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コラム

好奇心とクリエイティビティを引き出す「伝説の授業」採集

8時間目:薩摩の「究極の選択問題」 vs 肥前の殿様参加型「無礼講ディスカッション」

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【前回コラム】「7時間目:「バスケで俺と勝負しろ。」ある日突然、現代美術家・椿昇氏が息子に挑んだ理由。」はこちら

イラスト:萩原ゆか

今回の「伝説の授業採集」は、みなさんを過去にお連れする。タイムスリップ型の遠足、である。

出発するにあたりまずは、遠足と言えば…の、しおりを配りたい。しかし、そこに書いてあるのは、旅程でも注意事項でもなく、次の問題である。遠足なのに抜き打ちテスト! まあとにかくやってみよう。やった後の方が、今回の旅の意味は増す。

 
即答ですよ、即答。答えました?

この問題は今回の遠足の行き先で、実際に過去出題されたものである。場所は鹿児島。当時はまだ薩摩と言った。時は、江戸時代後期である。

歴史なんて、若い頃は正直好きじゃなかった。それがいつからか、いつも歴史に注目するようになり、いま好きかと言われれば好きと答えるだろう。

それは別に歳を取ったからではない。歴史がインスピレーションの宝庫だと気づいたからだ。

西海岸のテクノロジーの情報や海外のデザイン賞の事例などと等価、いやむしろ、みんなが忘れ去りないがしろにしている過去の情報の方が企画に活きると実感したからだ。

そんな風に様々なヒントを過去から、特に幕末~明治維新から探っていたある時。薩摩藩のとある町の存在を知った。

西郷さんの生誕地。そこは鹿児島の加治屋町という町らしい。大久保利通はというと、なんと彼も加治屋町出身らしい。大山巌は…、えっ、加治屋町?!東郷平八郎はまさか…、加治屋町出身?!?!

この加治屋町って何?

というわけで、この遠足の最初の行き先は、加治屋町である。新幹線を降り、鹿児島中央駅から歩くこと15分足らずで、その謎の町、加治屋町に到着する。

加治屋町の看板。上記の4人だけでなく、西郷従道、村田新八など、もっとたくさんの偉人がこの町から輩出されている。ちなみに行ったのはコロナのずっと前、2017年です。

東郷平八郎さんの家(左)と大山巌さんの家(右)は、実際徒歩2分。西郷さんや大久保さんの家を含めても、全ての生誕地が半径数百メートル以内に収まる。

さて。なぜ同じ町内からこんなにもスーパースターが乱立したのか?

行けば謎はすぐに解ける。鹿児島の歴史の資料館には全てそれがらみのコーナーがあるし、すでに上の看板にも書いてある。

答えは、教育にあった。薩摩藩特有の「郷中教育(ごじゅうきょういく)」である。

郷中とは、地域の自治組織。今で言う町内会みたいなものとのこと。薩摩の教育は主にその郷中単位で行われていたらしく、郷中の先輩たちがその地域の後輩達を文武両道で鍛錬、教育した。

その仕組みを郷中教育という。

目的は、強くて忠孝の道に厚い薩摩藩士を育てることである。と言っても、藩が直接指示するわけではない。あくまで自立自営で、郷中ごとで上がその下を教える。中でも西郷さんは名リーダーだったようで、その指導の下で少年時代を過ごしたのが、大山巌らだったのである。

つまり、加治屋町からスターが同時多発的に輩出された理由。それは、町単位で行われた教育システムの中で、名教育が行われた町だったから、なのである。

その郷中教育の内容はどんなものだったかというと、講習、習字、運動、武術、軍書読み、戦の真似、山坂達者と呼ばれる山野を歩く鍛錬とたくさんあったようだが、その中で一番、伝説の授業コレクターである僕的視点で目を引いたのは、「詮議」である。

これは、薩摩独自の問答方法で、若手たち同士、または若手から年少者へ「問い」が投げかけられ、みんなの前で「即答」しなくてはいけない、というもの。やり方もなかなか面白いが、その問題が実にユニーク。

以下詮議の過去問をいくつか羅列するので、読んでみて欲しい。もちろん、一問一問、即答しながら!

Q、殿様の敵と、親をつけ狙う者がいた場合、どっちの敵から切り込むべきか?

(君の敵、親の仇持候節は、どの敵より打申す者に御座候や。)

Q、自分の父も殿様も大病にかかっていて、ここにそれに効く薬が1個だけある。どちらにあげるべきか?

(自分の父も大病にかかり、殿様も又大病に罹っている。しかしてこの病に効く薬がここ只一個ある。その場合にはそれは父と君と何れに進むべきか。)

いわば「究極の選択」問題。これに理由付きで即答しなくてはいけない。2択ではなく、自由回答問題もある。

Q、常にあなたに悪口や無礼をし挑発してくる者がいるが、彼がもしも急に礼儀を持って接してきたとしたら、その時はどうする?

(常に汝に悪口、過言、無礼を加へ、闘争を挑むものあり、彼れ若し礼を以て汝に対するときは如何。)

Q、義とは、どのようなことか?

(義とは、如何様のことにて御座候や。)

冒頭に出した問題も、この詮議の過去問である。原文はこれ。

Q、無二の親友あり、果実又は物を持ち来り、汝と共に之を食して後、其の物は窃に盗み来りし事実を告げ、汝に他言せざることを切望せしときは如何。

(以上、ここで紹介した詮議は 松本彦三郎著『郷中教育の研究』尚古集成館刊 より引用)

あなたが即答した回答はどんなものだっただろうか?

ちなみに、答えが適当でないと思われた場合は、どこまでも追及される。解答がその場で満足なものにならなかった場合は、宿題になることもあったそうで、そういう意味では子供にとっては嫌なものだったらしい。

この伝説の授業採集で集めているのは、「パッと見、かなり面白く」て「教育の意図が裏にある」ものであると連載の第1回目で書いたが、この詮議もその流れである。

詮議の教育的意図とは何か。それは、とっさの判断力を養うことである。緊急時や絶体絶命のピンチで、的確なる判断を下せるか否かは、自分の命はもちろん、藩や主君に関わることとなる。

不意を突かれると得てして、心が動揺し、色々考えて、「場おくれ」になってしまうことがある。

そうならないように。いかなる時も正しい、忠孝に沿った道を選べるように。この究極の問いへの即答でお互いに鍛え合ったのである。

薩摩出身の偉人たちの活躍の背後には、こんな教育が仕組まれていたのだ。改めて幕末、明治維新の歴史を読み返すと、郷中でインストールされたスキルが、確実に実を結んでいるのがわかる。

だからこの発言だったのか、だからこの行動ができたのか、と。スゴいローカル教育である。

西郷さんのお墓にも参ろう。何度か行っているが常に献花がいっぱい。人生のビジョンについて考えるには鹿児島は最適。僕が好きなコースは、、聞かれたら教えます。

薩摩のこんな教育を知ってしまって調べたくなったのは。翻って我が故郷、肥前はどうだったのかということである。

というわけで、この遠足は次の行き先、佐賀へと飛ぶ。

肥前の教育については実は、調べる何も、小学校の時に習っていた。しかし小学生に興味が湧くはずもなく、ほとんど覚えてもおらずで、改めて今、大人の目で調べたら、、、すごいものだった。

それは、鍋島藩藩校「弘道館」で行われた教育である。

今回の遠足で見せてるのは石碑ばっかりだが、申し訳ない、重ねてまた石碑である。以下の写真の場所、ここに、藩校弘道館があった。残念ながら建物は現存しない。子供の頃この周りで遊んだりもしていたのだが、40年後、まさかその教育に興味を持って関係を持つことなるとは当時の僕は知る由もない。人生は、面白いものだ。

佐賀駅から徒歩15分。佐賀県庁の前、佐賀中央郵便局の隣、佐賀城のお堀のほとりに、弘道館跡地の記念碑は立つ。

小学校の授業で習ったことで唯一覚えていたのは「佐賀の七賢人がみんな弘道館出身」ということだった。七賢人とは、大隈重信や、外務卿&書家として有名な副島種臣、日本赤十字を作った佐野常民などの錚々たるメンバーである。佐賀県民もその知識止まりの方が多いと思う。

しかし大人になってからのこの再学習で、数々の面白いことを見つけた。例えば、このエピソード。

「岩倉具視は息子を弘道館に留学させていた。」

わざわざ京の都から西の果て、肥前まで!飛行機も電車もない時代に!である。それ程、教育の内容が良く、評判も全国区だったことがわかる。そんな弘道館の主だった特徴をカンタンに書く。

「改革は教育に始まる」として、藩政を教育から、人材育成して改革することを目的に設立された(現代も似たような状況かも?)。

モットーは、「自学自習」。

生徒数に比べて先生が少なく、1000人に対して先生が10人の時もあったらしい。ではどうやって回していたかというと「先輩が教えていた」。習ったらすぐ後輩を指導する。いわゆる半学半教である(記憶の定着が良いということで現代流行っている「学び合い」「教え合い」に通じるものである)。

他にもいろいろあるが、中でも僕が一番グッときたものは、ディベート付きの読書会「会読」である。

当時の教科書といえば四書五経がメインだが、その読み方にも段階がある。まずは、意味が分からなくていいから先輩に習って読む「素読」から始まり、もう一度読む「返読」、1人で読む「独読」ときて最後に、輪読して議論する「会読」が最終形である。

この会読。別に肥前のオリジナルではなく、日本中で当時行われていたらしいが、鍋島藩のものだけ、特別な点があった。

月に1度、若手に混じって「鍋島の殿様もディベートに参加」していたのである。ルールは「完全無礼講」。何を言っても殿は怒らない。御沙汰もなし。

記録も残っている。ある日、久米さんという若い藩士が海防論、つまり海の軍事がテーマの議論で、意見を求められた。曰く「日本を守るには長崎の離れ島はまず捨ておいた方がいい」と。それを聞いた殿は、大激怒する。なぜなら、ちょうどその島に砲台を築いたばかりだったのだ。会読が終わった後、流石に謝りに行った方がいいですよね…と話す久米氏に、先輩は「会読の時は不問にするんだから、謝りに行かなくていい」とキッパリ。そして実際、何のお咎めもなかったらしい。こうやって自由闊達さが育まれていたのだ。

この会読が功を奏したのではないだろうか。その後「議論は肥前か会津」という評判が立ち、さらにその後には、超絶に弁が立つ大隈重信を始めとしたスターたちが中央に出て活躍することにつながっていくのである。

弘道館のこの教育を見て、みなさんどう思われただろうか。僕は、こう思った。「これって、現代、みんながやりたいって言ってる教育じゃん!」と。文科省が標榜している「アクティブラーニング」。これは「主体的で、対話的で、深い学び」と訳されているが、この3要素、全部江戸時代にやってたんですけど、と言える。

というわけで。弘道館のエピソードに感動した僕は、それを復活させるプロジェクトを佐賀県庁の方々と始めた。

建物は再建せず、佐賀県内の面白い場所で行う「POP-UP藩校」とする(佐賀城本丸とか、映画館とか)。そして、先人たちが作った弘道館の哲学や方法をまんま21世紀に引き継ぐ。ただし学ぶ内容は21世紀に必要なものに変える(砲術とか蘭学とか今やんないから…)。講師は、佐賀県にゆかりのある「先輩」たち(なぜなら元祖弘道館では先輩が教えていたから)。オンラインでも配信し、動画は授業でも使えるようにアーカイブしておく。あと元祖と違う点としては、もちろん男女共学にする。

名付けて「弘道館2」プロジェクト。

開始したのが2017年10月。それから現在(2021.2時点)まで21回の講座を行なってきた。

過去の講座はこちらで見れるので、よかったら見てほしい。

タレントから東大教授、世界を羽ばたくアーティストまで、様々な講師陣でやってきた。6回目で紹介した青山フラワーマーケットのバラを分解する授業も、この時のものである。

自学自習で、来たい子だけがくるのでいつも熱い。錚々たる方々が教えるが、郷里の「先輩」だから、距離がない。そして、いつも何を言っても怒られない無礼講スタイル。最後は佐賀弁でメッセージしてもらうが、その時はいつもファシリテートしながら涙を堪えるので精一杯である。

会読の回もやった。講師は、知事を現代の殿に見立てて。教科書は、四書五経だと堅くなってしまうので、佐賀出身の原さんが描かれている漫画「キングダム」にした。1~3巻を受講者にあらかじめ配送し、知事と一緒に、何を言っても怒らない「完全無礼講」ルールでディスカッション。

全講座、アーカイブ動画があり、長編と授業で使いやすい40分ver.があるので、先生方に使ってもらえると嬉しい。

弘道館2のトップページで、大きく画面に写っているのは、知事との会読のシーン。

過去の伝説の教育に触れる遠足。いかがだっただろうか。

締めにガイドが言うのは、帰るまでが遠足です、がお決まりだが、僕から言いたいことはもう1つある。

「もっと過去と組もう」ということである。

まず、教育について言えば、もっとその地域の過去の教育の流れを生かすといいと思う。日本列島は長い。北から南まで、風土や県民性はかなり違う。我慢強い北国と、陽気な南国では、合う教育が違うはずなのである。海外からの教育を持ってきても馴染む確率が低いのはそう言うことだ。

土地の歴史を紐解けば必ず、それぞれの地域の過去の教育があり、必ず成功談もセットで語られている。時の試練を潜り抜けたその教育方針ややり方は、その地域に合っているはずで、現代と地続きにすれば、そこでしかできない世界唯一の教育になり世界に発信できる。弘道館2はそういうチャレンジなのである。

教育以外でももっと過去と組める。

日本や世界の歴史はもちろん、それぞれの会社には社史、それぞれの家族にも歴史がある。そこと組めば、もっとたくさんの面白いものが生まれてくる。

昨今、いろんな組織外の人たちで組む「オープンイノベーション」の流れが盛んであるが、その組み先は当たり前であるが、生きている人たちである。しかし、ここに過去を加えたら、より幅が広がる。過去のエピソードと、昔のやり方と、古の考え方と組む。会ったこともない、自分が生まれる前の人とのコラボであり、尊敬する偉人とも組めるということである。

時空を超えて組むこのやり方を僕は「4次元オープンイノベーション」と呼んでいる。

現代に生き、過去を生かし、未来を構想する。

そしてもし、自分たちの現代のトライアルを未来の人がインスパイア源にしてくれたら、我々も時空を超え、その先の未来とコラボすることになる。そうやって人類の知恵のリレーに貢献していく。夢があると思いませんか?いやあ…楽しみ。でも、どんなことでも手が抜けませんね。

ということで、過去への遠足。これにて解散。ではまた次回に。