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ニホンゴ・ラボ

日本人が知らない「ニホンゴ」って何だ?【後編】

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【前回の記事】「日本人が知らない「ニホンゴ」って何だ?【前編】」はこちら

前編では、外国語しての「ニホンゴ」や、国語が必ずしも「ニホンゴ」とは限らないという点についてお話しました。後編では、私たちの知らないニホンゴの不思議に迫ります。

「発音」は社会的な能力とは関係ありません!

拗音(ようおん)、拍感覚以外にも、多くの外国人が日本に来ている今だからこそ、私たちが知っておくべきことがあると国立国語研究所の石黒 圭教授は言います。それは、私たち日本人がつい外国人の「発音」を「社会的評価」と結びつけてしまいがちということです。例えばこんな具合です。

あるアジアからの技術研修生が大手の自動車工場を訪問したときに、研修生が「ワタチ、ワタチ(私)」と発音しているのを聞いて、工場長は引率者に「この人たちは、ちゃんと仕事ができるのか」と真顔で聞いたという。

土岐哲(2005)「音声研究と日本語教育」『開かれた日本語教育の扉』スリーエーネットワーク

この工場長が言わんとしていることは、私自身も理解することができます。つまり、「ワタチ」という発音がまるで「幼児の言葉使い」のように聞こえ、イコール「仕事の能力が低い人」と感じたということでしょう。一方で、もしもこれが「ワターシハ、デスネ」といった、いわゆる「西洋外国人風」に発音する人だった場合、それだけで逆に「知的」に感じてしまう人もいるかもしれません。でも冷静に考えてみれば、そのどちらも「偏見」でしかなく、彼らの仕事の能力とは一切関係ありません。

国立国語研究所 石黒 圭教授

とはいえ、ではなぜこんな簡単な発音を間違えてしまうのか。日本人にとっては、「し」と「ち」は英語の「b」と「v」のように混乱を招く似た音ではなく、明らかに異なる音です。石黒教授の調査によると、これは特にタイ人の日本語学習者によく見られる現象のようで、タイ人が苦手な音として「し」→「ち」、「つ」→「す」と読み換えることが頻繁に発生するそうです。

「親友」=「ちんゆう」
「出身」=「しゅっちん」
「時間」=「ちかん」
「真面目」=「まちめ」
「一つ」=「ひとす」
「暑い」=「あすい」

私にもタイ人の知人がいますが、「確かに!」と思い当たる事例ばかりでした。問題はその理由です。実はこの原因は、私たちがローマ字を習った際に覚えた「訓令式」と「ヘボン式」の違いにありました。ここではローマ字に関して詳しく述べませんが、「ヘボン式」というのはひらがなをより英語の発音に近づけるために開発されたもので、パソコンなどのテキスト変換時はおそらくこの「ヘボン式」ローマ字でタイプしている人が多いはずです。

50音図をローマ字表記にすると、基本的には[a/i/u/e/o]を各行のイニシャル[k]や[n]などのアルファベットと融合させて[ka/ki/ku/ke/ko][na/ni/nu/ne/no]と表記します。

ところが「ヘボン式」の場合、サ行は[sa/shi/su/se/so]と書き、タ行は[ta/chi/tsu/te/to]と表記します。他にも、ハ行の「ふ」は[fu(×hu)]、ザ行の「じ」は[ji(×zi)]となるため、例えばメーカーの富士通は[Fujitsu]と表記していますが、訓令式(ハ行は[h]/ザ行は[z])で表せば本来は規則通りに[Huzitu]となります。

つまり、このようなローマ字表記の「変則的な箇所」が、ある文化圏の人たちにはとても発音しづらい箇所となり、学習者にとってのわずかな違い(例:「tsu」の「t」だけが抜けて「su」になる)が、日本人にとっては大きな発音の違いとなって聞こえてくるというわけです。

「し(shi)」→「ち(chi)」
「つ(tsu)」→「す(su)」

「英語」の場合は、母国語として英語を話す人よりも第二外国語として話す人口の方が多いため、発音や語彙の違いにネイティブも慣れていて寛容だと言われています。
一方、日本語は基本的に日本国内でしか聞かないため、日本人は変わった言葉使いに敏感になってしまうのかもしれません。いずれにしても、「発音の善し悪し=社会的評価」としてしまうのはできるだけ避けたいものです。

ニホンゴ=「人称詞」のデパート

ここまで見てきたように、日本語は「ニホンゴ」として見始めた途端、いろいろな発見ができます。その中でも、最後に紹介するのは個人的にもっとも面白いと思っているニホンゴの特徴です。それはずばり「人称詞」。人称詞とは、「一人称」「二人称」と言われるもので、英語ではそれぞれ「I」と「You」に相当します。それしかありません。ところが、改めて日本語の一人称/二人称を書き出してみると、とんでもなく豊富に存在していることに気がつきます。

一人称

わたし/ぼく/おれ/わたくし/あたし/あたい/うち/おら/おいら/自分/わし/拙者/小生/我輩 etc.

 

二人称

あなた/きみ/おまえ/きさま/てめえ/あんた/おたく/そちら etc.

数が多いだけでなく、それぞれの言葉で表現できるニュアンスもすべて異なり、「年代」や「性別」、「カジュアルさ」や「フォーマルさ」など個性の違う種類から選ぶことができます。さながら「人称詞のデパート」のようです。しかし残念ながら、これらは輸出できません。かの有名な小説『吾輩は猫である』は、英訳版では「I am a cat」。どうにもニュアンスが出ていません。

一方、日本語に翻訳する際は、例えば「I can do it」は「私はできます」「僕ができるよ」「俺ならできる」といくらでもニュアンスの異なる文章をつくることができます。相手や場所によって当然のように人称詞を変えてきた日本人からすると、「人称詞の選択肢がない」ということが逆に想像できません。そんな人称詞に関しては専門家レベルの私たち日本人ですが、ちゃんと理解できているのかと言えば、そうでもありません。例えば、次のような「素朴な問い」を投げかけられると、思わずハッとしてしまいます。

二人称は、 「おまえ(御前)」「きさま(貴様)」「てめえ(手前)」など、漢字で書くと本来は丁寧な表現なのに、現在では乱暴なニュアンスを帯びているのはなぜなのでしょうか?

確かに、現代では余程のことがない限り使わない表現です。しかし、よくよく考えてみれば、今でも丁寧な表現だと思っている「あなた(貴方)」や「きみ(君)」も日常生活ではほとんど使用していません。実際に使っているのは「相手の名前+さん」付けの表現で、もしも「君は〜」などと言ったり、言われたりすれば、「上から目線」という雰囲気か、もしくは「気取った人」に思われてしまうのではないでしょうか。つまり「二人称」というのは、実は使えば使うほど「自分と相手との間に境界線を引く」コミュニケーションで、専門的には『敬意逓減の法則』と呼ばれるものです。しかし、なぜ使えば使うほど距離ができてしまうのか、謎はまだ残ります。

「ゼロ代名詞」という名のイノベーション

そもそも、日本語には英語の「I」や「You」のような決まった人称表現はないのか。その疑問に対して、石黒教授は「ゼロ代名詞」がそれに当たるとしました。ゼロ代名詞とは、文中には表現されないけれど、文脈上「それ」と理解できることで、例えば「ペン持ってる? 持ってたら貸して?」というような日本人の誰もが理解できる「省略型の文章」のことです。この文は、「(あなたは)ペン持ってる? (あなたが)持ってたら(わたしに)貸して?」と人称詞が省略されているもので、よく日本語には「主語がない」と言われますが、実は主語がないのではなく「人称詞がない」のです。

つまり日本語というのは、自分だけでなく相手の名称も「言わないこと」が前提の言語のため、「あなた」や「きみ」などと付け加えると「あえて言うこと」になり、その意図的な強調が相手に違和感を抱かせ、結果的に「距離」を感じさせてしまうと考えられています。

さて、今回は外国人から見た「ニホンゴ」の不思議さをテーマに書いてみました。ご紹介できたのはほんの一部で、日本語ネイティブの私たちが知らないことが、まだまだたくさんあります。日本に興味を持つ外国人が増えている今、ぜひ彼らが発する「素朴な問い」に耳を澄ませてみたいものです。きっとその問いには、私たち自身を知る新たな手がかりが隠されているはず。ということで、最後に個人的に最もハッとさせられた「素朴な問い」を共有して終わりにしたいと思います。ぜひ、次回までにこの謎解きをしてみてください。

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伊藤剛(いとう・たけし)

1975年生まれ。明治大学法学部を卒業後、外資系広告代理店を経て、2001年にデザイン・コンサルティング会社「asobot(アソボット)」を設立。主な仕事として、2004年にジャーナル・タブロイド誌「GENERATION TIMES」を創刊。2006年にはNPO法人「シブヤ大学」を設立し、グッドデザイン賞2007(新領域デザイン部門)を受賞する。また、東京外国語大学・大学院総合国際学研究科の「平和構築・紛争予防専修コース」では講師を務め、広報・PR等のコミュニケーション戦略の視点から平和構築を考えるカリキュラム「ピース・コミュニケーション」を提唱している。主な著書に『なぜ戦争は伝わりやすく 平和は伝わりにくいのか』(光文社)、これまで企画、編集した書籍に『被災地デイズ』(弘文堂)、『earth code ー46億年のプロローグ』『survival ism ー70億人の生存意志』(いずれもダイヤモンド社)がある。

 

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