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スマートフォンと哲学が出会うとき●ソーシャルメディア時代の基礎情報学(1)―今なぜ「基礎情報学」なのか

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東京大学大学院情報学環教授 西垣通

明治以降、日本の知識人たちは西欧の知識を科学技術と哲学に分けて受容してきた。それにより効率よく科学技術を取り入れることはできたが、情報技術を扱ううえで欠かせない実践的な思考の技法としての哲学を欠いたまま、21世紀を迎えてしまった。

今日、マンガ・アニメ・ゲームなどが世界中で人気を博す一方で、技術力をもちながら、デバイスやネットワーク・サービスの分野で日本企業が欧米企業の後追いに終始するのは、文系と理系の融合した領域にある情報哲学的思考が不足しているためではないか。両者の垣根を越えた「基礎情報学」は、いまの日本が直面する思考の行き詰まりに風穴を開けるものとなるはずだ。

ネット社会への転機?

ティム・オライリー

Web2.0を提唱したティム・オライリー。米オライリーメディア社の創設者で、フリーソフトウェアとオープンソース運動の支援者として知られる(Photo by Jeff Kubina)。


ウェブ進化論

日本のITコンサルタント、梅田望夫は、著書『ウェブ進化論』(2006年、筑摩書房)のなかで、Web2.0の本質を「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく、能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」としている。

「情報社会」とか「ネット社会」とかいう言葉は、もはや常套句である。だが、本当に現代がそういう社会なのかと改めて問い返すと、事はそれほど単純ではない。

ネットの中には興味を引く情報や役に立つ情報が多いが、アブナイ情報やガセネタ情報もたくさんある。一般人の常識からすると、ネットの中はいわばバーチャル(仮想)世界であって、日常のリアル(現実)世界の様子は相変わらずマスメディアが教えてくれる、ということになるのではないだろうか。ネット文化というと、とかくゲームやアニメなどバーチャル世界がサブカルチャー評論家によって論じられるのも、いまだにネットがリアルから縁遠いことを示唆している。だから要するに、われわれは、マスメディアや国民国家、学校制度などが支えるいわゆるモダン社会から、とうてい十分に離陸したとは言えないのだ。

だが、こういう状況が、3・11東日本大震災という不幸な出来事を境に、次第に変わっていくのではないかと考えられるのである。

東日本大震災と福島第一原発事故に関して、マスメディアはわれわれ一般人に多くの情報を与えてきたし、今も報道は続いている。むろん、それらがすべて間違いであるはずもなく、われわれの多くはそれによって惨禍のリアルを思い描こうとしてきた。

とはいえ、津波の被災地のリアルは、いったいマスメディアが伝えるようなものなのだろうか。ネットの中に、テレビよりはるかに残酷な映像、新聞報道よりはるかに深い悲嘆の言葉を見出すことは不可能ではない。そしてそこに、われわれは血と涙が流れる〃被災者の真実〃を感じとったのだ。

さらに印象的なのは原発事故関連の情報である。事故直後にマスメディアで、政府高官も東電も原子力専門家も「安全、大丈夫」と発表を繰りかえした。一方、ネットの中ではさまざまな憶測や警告が溢れかえった。楽観的な意見や、不安を煽っては逆効果だという声もあったが、どちらかと言えば悲観的な憶測が多かったように思う。

今、原発事故の経過を振り返って、やはりネットの悲観論のほうが的を射ていた、と思う人は多いだろう。権威ある専門家によるマスメディア経由の情報よりも、無名の発信者によるネット情報のほうが信頼できるという〃逆転現象〃が生じてしまったのだ。こうして、震災をきっかけに今後、日本の「リアル」はネットが担うようになっていく、という予測がうまれてくるのである。

情報現象を問い直す

ゴットロープ・フレーゲ

ゴットロープ・フレーゲ(1848年~1925年)ドイツ出身の数学者、論理学者、哲学者。現代の数理論理学、分析哲学の祖と呼ばれる。


バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル

バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(1872年~1970年)イギリス出身の数学者・論理学者として出発し、哲学者として多様な著作をあらわし、ノーベル文学賞を受賞。教育学者・政治運動家としても活躍した(Photo by CEIP Leon Trotsky)。

権威によるお仕着せのリアルではなく、われわれ一般人がネットを通じてリアルを形成していかなくてはならないとすると、これは決して容易いことではない。

ウェブ2・0が日本に紹介された頃、強力な検索エンジンさえあれば諸問題は解決し、ネット・ユートピアができるという誤解が広まったことがあった。とんでもない話で、そんなテクノロジー盲信はネット社会にとって自殺行為である。検索エンジンは確かに便利だが、それを有効利用していくには、まず、「情報」という存在についての深い洞察と、ねばり強い人間的努力が不可欠なのだ。

情報社会と言いながら、正面きって「情報とは何か」と問われると正しく即答できる人は少ない。常識的回答は、情報とは機械的に送受信し処理できる一種のデータ、あるいは知識断片のようなもの、といったあたりではないか。だがそれなら、同じメールを読んでも、個人によって意味内容の解釈が異なるのはなぜなのか。そもそも情報とは、コンピュータで機械的・一義的に意味解釈できるような存在なのか。もしそうでなく、解釈の自由が許されるなら、いったい情報を送るとはいかなる行為なのか。それはむしろ、多様な誤解を広めることにもなりうるのか……などなど、疑問はつきない。

原発事故報道をめぐる混乱も、情報学的に考察することができる。事故発生直後、関係者がマスメディアを通じておこなった発言について、その責任を問うべきだという声もあるが、それだけでは不十分だろう。問題を単に個人の意思や判断に帰するのではなく、いったいなぜそういう現象が生じてしまったのか、情報の流通や解釈のメカニズムをシステム論的に分析することも、再発防止のために大切だと考えられるのである。

いったい現代の日本で、この種の考察が真剣におこなわれているだろうか。情報についてはひたすらコンピュータ応用技術ばかりが強調され、機械的情報処理の種類を増やし、効率をあげる研究開発ばかりが行われている。

むろん、そういう努力も大切ではある。だが、ネットがリアルを、つまりわれわれの生活そのものを支えるようになる時、もはや根源的問題から目をそむける知的怠惰は許されない。情報についての基礎的な考察、いわば「情報の哲学」を欠いたままネット社会に移行すると、われわれは情報機器の技術的細部に振りまわされ、機械的操作に追われて生命的活力を奪われてしまうだろう。

文理にまたがる情報哲学

実は、情報やコミュニケーションをめぐる根本的な考察は、欧米ではすでに始まっているのである。この原因として、西洋では知の流れがそれほど断絶していない、という点があげられる。コンピュータをめぐる哲学としては、20世紀初め、フレーゲやラッセルの論理主義哲学が代表的だが、その淵源は近代哲学のみならず、ルネサンス思想、さらには古代ギリシア哲学まで遡る。この流れの中では、文系学問と理系学問は互いに密接に結びついている。だからこそ、人間的思考と機械的処理の異質性や同質性についての深い考察が可能になるのだ。

一方、日本では明治以降、哲学(文系)と科学技術(理系)は分離されたものとして輸入された。いずれも器用に摂取吸収してきたとも言えるが、両者を隔てる壁はまことに厚い。高校生の時に文系と理系に分けられ、それが一生つづく。大学の学部で生物学を専攻し大学院で社会学の学位をとる学生など、欧米では珍しくないが、日本ではまず居ない。制度上の制約が大きいのだ。そうなると、両者にまたがる問題にたいして対処できなくなる。今回の原発事故処理に関しても、視野の狭さが目立った。文系関係者は原子物理学の初歩も知らず、理系関係者は原発の社会的な意味について学問的に考える習慣がないからだ。

欧米で情報革命やネット社会について根本から考える思索が始まっているのは、以上のような理由から説明できるかもしれない。こういった情報哲学の研究者は、文理いずれにも通じた人物が多いのである(具体的には、西垣通・竹之内禎ほか『情報倫理の思想』NTT出版、2007年、などを参照)。

ただしここで、情報というテーマを扱うには、単に伝統的な西洋哲学の方法論を踏まえれば十分とは言えない、という点に留意すべきである。「西洋哲学はすべてプラトンの注釈にすぎない」という言葉もあるほどで、西洋哲学は約2400年前のギリシア哲学から始まっている。しかし今やわれわれは、人類の誕生が十数万年前であり、さらに何億年も遡ればすべての動植物と遺伝的につながっていることを知っている。したがって、情報現象に関する根本的思索は、そういう生命論的洞察を、最新の情報技術についての知見とともに含まなくてはならない。

はたして、この種の学問的試みは可能だろうか。だが少なくとも、情報現象を基礎からとらえる「基礎情報学」はそういう難題に挑戦しなくてはならないのである。

※次回の掲載は「環境会議」春号が発行される3月上旬です。

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