チャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh、1902-1974)は、アメリカの航空パイオニアです。
彼は、1927年5月20日から21日にかけて、スピリット・オブ・セントルイス(Spirit of St. Louis)という単発飛行機を操縦し、ニューヨークのルーズベルト飛行場からフランスのル・ブルジェ空港まで約33時間半の無着陸飛行を成功させました。これは世界初の大西洋横断無着陸単独飛行であり、航空史における画期的なできごとです。
彼の大西洋無着陸単独飛行は、当時のメディアにとって世界的な注目を集める大ニュースでした。
報道したメディアの数を示す公式記録はありませんが、アメリカ国内だけでも数百の新聞がこのニュースを掲載したと推測され、国際的には1000以上の新聞社がリンドバーグの飛行を取り上げたと考えられます。
リンドバーグの単独飛行は、世界中のメディアがリアルタイムで追い、広く報道した、最も初期のグローバルニュースイベントのひとつでした。このイベントは、航空業界だけでなくメディア業界にも大きな影響を与えました。
航空旅行の信頼性・安全性・利便性を一般にアピール
この成功後、リンドバーグは世界的な航空業界の象徴となり、その影響力を利用して航空旅行を広める活動に積極的に取り組みました。20世紀前半の大西洋間の移動は、主に蒸気船による航海であり、一週間から二週間程度を費やす旅でした。
1930年以降、トランス・ワールド航空(TWA)やパンアメリカン航空(Pan Am)といった航空会社が誕生し、主に北米国内の旅客輸送を始めます。その後、北米とヨーロッパを結ぶ大西洋路線に拡大します。しかし、当時の旅行客は航空券の高さに加えて、飛行機の安全性に対する信頼が低く、旅客は伸びません。
そこで、航空業界は黎明期の航空業界の信頼性、安全性、利便性を一般にアピールする活動のために、英雄となったリンドバーグを担ぎ出しました。彼はTWAやPan Amなどの商業航空会社と協力し、航空路線の調査や新しい航路の設計を支援しました。
たとえば、1927年から1928年にかけて、リンドバーグはグッゲンハイム基金による航空プロモーションツアーを実施しました。このツアーでは、全米75都市以上を訪問し、飛行機による移動の可能性を示す実演を行いました。
また、リンドバーグ夫妻は1931年に、パンアメリカン航空から依頼された北太平洋航路調査のためニューヨークからカナダ、アラスカ州を経て、日本と中華民国までツアーを行いました。1931年8月26日に茨城県霞ケ浦に飛来した時、日米の政府高官や海軍関係者など1000名以上が出迎え、200名以上の国内外メディアがその様子を世界に報道しました。
「現代PRの父」も関わっていた旅客キャンペーン
実は、現代PRの父と呼ばれるアイビー・リーは、リンドバーグを使った米国内での旅客キャンペーンに関わっていました。
彼の伝記『Courtier to the Crowd』によれば、グッゲンハイムはリーのクライアントの一人であり、グッゲンハイム基金によるリンドバーグのプロモーションツアーには、リーのPR会社が関与していました。
ツアーの途中、リンドバーグは自身の態度がパブリシティの良しあしに影響があることに気づき、「私はどのように振る舞えばいいのだろう」と、リーに直接助言を求めています。
リンドバーグの活動は、単なる広告や啓発を超えて、航空業界全体の信頼構築や規模拡大に寄与しました。彼のツアーや講演は、人々に飛行機旅行が安全で実用的であるという認識を広めることに成功しました。特に、飛行機旅行が高所得層の特権から一般市民に広がる転機となる役割を果たしたといえるでしょう。
