジェニック(※日本テレビが選出するイメージガールプロジェクト)だったんですけど、その時の未来予想図には、「26歳ぐらいで実家に帰って、また1年ぐらいして戻ってきて、30歳ぐらいからいい人を探す」って書いていたんですよ(笑)。まさか、30歳まで続けているとは思わなかったです。

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渡辺 潤平(コピーライター/渡辺潤平社代表)
渡辺 潤平(コピーライター/渡辺潤平社代表)

渡辺潤平(わたなべ・じゅんぺい)
コピーライター。渡辺潤平社代表。1977年生まれ。千葉県船橋市出身。早稲田大学教育学部卒業。2000年博報堂入社(第2MD局、第3制作局、第2CRセンター第5制作室)、2006年博報堂退社、同年6月よりground LLCへ参加。 同年12月よりフリーランスとして活動開始。2007年に渡辺潤平社を設立。

渡辺 潤平(コピーライター/渡辺潤平社代表)

渡辺潤平(わたなべ・じゅんぺい)
コピーライター。渡辺潤平社代表。1977年生まれ。千葉県船橋市出身。早稲田大学教育学部卒業。2000年博報堂入社(第2MD局、第3制作局、第2CRセンター第5制作室)、2006年博報堂退社、同年6月よりground LLCへ参加。 同年12月よりフリーランスとして活動開始。2007年に渡辺潤平社を設立。

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