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コラム

ニューヨーク突撃記 PARTY NYCの挑戦

世界中の「デジタルバカ」と出会う

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D&ADの審査会に参加した

このコラムでもいろいろ書いていますが、ここでは毎日のようにいろいろな出会いがあります。強烈な敵キャラや謎の人物、3メートルくらいに見える有名クリエイティブディレクター、実際に2メートルくらいある巨大なプロデューサー…。

さて、そんな中、今回は先日参加した国際デザイン賞D&ADの審査会での出来事について書いてみます。これに審査員として参加すべく、一時帰国前にロンドンに滞在していました。私は、Digital Design部門、文字通り、デジタル技術でつくられた表現・デザインを評価する部門の担当です。光栄なことに、日本代表として呼んでいただいた。

デザイン賞や広告賞というのは、実に難しい存在です。こういった「商業クリエイティブ」には、実際に「効果」というものが存在します。どういう課題に対してどういうものをつくってどれほどの効果を上げたか、というのは商業クリエイティブの存在価値そのもので、効果が全く無いものというのは、ときに無意味だったりもします。

ですが、審査の基準はもちろん効果だけではありません。課題に対する答えの切り口の新しさ、どんなチャレンジをしているか、どれだけ洗練されているか、効果を出すにしても、どれだけ新しい広がり方を見せたか、などなど、様々な方向から、世界中から送られてきた「作品」(個人的にはあまり、こういうものを『作品でーす』と言ってしまうのもどうかとは思うのですが)を評価するわけです。

しかしここには非常に大きな矛盾があります。当たり前なのですが、審査というものは審査員の主観に左右される部分も大きいですし、その審査員たちは、そういった主観に左右される場で実績を上げてきた人たちです。「え? アレが受賞しなくて、アレが受賞しちゃうの?」みたいなこともしょっちゅうですし、政治的な力学が結果に影響してしまうこともまあ、全く無いことでは無いと思います。

広告賞というものは魔物です。海外に出て実感したことの1つでもあるのですが、頻繁に転職する海外のクリエイターにとっては、広告賞での実績はより良き職場に移るための強力な武器となります。それだけではなく、とかく刹那的に消費されがちな広告というはかない制作物を業界の歴史に刻むチャンスだったりもしますし、その上で自分の名前を残すチャンスでもあるわけです。

誰もが欲しい。誰でもトロフィーを手に入れたいと思っています。世界中のクリエイターが賞を狙っているのです。だから、時として悲しいことや醜いことも起こります。受賞式で登壇しようとしたら、あまり関係のない人がすごい勢いで割って入ってきてトロフィーを受け取って満面の笑みでそれを掲げてしまう、とか、笑い話にしかならないようなことも現実に起こったりするのです。

審査員は「敵キャラ」じゃなく「仲間」だった