【前回コラム】「20代以上の女性が4割を占める玩具市場 作品が“消費財”から“表現財”になる瞬間」はこちら
流行り廃りは、現在の社会における抑圧と表裏の関係にある。例えば、最近は“ヤンキー”(この言葉自体が死語化しているが)には憧れない時代だ。“イマドキ”の高校生の中では、普通に勉強ができる優等生がモテる。
つまり、一世代前までは学校という公的権威に対して逆らってタバコ・バイク・規則外制服といった反権威の行動を振りかざすことが”Cool”であったが、今は普通に学校にいって勉強ができるほうがある意味で“Cool”なのだ。
これは、「親を含めた権威性あるものが威圧的でなくなった」社会の反作用ともいえる。つまり、親が厳しかった時代は心理的に抑圧されており、そこの垣根を飛び越えてくれるヤンキーに憧れがあったものの、親が厳しくもなく良き理解者になった現代において、「反発」自体に必然性がなくなったのだ。
補導を受ける青少年の比率は1983年と、2000年代前半をピークとして、この10数年急落しており、2016年にはついに、戦後最小の数字を下回った。いわゆる“ヤンキー”や“不良”の数が戦後最も少なくなっていると思われるのが現在なのだ。
今回の記事では「アイドル」について触れるが、この不良のロジックはアイドルにも適用できる。そもそも、かわいい・癒し系といったアイドルは不況期の産物であり、好景気にはグラビア・レースクイーンといったセクシー系が好まれると言われる。
その変化を時代とともにたどると、映画俳優からきたスターとしての美空ひばりや吉永小百合の50~60年代、TVの躍進とともにいわゆる理想形のアイドルの型ができた新三人娘・花の中三トリオの70年代。80年代は巨乳アイドルなど性的な部分が許容され、より人間性に近づいてくる松田聖子や花の82年組の時代。
80年代後半からレコード大賞とビジュアルで売ってきた時代から、CM・グラビアといったアイドルのタレント性にフォーカスした時代になり、(87~93年のアイドル氷河期レースクイーン時代を経て)モーニング娘以降はよりリアルな人間性に近づけたライブ感やドキュメンタリー感を伴い、AKB48でアイドルとの成長物語そのものにユーザーが巻き込むアイドルキャラクター化に遷移する。