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コラム

好奇心とクリエイティビティを引き出す「伝説の授業」採集

11時間目:「今日安藤忠雄さんいらっしゃるから、柏餅作って」田中一光デザイン室での出来事。

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【前回コラム】「10時間目:公式は覚えるな!と言う数学のB先生 & たった一言で工学の本質を問うたK教授。」はこちら

(イラスト:萩原ゆか)

一見、無茶振りだと思っていた。だけどその裏には、すごい信頼と愛があった。という話を届けたい。

今回の主人公は、デザイナーの田中千絵さん。

ピンと来た素敵な人とは、具体的な仕事や何かがある前に、先に出会っておく、のが僕の主義で。後輩が千絵さんと仲良くさせてもらっているのをTwitterで見て、会わせて!と、紹介してもらったのが6年前。

1時間くらいお茶をする中で、「伯父が田中一光で、昔伯父の事務所で働いてて」って話になった。

広告業界、デザイン業界以外の方のために一応書くと、田中一光さんは日本のグラフィックデザイナーの草分け的存在。1964年の東京オリンピックの参加メダルの背面、大阪万博の政府展示などもデザインされたが、皆さんが普通に目にしている中にも、たくさん手掛けられたものがある。西武の包装紙、無印良品やセゾン、LOFTのロゴ、などなど。(続きは自由研究として各自お調べください)

そんな話が出て、すかさず伝説の授業ハンターとして聞いたのは「田中一光さんに教えられたことって、ありますか?」ってこと。返ってきた答えは、これだった。

「今日の午後、安藤忠雄さんいらっしゃるからさ、ちえちゃん、柏餅作って、って言われて」

人生で一度も作ったことのない柏餅を5時間くらいで作らなくてはいけない。しかも、相手は世界的建築家に。そのお題の出し方、すごーい、と思って、伝説の授業採集リストにすぐ書いた。

今日はその伝説の無茶振りについて、改めて伺ったお話。2021年2月。Zoomにて。千絵さんとリモートで再会。この話は僕がいろいろいじるより、ドキュメンタリーの方がいいから、刺身のように、なるべく生の状態でお届けする。

こちら、田中千絵さん。武蔵美術大学造形学部空間デザイン演出学科卒。(株)ストライプファクトリー取締役/ピンクリボンデザイン大賞審査員。紙と文具好き。ペーパークラフトのワークショップ多数。著書「紙と日々、」。
twitter:@chietanaka

倉成:「柏餅の話を、改めてお聞きしたくて」

田中:「私が一番大変だった時代の話。普段あんまり話さないんですけど、会っていきなりそんな話、したんですね〜」

倉成:「よろしくお願いします」

田中:「私、大学はムサビ(武蔵野美術大学)に行ってて。ムサビに行くのは私が行きたかったわけではなくて、両親の希望のようなこともあり進学しました。

おじさんとは、お正月とかお墓参りとか、要所要所で会うんですけど、やっぱり普通に目にする大人たちと違って、威圧感がすごいんです」

倉成:「お会いしたことはないんですが、そうなんですね?」

田中:「空間とかインテリアも完璧で、研ぎ澄まされててリラックスできない。緊張感と美の中で、みたいな暮らしなので。普通じゃない非日常なんだけど、でも自分のおじさん。

会話も、おじさんなのにフランクに喋れないし、話題を選ばないと雰囲気が冷たくなる。伯父が子供に合わせることはほとんどないので。

でも、ムサビに入っちゃったから、しょうがなくてアルバイトに行くんです」

しょうがなく田中一光さんのところに、なんて、うらやましい。

田中:「でもアルバイトに行くと、デザインの方の仕事はさせてくれなくて。事務所にキッチンがあって、私は最初、そのキッチンに入ったんです。朝から10人前のカレーを作るのを、田中一光さんとやるんです。

で、ニンニクと玉ねぎとにんじんとジャガイモとお肉とかを、買ってきて用意するじゃないですか。そして『じゃあ作ります!』と声かけて、私は玉ねぎから切ろうかなと思って、切り始めると、

『なんでニンニクから切らないの!』

とブチ切れられて。あ、すいません!って言ってニンニクを切る。

アルバイトだから、お金いただいてるし、全然ニンニクから切ります、っていう感じなんですけど、ああ、同じ時期に入ったアルバイトの男の子は、デザイン手伝わせてもらってるけど、私キッチン…。ってのが、そうか、やっぱり男社会なのかな、って思ってて」

倉成:「なるほど…。」

田中:「そんな中で、お客さんが来るって言うと、安藤忠雄さんとかジョン前田さんとか、誰それが海外からいらした際ご挨拶に来られるとか、当然いろいろな業界のVIPな方がたくさん来られる。

そこにお茶を出しにいく役割もあり、その人たちとちょっとだけ話せるのはご褒美だなと。そう思うんですけど、そのための代償として、いろいろ作らなきゃ行けないし、美味しいお茶も探してこなきゃ行けない。

で、それで、とある日に」

倉成:「はい」

田中:「朝、事務所に行ったら、『安藤忠雄さんが来るっていうので、柏餅を作って』と言われて」

倉成:「伝説の、オーダーが」

田中:「伯父は手料理こそが最高のおもてなしと思ってる人で。事務所があったのは青山だからもちろん買ってくれば、いくらでも美味しい柏餅はあるんですけど、でもそれを作っておもてなししたいっていう本人の気持ちがあって、でも本人は作れないこともわかっていて。

うちは小さい頃から、母が心を込めた手作りのものをたくさん差し入れしていて。妹も家庭科部の部長で、すごくお菓子が上手だったから、私も得意だと思われてちゃっていて。『わたしそんなに得意じゃないんですけど』って言っても通用しなくて。

つまり、柏餅を作れるようなスキルはなかったんです、もともと。そして、当時まだネットもないし。事務所にたくさん本はあるけど、柏餅の作り方が載ってる本はないし、本屋さんもまだ空いてない。朝9時くらいに呼ばれるから」

倉成:「聞いてる方もドキドキしてきました」

田中:「で、母にすぐ電話して、家にある家庭画報とかレシピの中に、柏餅の作り方ない!?って言って、あったらファックスして!あとでまた電話するね!って言って。

そして開店時間と同時に、スーパーのピーコックに駆け込んで、御菓子売り場のおばちゃんに『すみません、柏餅の作り方ってどうやるんですか!?』って聞いて。

『いつまでに作るの?』『今日午後もう出さなきゃ行けないんです!!』『大体豆は前の日から漬け込まなきゃ無理よ~』って、何言ってんの、この人、みたいに見られつつ、『そうですよね、でもそこをなんとかやる方法ありませんかっ!!』って食い下がって。

『じゃあ缶詰でやればいいんじゃない?』って言われても『そんな缶詰の味で美味しいと思うような相手じゃないんです!そこをなんとか本物の味に近くて、なおかつ時短でなんとかもっていける方法を一緒に考えてください!!』って泣きついて。

結果、あんこは、こしあんの粉で戻りやすいやつを、あんこと粒を混ぜながら、騙し騙し本当に美味しそうな、缶詰の味じゃないあんこに近づけて。柏の葉の塩漬けはなんとか真空パックであって。そしてお餅は、あんこの量とお餅の量と試行錯誤しながら、大小色々作って、最初1回テストで蒸してみたらうまくいかなくて。ヘビの口みたいにパカって開いちゃって、ああ、あんこが!みたいな失敗もたくさんあって。

3テイク目にやっと柏餅の形になって、なんとかギリギリお出しできて」

倉成:「間に合って良かったぁ。で、反応はどうだったんですか?」

田中:「おじさんは、その工程見てないから、ふつうにご満悦で、美味しいでしょ?とか言って自慢してくれていました」

倉成:「ここから千絵さんが学んだことは?」

田中:「そんな状況の中で、最適解をなんとか出せて、人間って、なんとかしなきゃいけないときはできるんだって、ほんと感じました。

何とかそこで回答欄を埋めるということをして。できませんでしたって、その答案を空白にはしたくなかった。単なる負けず嫌いかもしれないけど、できませんとは言いたくないし、自分なりにいま自分ができる以上の回答で返したかった。できませんでしたとなったら、1ヶ月くらい口聞いてくれないかもしれないし(笑)。

ま、普通に一人で暮らしたり、学校生活してるとそんな無茶振りはないから、なんとかして『その人が一番喜ぶ答えでお返ししたい気持ち』がそこで学んだことかな。無茶ぶりだけどそこで喜んでくれたり、この柏餅美味しいでしょう!って自慢してくれるくらいのものを作れたその一員になれたっていうのが良かった。

学生の時は大体独りよがりで、俺すごいだろとかなっちゃいがちだけど、そうじゃないんじゃないかなって。世の中にはいろんな人がいて。そして無力感感じながらも答え出すのが毎日の取り組みなのかなっていうのは、現場ですごい感じてたことです」

田中一光さんと田中千絵さん。アルバイト時代のハワイ旅行という名の「研修」の写真。

倉成:「田中一光さんのところには、何年くらい勤めたんですか?」

田中:「大学の4年間とちょっとだけ。卒業後は半年くらいでやめちゃったかな。その頃から、ツモリチサトのウィンドウやったりして、フリーでやり始めたので。

私、グラフィックの科じゃなかったので、グラフィックが好きで入ってきた人と一緒に
机を並べてやるには、やりたいことが違い過ぎたのと、何かというとラッピングに呼ばれて、何かというと台所に立たされて、ちょっと自分が何しに美大に入ったかわかんなくなっちゃいそうで。

田中一光さんは、料理が好きだったんですよね。デザイナーになれば良かったか、料理人になれば良かったか、いまだにわかんないみたいなことをボソッと当時2人でいる時話してて。だから順番とかにこだわりがあったのかなって思うんですけど。

ワインを一本買ってきて、カレーに最後にドバドバドバ~って、モロッコの紅茶みたいに上から入れんの。誰も見てないから普通に入れればいいじゃんって思うんですけど。

いまやっと笑って話せるようになった。あはは。全然楽しかったですけどね」

倉成:「柏餅とカレー以外に、何かエピソードないですか?」

田中:「いっぱいありますよ。

事務所と自宅がすごい特殊な電球を使ってるんで、買いに行くのに探し回らなきゃいけなくて、秋葉原の全部の電気屋さんを駆けずり回ったり。壁紙が1メートル四方うん万円の壁紙とか使ってて、それを探しに行ったりとか。

本当にネットがなかったおかげで、脚を使って手を使って、ない頭を絞りながら、いろんな人に頼りながら、ひたすら駆けずり回ってて。

あと、演劇のチケットで、スケジュール合わなくて自分行けないやつは人に譲るんですけど、私もそれを結構たくさんいただきました。歌舞伎とか、コンサートとか。それを見に行くのは楽しいけど、終わったらすぐ電話しなくちゃいけないの。どうだったかって。

その電話で、10秒で面白いこと言わないと、切られちゃうんですよ。厳しい。すごく楽しかったから「楽しかったです」、じゃ通用しなくて、ちょっとしたコピーライターじゃないけど、10秒で、どこが良かったかを、とにかく切られないように伝え終わるっていうのがミッションで。

小学生ぐらいからそんな具合。だから行事の感想文とか学校の新聞によく載ったんですけど、それは当たり前のことで。人にこうやったら伝わるんじゃないかって、そういう訓練だったんじゃないかなってね。

そういうのって普通のおうちにはないし、大人と喋るのはもともと楽しかったからいいんですけど。大人になって、いろんな人と心を開いて、いろんな話で盛り上がれるのも、そんな経験があったからかもしれないなあって」

倉成:「面白ーい。そのレッスンも聞けて良かった!」

田中:「こんな苦い話が役に立つとはね〜」

倉成:「あの、デザインについては、なにか教えてもらったことってありますか?」

田中:「(沈黙)… 。

デザインについては、具体的に言葉では習ってないですね。

色のチップを整理するとか?有名な色のチップの引き出しがあって、それを整理する役割とかはもらってたけど、文字をどうこうとか、そういう話はあまり聞いた記憶ないなあ。『なんかの失礼があるといけないから』とか、そういうのは注意されたりしたけど。うーん。文字が、とか、レイアウトが、とか聞いたことないかな…」

倉成:「他のアシスタントの方々におっしゃってたこととかは?」

田中:「『君はこう言う癖があるからいつも良くないんだよ』とか、そういう言い方はよくしていました。『また悪い癖が出てるよ』とか。『もっとなんとかみたいに』とか」

倉成:「千絵さんが、デザインさせてもらえなかったのはなんでですか?」

田中:「もう1人は男性だったから。それだけの理由。私は大体キッチンに立たせられるので大きな仕事は任せてもらえなくて」

倉成:「そうかなぁ…。お話聞いてて、本当にデザインの基礎から鍛え上げるために、じゃなかったのかなって思ったんですけど、違いますかね?

色のチップの整理とかのお仕事って、他の人にもやらせるんですか?その仕事は千絵さんだけ?」

田中:「ああ、色の箱は触らせる人と触らせない人もいるみたい。

あっちこっちから、ランダムに持ってきた紙の紙片を、赤とか黄色とか、色ごとの引き出しに入れていく。そういうものをハサミで切って、パパッって置いたりしてね。そんな風に一光さんがご自分でやる作業があったりしたんですね。

今はそういうプロセスの色の決め方って、基本的にデータだからしない人も多いんだけど。でも、意外とそういう方が色の決め方って、楽しくて。最近は私もそっちにわざわざ立ち返って。

言葉では教わってないけどそういう姿を見てデザインを学んでるのかもしれないですね。

それが、まあ20代のときはよくわからなかったけど、40代になって、あ、こういう作業で頭を整理しながら、デザイン考えるのもいいなって。時間かかったけど戻ってきてるような気がします」

倉成:「色のチップの整理は、他の人に触らせていない。料理人になりたかったくらいだから、キッチンは大事。両方とも自分のとっても大事な、人に触らせないところで、そこに立つ役割を与えられてたって、選ばれてた証拠じゃないですか?

その男の子はバイトだし、DNAを引き継がせようとまでは思ってなかった。千絵さんは、親戚だし、扱う理由が違う。

子供の頃から知ってて、いろいろ見てればこの子はセンスあるなってわかってるはずだし。デザインを1からじゃなくてゼロから叩き込もうとしてたんじゃないかなって、気がするんですけど」

田中:「もう本人が生きてないから、いいように解釈した方が、私も報われる〜」

倉成:「思想まで引き継ぐわけじゃないですか。こうやって。大事な役割を預けられたんじゃないかと僕は思いますけどね」

田中千絵さんのデザイン作品より。出会ったその日に本や作品をいただいたが、色、そして特に紙の使い方に、特有のセンスを感じたことをよく覚えてる。

倉成:「そんな千絵さんは、どんな指導をしてるんですか?」

田中:「私にはアシスタントがいないので、誰にも伝えてないけど、子供かな。

『本気で取り組め』『最適解を出して頑張ろう』とか、そういう感じの。子供は、小さい頃からうちの母ちゃん怖いから、って外で言ったりしてた。

最近は、思考回路の悪い癖をポジティブに変換するように、こういうところあるから、こうしたらいいよとか。自分の心のバロメーターを保って、なるべくニュートラルに、なるべく人に関わって、与えられたものに全力で返そうとか、そういうことは教えて。

45、6歳になった時に、あ、お母さんが言ってたのってこういうことかなって、わかって貰えばいいかなって、種まきはしています」

倉成:「田中家で脈々と、田中一光イズムがリレーされてるんですね。

あと、お話の中で垣間見えて、印象的だったのは。田中一光さんご自身、超一流のものを揃えて、使ってらっしゃった訳ですね」

田中:「見るものも、身の回りのものも、超一流。付き合う人も、超一流。

一流の事務所ってそういうことなんだ、っていうのはわかったけど。学生の時に、中途半端なところにいくよりは、ちょっとイカれた一流の人のところに行く方が、面白いかもねって思いますけどね」

倉成:「僕はデザイナーではないけど、仕事上、本だけじゃなくて、作品とか、プロダクトとか、全てのものがヒントになるから、それを資料として買う点では同じで。この仕事って、一見、紙とペンだけでできるように見えるけど、どれだけ感覚として仕入れておくか、その資料への投資が必要で、ほんとお金かかるなあって思うんですよね。でも、今日の話を聞いて、ちゃんといいものを買う、使うことが大事だということを改めて認識できて良かったです」

田中:「持って帰んないと忘れるしとか、思うとね。私も膨大な物量になっちゃって。さっきも、バーっと広げて片付けようとしてたんですけど、やっぱり物量おかしいなと思って。資料への支出と収入のバランスってね、難しいですね。でも流れを止めずに人生終わるまでインプットですよね」

倉成:「いいお話をありがとうございました。最後に、読者のみなさんへのメッセージをお願いします」

田中:「カレー作るときはニンニクから切ってください!そして、今日の話は、なんかのお役に立ててもらえたら、苦労も報われます」

倉成:「やっぱニンニクから切らなきゃいけないんですか?」

田中:「どうでしょう?土井善晴先生に今度聞いておきますね!」

倉成:「また、聞く相手がすごいな…」