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コラム

マーケティング・ジャーニー ~ビジネスの成長のためにマーケターにイノベーションを~

なぜ日本企業は累計3000億ドル以上、「スタチン」の売上を得られなかったのか? 「偽の失敗」を見極めてイノベーションを育む

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©123RF

「失敗から学ぶ」を、さらに考える

前回のコラムで「失敗」について解説しました。そこでは失敗をもとに学べるか否かは、国ごとの文化的な違いが反映することを指摘しました。
つまりは失敗が許しがたい間違いとして捉えられてしまうかどうかは、その地域に失敗を寛容する文化があるかによって変わるということです。日本に比べて、米国の企業から多くのイノベーションが生まれているように見える理由のひとつは、失敗に対する寛容性の有無が原因といえるのではないか、というのが前回のコラムで指摘したことです。

もうひとつ、「失敗から学ぶ」という点で、忘れてはならないことがあります。それは「偽の失敗」の問題です。これは前回、紹介したサフィ・バーコール氏が著書『ルーンショット』で繰り返し強調している点でもあります。バーコール氏本人は、抗がん剤を作るバイオテクノロジーのスタートアップ企業を創業し経営した経験もあることから、新薬の開発というのは「少なくとも3回の死(失敗)」を経ないと成功しないことをいくつかのエピソードをもとに紹介しています。

そのなかでも日本人と無縁ではないのは、心臓病の原因となる血液中のコレステロールを下げる「スタチン」は、その最初の発見者が日本の製薬会社の三共(当時)に勤める研究者遠藤章氏だったにも関わらず、「スタチン」が生み出した累計3000億ドル以上(30兆円)にものぼる売上は、ほとんど日本に利益をもたらさなかったというエピソードです(その売り上げは米製薬企業のメルクが生み出し、またスタチンを同時期に研究していた米のブラウンとゴールドスタインはノーベル賞を受賞)。
その主な原因は、失敗を乗り越えられなかった日本、特に「偽の失敗」によるものだとバーコールは指摘します。

20世紀最大の医学的イノベーションを成功に導けなかった日本

遠藤氏はスタチンのなかで、後にメバスタチンと呼ばれる分子を菌類から発見しますが当時、米国の心臓病研究で「コレステロール値を薬剤で下げる」という考えは、他の臨床試験の結果が悪かったこともあり、カンファレンスでも冷笑をあびる結果となりました(1回目の死)。
遠藤氏はそれでもメバスタチンによるマウスを使った動物実験を実施しましたが、検証できませんでした(2回目の死)。
ですが、別の部署の同僚である北野訓敏氏と酒場で話しているとき、別のプロジェクトで北野氏が使ったニワトリを、そのあと遠藤氏の実験に使わせてもらえることになります。そして、この結果でメバスタチンの効果が示され、さらにその他の動物実験でも良い結果がでて、三共製薬は臨床試験を開始します。
ですが、同社の安全性試験のひとつでイヌにがんが発生することが認められ、臨床試験が中止になってしまいます。遠藤氏はこの時点では三共製薬を退いて研究・指導職についており、彼はその結果をうたがいつつも開発中止を眺めるしかありませんでした(三度目の死)。

同時期にコレステロール値低下の研究していた米の研究者、ブラウン氏とゴールドスタイン氏は、遠藤氏の研究と自分たちが目指しているものが同じと認識し、メバスタチンのサンプルを遠藤氏から協力して送ってもらいその効果を確認していました。また米の製薬会社メルクも、三共製薬と遠藤氏に協業を提案し、数々のデータを提供してもらっただけでなく、独自にメバスタチンによく似た化合物を発見していました。ですが、メルクも三共製薬での安全性試験が失敗したという噂を知り、自分たちのスタチンの臨床試験を中止するように指示していました。

ここに異を唱えたのが、ブラウン氏とゴールドスタイン氏であり、彼らは独自の実験でそのイヌのがんが「偽の失敗」であることを示しました。メルクは臨床試験を再開することになり最終的にFDA(アメリカ食品医薬品局)に承認されたのです。そして最終的にメバコールとしてメルクから発売されました。スタチンは心臓発作や脳卒中を減らし、生存期間を延ばす効果があり、20世紀最大の医学的発見と呼ばれるほどのものになったのです。メルクはスタチン関連の医薬品で毎年900億ドルの売上を上げ、また累計3000億ドル以上もの売り上げをもたらしたと言われているのです。

もちろん、その少しも日本の三共製薬や遠藤氏には還元されることはありませんでした(のちにブラウン氏とゴールドスタイン氏は、遠藤氏の貢献を評価し、2008年に同氏に「ラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞」を贈賞したそうです)。

「偽の失敗」を見極められるかどうかが成功の分かれ道

このようなストーリーは後から見ると、「なぜ三共は偽の失敗に気づかずに、みすみす3000億ドルを逃したのか」と当たり前のように言いたくなりますが、バーコール氏はこのようなイノベーションの見逃しは歴史的には珍しくないと主張します。氏は、菌類から発見されたスタチンのようなものは、単なるイノベーションというよりは「馬鹿げていて誰も相手にしないアイデア」として「ルーンショット(loonとは「ばかげた」という意味で、これが達成できれば大きなインパクトをもたらし、イノベーションを生むというムーンショット(moonshot)と掛け合わせたバーコールの造語)」は、非常にこわれやすいものだからです。製薬業界で言う「三度の死(失敗)」とは、そのような脆さを示していると言えます。

したがってバーコール氏によれば、ルーンショットのような一見ばかげているが、新しいアイデアを検証するためには、「偽の失敗」に気を付ける必要があるというのです。特にビジネスにおいては、すでに成功して実績のある大手企業による商品や商売が大きな市場を作っている場合、小さなスタートアップが挑戦して生み出した新しいアイデアを判断するのは非常に困難です。

バーコール氏は例として、なぜ投資家のピーター・ティール氏が、創業間もないソーシャルメディアスタートアップのフェイスブック(現メタ)に投資したか、というエピソードを紹介しています。フェイスブックは、ソーシャルメディアの最初の発明者ではなく、当時フレンドスターやらマイスペースなど同様のサービスが百花繚乱でした。  

また多くのサービスは固定化したロイヤルユーザーを獲得できておらず、人々は新しく出来たソーシャルネットワーキングサービスにすぐに乗り換えてしまうというのが投資家の見立てで、だれも興味を持っていませんでした。
ですが、実際はそれらの見立ては「偽の失敗」であり、ソーシャルメディアを利用するユーザーが移り気であるというよりは、サービスが良くクラッシュを起こして不安定だったことが原因とティール氏は見抜いて、ザッカーバーグ氏に50万ドル投資しました。8年後にはティール氏は、このときのフェイスブックの持ち株を10億ドルで売ることができたのです。

このように新しい技術にまつわる「偽の失敗」を見極めることは、そのイノベーションを成功にもたらすためには非常に重要です。そのために気をつけるべきこととして、バーコールはふたつのアドバイスをしています。
 


 

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