月刊『宣伝会議』では、社会に大きな影響を与える有識者が、いまの広告やメディア、コミュニケーションについて、どのように捉えているのかをインタビューする企画「私の広告観」を連載中。ここでは「私の広告観 出張所」として、インタビューの一部をお届けします。
今回登場するのは、研究を進めるなかで「私」を包む大きな「WE」という概念に辿り着いた、哲学者の出口康夫さん。寺の長男として生まれ、歴史から哲学の道へ。現代社会における広告の存在意義や、異質な知性であるAIとの向き合い方について、話を聞いた。
※本記事の全文は、月刊『宣伝会議』6月号に掲載されています。
Q.出口さんが提唱する「WEターン」という概念について、教えてください。
大学では文学部哲学科に入学し、当初から自分の哲学を確立させることを視野に入れていました。道元の自己観や、西田幾多郎の後期の自己論など、集中的に研究を進めるなかで、人間はひとりでは何もできないという気付きを得ました。
私たちはいろんな“できなさ”を持っている。すべての行動は“私”ひとりではできず、“私”を取り巻く他の人やものによって支えられているというのが「WEターン」の主張です。
“私”を含んだマルチ・エージェント・システムである「WE」から、いろいろなものがすべてひっくり返って「WEターン」していくと考えました。
近代はあまりにも「私」ひとりでできることに焦点を当てすぎている。それにより、過剰な競争や差別意識が生まれることもあり、社会に対して限界を感じている人もいるのではないでしょうか。
私は、社会がもっと多元化・多層化していくことが可能だと考えています。ひとりが発言すると周りに人が集まり、“あなたがこうなら私はこうだ”という「WE」ができ、同時多発的に複数の別の考えが並んで、提案が多元化する。そして全体として大きな「WE」ができて価値提案が生まれていく。そんな社会を理想としています」
この概念は、学界の中だけにとどめるのではなく、日本社会、さらにグローバルに展開したいと考えています。
Q.哲学者である出口さんからから見て、「広告」とはどんなものでしょうか。
いろいろと感じていることはありますが、そのうちのひとつとして。
生活者がテレビCMや交通広告、ネットや動画広告などに接触するのは、何かをしている“間(ま)”が多いですよね。
テレビなら視聴中にCM放映の時間が設けられているし、交通広告なら移動中、ネットや動画広告なら閲覧中のコンテンツの中に広告枠があり、日常生活の中で自然と目に入るよう設計されている。「広告」とは、そんな日常の「間」の瞬間に現れるものであり、その「間」をいかに“燃焼”させられるかがカギではないでしょうか。
例えば、電車に乗るための待ち時間を“間”だとしましょう。駅の広告はその“間”に存在していて、人の注意を向けさせるものだとしたら、“間”はとても重要なもので、それに価値を与えるのが広告なのではないかなと。
電車の待ち時間のような日常の中にある“スキマ時間”に、インパクトのあるキャッチコピーやビジュアルが目に入ると、かなり強く記憶に残るのではと思います。
さらに、広告は企業のロジックで生まれた商品に、「プラスアルファの価値」を付け加える役割を担うものであり、つくり手でも消費者でもない「大きなWEの立場」という第三者的な視点から、その商品が社会で持つ意味を広告によって再定義します。
最終的に社会における価値をつくるのは、広告に携わる人だと言っても過言ではないと思います。社会にとって重要な価値というのを、広告がむしろつくり出している側面があると感じます。
広告づくりには、我々ごと=「WE」という視点も盛り込みながら、どんな価値観が必要なのか常にアンテナを張り、「自らが価値の創造者である」という自覚を持って携わってほしいです。
「広告やマーケティングの営みにおいても『WE』の考え方は大事。広告主やクリエイターが『I』、生活者を『You』として、人々を遠隔操作するような形では効果がありません。自分も生活者の中に入っていき、広告主もクリエイターも生活者もひとつの『WE』と捉え、生活者を巻き込んで一緒に動く、ということが重要なのだと思います」(出口さん)。
…出口さんのインタビュー記事全文は、月刊『宣伝会議』2026年6月号に掲載しています。

