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コラム

メディア野郎へのブートキャンプ

技術はコンテンツに対し中立でいられるのか?
~CD1枚74分とサビ頭ポップソングにその真髄を見る~

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アナログ盤からCDへの変化に象徴される、ユーザー主権的なノンリニア化(つまり、前後の文脈に関係なく、コンテンツの受け手がコンテンツ内を自由かつ瞬時にスキップして移動すること)は、今のあらゆるメディア消費の変化の底流にあるものです。

現状のWeb・ネットビジネスにおいても検索エンジン、スマートフォン、ソーシャルメディアという三点セットの浸透と普及は、すべてのメディアを断片的なものに切り刻み、コンテンツは、その作り手側が想定した文脈などは、無視して好き勝手に、ユーザーから「つまみ食い」されるものへと変化していくことを要求してきます。

特に、この10年ほど、文章などのテキストの閲覧消費の主戦場が、ネット上に変わったことによって、大きくもたらされた変化として「タイトル・見出し」の重要性が決定的になったことがその例として挙げられます。

例えば、かつてなら『an・an』のような女性誌において、「夏の恋」に破れ、打ちひしがれた女性向けに秋を迎えて、「さあ元気になろう!」というような特集が掲載されるとするならば、そのタイトル見出しは
「一夏の花火よ、サヨウナラ!深まる秋に心を磨く」
というようなものになるのかもしれません。しかし、Web上でPVを稼ぐように見出しを付けると
「夏の失恋から回復するための自分磨きの方法100」
とでもなるのでしょうか。なんだか説明的で文学的情緒がないですね・・・。しかし「夏」、「失恋」、「回復」、「自分磨き」「方法」というようなワードでの検索結果に表示されるため、あるいはソーシャルメディア上での拡散からのPVニーズを取り込むためには、前後の文脈を省いても、内容に興味を持ってもらうために、「見出し」はどんどんと説明的にならざるを得ないのです。

その意味では、SEO(検索エンジン)の重要性などは、純粋に技術的なレイヤーな話に留まりませんし、「Googleが、文章の文体や構成そのものまでも変えている」とも言えます。デジタル化(=つまりはノンリニア化)によって、メディア消費は全体として、どんどん、即物的で刹那的で、瞬間的で断片的なものへと変化していっています。しかし、プロのメディア人として、このこと自体を嘆いていても仕方がありません。漁師が海の天気に歯向かうようなものです。

冒頭に技術が規定する環境を指し示す言葉として、「アーキテクチャー」という言葉を用いました。通常は、「建築」を意味する言葉ですが、単に物理的な建物やビルを指すだけでなく、本来的には日本語でいうと、「環境設計」というような意味までを含む言葉です。

そして、人間の行動に影響を与える方法論として「アーキテクチャーによる支配」という考え方があります。ここでも、またケーススタディです。あなたが、大学近くのカフェの店長だったとしましょう。一部の大学生のグループ客が長居をしてダベり、席の回転率が下がっているせいで、本来、昼食を取るべき他のお客たちから、クレームが入っています。さて、どんな手段が考えられるでしょうか。「食事を終えたら、速やかにお帰りください」と張り紙をする、「カラオケボックスのように制限時間制にして超過には延長料金を取る」など様々な手が考えられるのですが、一番、お客にカドが立たずに、有効に客の回転を上げる手段は、外食業界では、「椅子を高くする」ことだとされています。つまり、外食業界では、食事をするときに座る椅子の高低と客の回転は見事に比例するのです。チェーン牛丼屋に典型ですが、椅子の高いカウンター席は、つまりは「食べたらさっさと帰ってね」という店からの無言のメッセージなのです。しかも、ほとんどの人間は、高い椅子に座ると「食べたらさっさと帰れ」と言われたわけでもないのに、食べ終わると自発的に帰ります。この無意識の行動への影響こそが、「アーキテクチャーによる支配」の特長です。

そして、このこと同じように、メディア消費においても「アーキテクチャーによる支配」をユーザーは強く受けているのです。アナログ盤からCDへの変化は音楽リスナーに「好きなフレーズや曲だけつまんで、繰り返し聞いてね」というある意味では意図せざる?無言のメッセージをもたらしました。(そして、これはCDからiTunesのような曲単位でのダウンロード販売へという変化でますます加速しています)。あるいは新聞・雑誌のような紙メディアから、PCへ、Webへ、スマートフォンへもというトレンドも、同様に、大きな無言のメッセージをユーザーに届けています。

当然のことながら、同じ天丼屋でも、お客さんが食事をする「アーキテクチャー」が、和室に掘りゴタツで食べる場合と、ハイチェアのカウンター席で食べる場合を想定するのでは、天丼それ自体の中身も変化せざるを得ないことは容易にお分かり頂けるでしょう。

プロの料理人ならば、店は汚くても、立地は悪くても「うまい料理を丹精込めて作ればイイ」に居直る人はまずいません。お客さんが「どんな席でどのように食べられるか」に必ず注意を払います。それと、同じようにメディアの作り手もプロとして、どのような技術環境を通じて、どのようなTPOで(例えば、通勤電車の中?寝る前に個室で?会社のデスクで?)、自分の作っている、関わっているメディアが消費されているのか?今後されていくのか?に最大限の注意を払い続けるべきだと私は思っています。

物理的に形が目に見える「カウンターの椅子」と違って、デバイス環境がめまぐるしく変化する現状のメディア業界においては、そういう気構えを強く持っていないと、いつのまにか、時代に追いていかれた「裏路地の店」になってしまいかねませんから。

私が言いたかったことをまとめます。配信技術や閲覧デバイスの環境はコンテンツに対し、無色透明なパイプでは決してありええません。環境(アーキテクチャー)の変化がユーザーに対しどのようなベクトルの力を無言のうちに与えるのかについての洞察、このことは今後のメディア編集者にとって決定的に重要なスキルの一つであると筆者は確信しています。

皆さん、新しいメディアが出て来るたびに、「このメディア上では、ユーザーはどのような無言のメッセージをアーキテクチャーから受け取るのだろうか?」と自問自答し続けましょう。

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