ジョセフ・ヴァーニー・ベイカー(Joseph Varney Baker)は、アフリカ系アメリカ人として初めて北米のPR業界で重要な地位を築いた人物です。彼は広報業界での多文化的なアプローチを推進し、公正なメディア表現を求める活動に尽力しました。
ベイカーは1908年8月20日にサウスカロライナ州アベビルで生まれました。10代の頃にフィラデルフィアに移り、テンプル大学でジャーナリズムを学びました。
卒業後、彼は1884年に創刊されたアメリカ最古のアフリカ系アメリカ人向け日刊紙『フィラデルフィア・トリビューン』の記者としてそのキャリアを始め、最終的にはフィラデルフィア地区の編集責任者に昇進しました。
また、1829年に創刊され、現在アメリカで発行されている新聞の中で3番目に古い歴史を持つ日刊紙『フィラデルフィア・インクワイアラー』で執筆した、初のアフリカ系アメリカ人ジャーナリストでもありました。
フィラデルフィア・トリビューンでの要職を辞した後、彼はペンシルベニア鉄道の広報コンサルタントとして働きました。この経験をきっかけに、ベイカーは1934年、フィラデルフィアに自身のPRエージェンシー「Joseph V. Baker Associates」を設立しました。
アフリカ系米国人に企業ブランドや製品を宣伝
このエージェンシーは、アフリカ系アメリカ人が所有する初のPRエージェンシーの一社であり、広報業界での多様性に取り組むなどユニークなサービスを始め、当時の大手企業がほとんど無視していたアフリカ系アメリカ人市場の重要性をクライアントに説明しました。
ベイカーは、クライアントがアフリカ系アメリカ人市場を開拓する際に、その文化的背景やアイデンティティを尊重することの重要性を強調しました。そのため、広告やPRキャンペーンで、アフリカ系アメリカ人を前向きかつ自立的な形で描写しました。メッセージには、アフリカ系アメリカ人コミュニティの価値観や生活体験を反映させました。
たとえば、アフリカ系アメリカ人向けに特化した広告やプロモーションを作成し、彼らの文化や価値観を反映したメッセージを発信しました。『フィラデルフィア・トリビューン』といったアフリカ系アメリカ人が読者層の多くを占める新聞やラジオ局と協力して、企業のブランドや製品を効果的に宣伝しました。
女性の雇用や育成にも注力、PR業界の要職も歴任
また、ベイカーは広報業界における次世代のアフリカ系アメリカ人プロフェッショナルを育成することにも尽力し、彼のエージェンシーでは多くのアフリカ系アメリカ人が広報やマーケティングのキャリアをスタートさせました。
特に女性の雇用や育成に力を入れ、以下のような影響を与えました。たとえば、彼の指導を受けたバーバラ・C・ハリスは、エージェンシーで主要企業のアカウントを担当する初のアフリカ系アメリカ人女性となり、後に同社社長として成功を収めました。
さらに、ベイカーは広報活動の一環としてアフリカ系アメリカ人コミュニティ内での信頼を築くことを重視しました。ボーイスカウトやNAACP(全国黒人地位向上協会)などの団体と協力し、企業の活動がコミュニティに直接的な利益をもたらすようにしました。
1958年、Public Relations Society of America (PRSA)フィラデルフィア支部は、ベイカーを会長に選出しました。彼は支部初の黒人会長であり、さらに、アフリカ系アメリカ人として初めてAccreditation in Public Relations(APR)を取得しました。後に彼の指導を受けたバーバラ・ハリスも、PRSAフィラデルフィア支部の会長を務めました。
ジョセフ・ヴァーニー・ベイカーは、広報を通じてアフリカ系アメリカ人市場を企業にとって重要なターゲットとして認識させ、その価値を高めるとともに、コミュニティ全体にも恩恵をもたらしました。彼の業績は、現代の多文化マーケティングの礎となっています。
