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コラム

監督はCMの夢をみる

撮影途中でまさかの監督交代。涙の中華料理店で得た「教訓」

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【前回はこちら】企画演出部に「鬼」はいたのか? CMディレクターとしてデビュー

「ダメだな。やっぱり中島くんじゃダメだよ」

ナショナル換気扇の仕事でCMディレクターとしてデビューしたことは前回述べました。2作目は同じく大阪博報堂の案件で紳士服の「トロージャン」。一年先輩の荒木政人監督が風間杜夫さんでかっこいいのつくってました。僕も風間杜夫さんでやらせていただきましたが、出来は……。3作目はデビュー翌年の1984年春。初めての電通の仕事でした。この一本が僕の人生に大きな影響を与える大事件となりました。

CMディレクターとして修業中のころ

商品はウイスキー。師匠の内池望博さんが立ち上がりの登場篇と2作目をつくってちょっと話題になっていた作品でした。舞台はとある惑星の上。2作目は、大小2人?のロボットが抱き合って星空を見上げる。2人を強い光が照らすと空には2本の流星が。この流星が一体化し、2人のロボットはうっとりとしてウイスキーを。超有名シンガーの歌うテーマ曲を背景に恋を描いためっちゃおしゃれな一本です。

僕が担当したのはこの続編の第3話。恋人同士の喧嘩がテーマになっています。僕はとにかくミュージカルでも紳士服でもない、おしゃれCMがつくれる、と舞い上がってました。カメラマンにはファッション系を多く撮ってるおしゃれな眞下伸友さんという方を起用していただきました。松竹大船撮影所に建てられた惑星の大セット。崖の上に佇む2人のうち、小さい方のロボット。2人仲良く写っている写真を見つめている、という設定です。もう1人の大きい方のロボットと喧嘩になる、というストーリーでした。

撮影は3日間。初日、大ロングの絵から撮り始めます。写真を手に崖っぷちに佇む小さい方のロボット。ええビジュアルです。ここにコピー一発でめっちゃカッコええのできるやん。という舞い上がった中島監督が崖の上から地獄へと引き摺り下ろされたのは撮影2日目でした。

当時は何を撮影しているのかがその場にいる誰もが確認できるビデオアシスト、いわゆる「ビジコン」というシステムもなく、何が写っているのかはカメラを覗いていたカメラマンにしかわかりません。そこで撮影したネガフィルムをその夜に現像所に入れ現像したネガから取り急ぎのプリント、いわゆる「ラッシュプリント」を起こしてもらってみんなでチェックする。「ラッシュ試写」です。ここでなんも写ってへんかったり、絞り間違えたりフォーカス来てへんかったりしたら撮り直しです。

さあ、どないだ?ドキドキしながらスクリーンを見守ります。出ました。お! かっこええ!これはええわ! バッチリや! としたり顔の中島青年に電通の大御所クリエイティブディレクターが一言。

「ダメだな。やっぱり中島くんじゃダメだよ原戸ちゃん」。え?!?!

「お前、予習が足りないんだよ」

何が起こったのか僕にはわかりませんでした。1984年の春。僕と眞下カメラマンは大セットと、企画を残して松竹撮影所を後にすることになりました。撮影途中の降板です。スタジオを追い出されて大船駅近くの中華屋さんにプロデューサーの原戸洋一さんに連れられて入りました。瓶ビールをコップにつぎながら泣いている僕に原戸さんが「中島、お前予習が足りないんだよ」。

(c)123RF 写真はイメージです

予習。確かに中学、高校を通じて予習は嫌いでした。今回の撮影もなんとなく雰囲気でコンテを描いていました。なんか、どうなるんかわからへんけど現場でなんとかなるやろ、という楽観的なスタジオ入りでした。

僕がしておくべき予習は「完成のイメージを明確に持つ」ということでした。何を伝えなくてはいけないのか。そのためにどんなCMにするべきなのか。そのために各カットはどんな機能を持つのか。その各カットは何秒ずつ必要なのか。伝えるため、伝わるようにするための完璧な計算。これが全くできていませんでした。

しかも今回は2人のロボットが主役。人間のような表現力はない。では何をもって表現すべきなのか。顔を向けることはできる、じっと見ることはできる。向き合うことはできる。でも悔しさや寂しさの感情は表現できない。でも、恋にまつわるいざこざを表現しなければならない。今の僕でも相当頑張らないと伝わるようにはつくれない程の難題です。中島少年はその難しさに気づくことさえできていなかったのです。

この事件があり、僕は以後、徹底的に予習をするようになりました。このCMの成功ポイントはどこにあるのか、何が達成できなければ失敗となるのか。その失敗を防ぐにはどうすれば良いのか。特に秒数については何度も何度も心の中で完成形をイメージしてコンマ何秒まで追い込んでから現場に入るようになりました。僕にとってこの監督途中降板劇は自分をレベルアップする最高の教訓になりました。

なお、原戸さんは今年お亡くなりになられたようです。心よりお悔やみ申し上げると共に、高い授業料を払ってくださった原戸さんに心から感謝の念をお伝えいたします。

次回は10月31日掲載)