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日本とグローバル企業で違う「優秀な人」の定義
グローバル企業で世界各国の優秀な人たちと接する傍ら、広告会社はじめ日本の名だたる有名企業の優秀な人たちともお仕事させていただく機会に恵まれ、「頭のいい人」「優秀な人」の定義が日本とグローバル企業ではだいぶ違うな、という印象を持つようになりました。
批判を恐れず乱暴に単純化してしまうと、日本では難しいことを理解できる人。グローバル企業では、どんなことでも簡単に単純に説明できる人。そんな人たちが、それぞれ頭がいい、優秀である、と評価される傾向があるように思われます。これはどちらが良い・悪い、ということではありません。
グローバル企業では、偉くなればなるほど、非常にわかりやすい簡単な英語を話すようになります。日本でも、ヤフーの宮坂学社長のようにわかりやすく事業や戦略を語る能力は、マネージメントとして大きなアドバンテージではありますが、偉くなればなるほど話がわかりやすくなる、という一貫した方向性が見られるわけではありません。
グローバル企業には、あらゆる国や地域から様々な文化が持ち寄られているので、文化的なコンテクストに依存しない、誤解の生じ得ない平板な表現が重んじられるのは自然なことです。
