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コラム

マーケティングを“別名保存”する

国家プロジェクトをもかき回す「ロゴ」という偶像、「ブランド」という念仏

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ブランドを「念仏」ではなく「資産」として心得よ

画像提供:shutterstock

東日本大震災の約1年前、2010年6月に閣議決定された、国家のブランド戦略とも言えるクールジャパン戦略。震災後の混乱も覚めやらぬ2011年9月に、ロゴのデザインを最終的に当時の野田佳彦首相が決定した、というニュースを聞いて驚いたのをよく覚えています。野田元首相がどれだけデザインやブランディングに造詣が深いか寡聞にして存じ上げませんが、何はともあれご自身を「どじょう」と称されていた方にクールジャパンのロゴの最終決定を委ねるというのは、(どじょうがクールであると考えていたのであれば話は別ですが)事業運営上とても非合理的です。

国庫からの不動産投資の投資戦略を、不動産投資の専門家ではなく首相が決定しているようなものだからです。野田元首相や当時の官邸・事務局を批判しているわけではなく、我々日本人のブランドに対する考え方が、ある意味ここに象徴されていると考えるのです。

たるんでいるから風邪など引くのだ的な、いわゆる「精神論」の土台にもなっている「精神は物質に勝る」という物心二元論。この伝統のなかでは、芸術品のような審美的なものの無形価値は、精神の側に属する神聖なものです。目に見えない(がゆえにより)尊いもの、ということになります。精神の側に在す(います)尊きものには、物質的な価値や資産という概念は馴染みません。具体化すると卑近になってしまうからです。

意味のわからない念仏は、意味のわからないままにしておいたほうがありがたいのです。明確な意味のある教訓や箴言のようなものにしてしまうと、浮き世のものとなり一段も二段も価値が下がります。自然や寺院といった聖なるものと、市井の街並みが相まって創りだされる景観を「資産」ととらえるのも、同じ理由から無意識に忌避されます。クールジャパンに話を戻すと、このような発想が「(不動産投資ならともなく)ブランドなるやんごとなきもののことは、一番偉い人にやんごとなく決めてもらおう」というスタンスの裏に見え隠れします。

デカルト以降の西洋思想は、大きな流れとしては、「本質存在」(神や魂のようなもの、目に見えない精神的なもの)と「実質存在」(浮き世のものもろもろ、物質的なもの)の区別をいったん棚上げして、あるいは本質存在のほうを明確に否定して、いずれにせよ「実質存在=実存」のあり方を探求する営みです。「棚上げする」ほうの視点は、例えば「物が見えている」とはどういうことかを検証する(実際にそれが存在するかどうか、存在の本質とは何かは置いておいて)現象学を経て、ニューロサイエンスにつながります。

形あるものも形のないものも、実利的なものも審美的なものも、全て同じ「物差し=資産価値」で測る、という西洋におけるブランディングや街の景観管理の発想は、この思想的な伝統とも無関係ではありません。
 
話が壮大に脱線しているようにも見えますが、これがマーケティングをテーマとするコラムであるということを忘れているわけではありません。ブランディングの大切さが叫ばれ、アメリカで開発されたフレームワークやツールが導入されて久しいですが、グローバルスタンダードでブランドを考えるにまず我々が取り入れなくてはいけないのは、何よりブランドは「ありがたい念仏」ではなく、「アセット=資産」であるというマインドセットなのではないでしょうか。ブランドガイドラインをめぐる神学論争は、決してブランディングではないのです。

それを本当の意味で理解するには、我々日本人がブランドを(無意識に)どう捉えているか、をまず理解する必要があります。「浮き世」の浮世絵を芸術として再評価したのもまた西洋なわけですが、我々日本人の美意識・美的感覚は世界に冠たるものです。ひとたびマインドセットを我がものにすれば、街の景観にしてもそうですが、ブランディングにおいても、本邦は世界に冠たるリーダーになれると筆者は信じています。