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コラム

コピーライター養成講座 講師・卒業生が語る ある若手広告人の日常

公私混同計画。(3)

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【前回のコラム「公私混同計画。(2)」はこちら】


古橋 亮羽(東京アドデザイナース コピーライター)

みなさん、こんにちは。古橋 亮羽(フルハシ リョウ)です。
キラキラネームですが、この名前は嫌いじゃありません。

前回はコピーライターになってからの、名古屋時代のことを書かせていただきました。

最終回となる3回目は、舞台を東京に移して最近の話。今週もよろしくお願いします。

だから、東京へ行こう。

転職活動をしていた頃から、できれば東京で広告の仕事をしたい、と考えていました。
名古屋でコピーライターになってからも、いずれ東京に行くんだ、という気持ちは変わりませんでした。

もっとたくさん仕事がしたい。もっとでかい仕事がしたい。
もっと広告のコピーが書きたい。
だから東京へ行くことは、僕にとって最も早い方法だったのです。

有名な会社、ステップアップにつながる会社の求人を見つけたら、ダメ元で応募してみるようになりました。そして転職してから2年が経とうとする頃、いまの会社から採用の通知をいただいたのです。

書いた量こそが、経験値。

東京に来てから、状況は明らかに変わりました。お客さんの多くは誰もが知っている大企業。仕事の質も量も跳ね上がりました。尊敬する人たちと、いっしょに仕事できるようになりました。そして、コピーライターであることを実感できるようになりました。けっして多くはありませんが、広告のコピーを書けるようになったのです。

あとからコピーライターになった僕は、単純に時間だけでいえば同世代の人たちから大きく遅れをとっています。でも同業の大先輩から、以前にこんな言葉をいただきました。

「書いた量が、コピーライターの経験値だ」。

重要なのはキャリアが何年あるかではなく、どれだけコピーを書いてきたか。3年の間、人の3倍書き続ければ、3年長くやっている人に追いつける。10年の間、人の10倍書き続ければ、10年長くやっている人に追いつける。だから僕は、とにかくたくさん書くことを心がけています。

次ページ 「「忙しい」は、(なるべく)言わない。」に続く