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コラム

澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所

「肯定」よりも「受容」が大切。怖さも受け入れる“闘う哲学者”の生き方(ゲスト:村田諒太)【前編】

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「肯定」ではなく「受容」が大事

村田:そうですね。この舞台を用意してもらうことに対して、いろいろな人に迷惑をかけたというか、ご尽力いただいたうえでできた試合なので。重量級と軽量級の一番の差はそこで、チャンピオンへのペイ(支払い)が多い分、それだけのお金を用意しなければいけないんです。軽量級だったらTVの放映権料だけでまかなえてしまう興行のレベルですが、重量級は0が1つ違います。

澤本:そんなに違うんですね。

村田:それをつくりあげるのは大変です。でも、僕らはつくりあげてもらわないとできないし、つくりあげてくれる人達の賛同がない限りは、「はい、僕やります」「負けちゃいましたけど、もう1回やります」と、簡単に言うことはできません。自分1人じゃできないというのがプロとアマの違いですね。

アマチュアだったら「もう1回やります」というのは自分だけの問題かもしれませんが、プロは興行をつくりあげるうえでいろいろな人が関わってくれているので、そのあたりも整わないと現役がどうとは言えません。そのあたりのことがあったので、続けるかどうかわからないという感じでした。

澤本:試合の後に村田さんのコメントが全部素晴らしいとファンの間では盛り上がってましたよね。「続けるかわからない段階でコメントをまだすべきじゃない」「判定はちゃんと受け入れるもの」など。なかなか言えないようなことを武士みたいに言ってると。

中村:そう、武士みたいですよね。

村田:いえ、チョイスがないだけですよ(笑)。

中村:実際のところは、「何だよ、クソ」という気持ちはなかったんですか?

村田:ないですね。それはそれでしょうがないだろと。ただ、相手がベルトを持っていて、自分が持ってないのは悔しいので、再戦になるんだったらぶっ飛ばしてやりたいという気持ちはあります。前よりも、もっと圧倒的に試合を進めて、ノックアウトを狙わないといけないと思いますが、それぐらいのもので、何ということはないですね。

権八:いろいろなことを前向きに受け入れてね。自分がコントロールできるのは自分自身と。試合前も怖いけど、自分で「村田会議」をされるんですよね。自分と向き合って、自分としゃべり続けると。

村田:僕は「受容」が肝心だと考えています。「自己受容」と「自己肯定」は違うと思っていて、受け入れてあげることが大事なんです。肯定しようとして、「俺はイケる」となると、恐怖とイケるという気持ちの闘いになりますが、それは恐怖を拒否する姿勢ですよね。それをはじめると、常にまとまりがないというか、落ち着きがなくなるので、世間が考えてる肯定と受容の差をわかるべきだなと。

僕は「試合前だから怖いのは当たり前」と考えます。「怖くない。俺はできる」と、自分を鼓舞しようとすると、本当は怖い自分を見てあげられなくなるので。夜眠れなければ、「そうだよな。試合前だから緊張して眠れない。とりあえず目だけでもつぶっておけ」と。そう思ったら勝手に眠ってるものです。

肯定しようと思うと、「寝よう、寝なければいけない」となってしまう。だから、世の中では「スポーツでも楽しめ」「人生は楽しいもの」というけど、その考え方も違うと思っています。人生もスポーツも何だって苦しいものなんですよ。それを認めてあげないと、楽しめていない、苦しんでいる自分はダメなんじゃないかという考えになるじゃないですか。

澤本:確かにそうですね。

村田:人生、楽しいか、苦しいかで言ったら苦しいですよ。苦しさの中に楽しいときがあって、それが楽しいわけであって。だから、苦しいのが当たり前で、その中でどうしようと考える。苦しさも認めてあげることで、現実を見てあげることによって、できることも増えてくるし、対応できることも増えてくるんです。だから、世の中に蔓延している「楽しみなさい」という考え方は、僕の中では違うと感じています。

権八:村田選手は人生の捉え方が示唆に富んでいて。たとえば、今の話は僕ら広告業界もそうですけど、世の中には「頑張れば夢は叶う」という価値観がベースにあって、流布しているんですよね。みんなそう思いたい、あるいはそういう教育を受けているところがあって、特にスポーツの世界はみんなそういうことを言うじゃないですか。金メダルを獲った選手が「頑張れば夢が叶うということを子どもたちにも伝えたいんです」と。

澤本:まぁ、彼らは叶った人だからね。

権八:叶った人は言うんですよ。それは全く否定のしようがなくて、ただちょっとモヤッとしちゃうんですよね。

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