「損得勘定」から「損徳勘定」へ。数字では測れない価値を育てる新しいブランド戦略

数字では評価されなくても、会場が揺れるほどの拍手が起こることがある──。カンヌライオンズや学生時代の男子新体操で体感した「採点基準と感動の違い」は、ブランドづくりの現場でも同じように存在していると語る、電通のエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター八木義博氏。

 

JRグループのMY JAPAN RAILWAYでの実践を通じて見えてきた、新たな判断軸とブランド戦略についてお話しいただきます。

八木氏をはじめ、電通のアートディレクター、クリエイティブディレクター、コピーライター、プランナーが登壇!
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数字には現れない価値をどう扱うか

高校時代、僕は男子新体操部に所属していました。跳馬や吊り輪といった器械体操とは違い、男子新体操は床のみを使い、「美しさ」を競う競技です。こん棒やロープなどの手具を使い、宙返りなどのタンブリングを組み合わせて演技を構成します。中でも重要なのが、「リスク」と呼ばれる高難度の技です。たとえば、手具を高く投げ上げ、2回ターンし、前転を加えてから、落下してくる手具をタイミングよくキャッチする——そんな一連の動き。成功すれば得点が伸びる仕組みであり、正確に難しい技を決めた選手が勝つというのは、競技として正しい評価軸でしょう。

でも僕は、時々疑問を感じていました。その動きが、本当に美しいのかどうかと。失敗しないようにするあまり、動きが硬く不格好になってしまう選手もいました。一方で、難度はそれほど高くなくても、観客の心を奪うような演技を見せる選手もいたのです。けれど、そうした表現の美しさは、得点にはなかなか反映されません。もちろん、審査員には「難度」や「ミスの数」といった明確な採点基準があるからこそ、公平性が担保されます。だからこそ、美しさよりも点数を優先する演技も成立する。それはスポーツ競技としての戦略であり、ある種の“美学”とも言えるのかもしれません。

けれど、観客の拍手は違いました。たとえ得点が低くても、会場が揺れるほどの拍手が起こることがある。それは、採点では測れない「感情の共鳴」が起きている現場でした。

同じゴールドでも、共感の深さには差がある

この感覚は、僕たちの産業にも通じています。たとえば、カンヌライオンズの授賞式でゴールド作品が発表される瞬間。どれも「ゴールド」という同じ評価を受けているはずなのに、会場の拍手や歓声には明らかな温度差があります。それは、現地にいないとわからない空気の震えであり、作品がどれだけ人の心を動かしたかを物語っています。ひとつの評価指標や点数では測れない共感の深さが、そこには確かに存在しているのです。

そして、僕たちの仕事はスポーツのような競技ではありません。ユーザーとの関係を少しずつ築いていく営みであり、数字だけでは測れない価値に支えられています。勝敗がはっきり決まる試合とは異なり、たとえ短期的な評価では見えなくても、長い時間をかけて意味が醸成されることがある。だからこそ、目には見えにくい余韻や評価の難しい美しさに、あえて目を向けることが、これからのブランド成長には必要なのだと思います。

伝わる美意識と主観には、調律がいる

新体操の練習では鏡を多用します。たとえば、両腕を水平に指先まで真横にピンとまっすぐ伸ばしてみてください。どうですか?鏡を見ると角度が傾いていたり、指先だけが反りすぎていたりしませんか?意識すればするほど、思ってもいない部分に力が入り、動作は不自然になってしまう。その頭と体のズレを少しずつ鏡を見ながら補正していきます。そのことで自分が表現したかったことに近づいていく。

表現とは、意志を押し出すだけでなく、その意志が届くように調整することでもあるのだと思います。この感覚は、ブランドにも通じています。主観的な価値や美意識は、放っておけば誤解されたり、ズレていったりする。だからこそ、意識的に「自分たちらしさ」を調整しながら、伝える工夫が必要になるのです。

こうした見えにくい価値を、どうすれば育てていけるのか。そこには、もうひとつの判断軸が必要になります。それは「時間」との付き合い方です。主観や美意識のような“伝わりにくい価値”は、短期では評価されにくくても、時間を味方につけることで、じわじわと信頼や共感、そして文化へと育っていく可能性があります。

MY JAPAN RAILWAYで学んだ、“損徳勘定”という判断軸

JRグループのMY JAPAN RAILWAYは、「広告を短期的に消費されるもの」ではなく、「長期にわたって育つ文化」として捉え直す挑戦でした。
趣向を凝らしたスタンプの制作には、大きな労力がかかります。しかも、それはすぐに成果として表れにくいところもあると思います。

イメージ ユーザーが全国のJRの対象の駅を訪れると、150年を記念したデジタル版スタンプを集めることができる「MY JAPAN RAILWAY」

ユーザーが全国のJRの対象の駅を訪れると、150年を記念したデジタル版スタンプを集めることができる「MY JAPAN RAILWAY」

けれど、一度設置された駅のスタンプはそのまま残り、年々少しずつ数を増やしていくことができる。今は増やさなくても、すでに活用できるほどの数があります。簡単に消費されない構造は、長く続くほど初期投資にあった労力を小さくすることができる。そして、スタンプラリーのゲーム性や世界観を豊かにし、参加したくなる動機を生み出していきます。

短期的には非効率に見えるかもしれませんが、それは“育てる仕組み”であり、やがて積み重なる“信託資産”となっていく。「短期支出か?長期投資か?」という視点を持って判断する。このサステナブルな考え方は、実際にアワードの審査でも重要な評価ポイントのひとつとなりました。

僕は、こうした考え方を「損得勘定」ではなく、「損徳勘定」と呼びたい。数字には表れないけれど、人の心に残る判断。効率では測れないけれど、共感や誇りを生む選択。

たとえば、鉄道マニアは少数派かもしれません。でも、彼らの熱量や視点には、まだ知られていない楽しさや価値が、たしかに息づいています。その喜びを、より多くの人に開いていくこと。僕たちは、その“文化のはじまり”を信じて、プロジェクトをデザインしていきました。文化は、いつだって少数から始まる。だからこそ、短期的な“多数派の妥当”よりも、長期的に育つ“少数派の普遍”を大切にしたい。

得か、ではなく、誇れるか、美しいか。効率か、ではなく、時間を味方につけられるか、文化になるか。割に合うか、ではなく、意味に合っているか、ブランドらしいか。そうやって選び続けた判断は、普段とは違う質の仕事になると思います。

やがて語られるブランドを目指して、「損徳勘定」というもうひとつの指標を持つ。そうすることで、僕たちはこれまで見過ごされてきた価値に、あらためて光をあてることができるはずです。

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八木 義博

電通
エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター

ブランドとユーザーとの接点であるアウトプットを重視したDriven by Design型クリエーティブディレクションで、ビジネスコンサルティングから、企業ブランディングなど、ノンバーバルなコミュニケーションを展開。
カンヌでは2度のグランプリ、その他アワードでも多数のグランプリを受賞し、カンヌ審査委員長経験や国際キーノート講演経験多数。

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