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共感のヒント~「言語化」の先にある「たとえ」 【りょかち×井上大輔】 前編

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りょかちさんは、IT企業の社員として働く傍ら、通称「自撮ラー」を名乗り、SNSに自撮りをアップし続ける自撮り女子。若者文化やセルフィーアプリに関心を持ち、自撮りを始めとするインターネット文化・SNS文化に精通しており多数の取材を受けています。
若者から支持される彼女のメッセージの裏側にはどのような理由があるのか。『たとえる力で人生は変わる』の著者 井上大輔さんが対談を行いました。

左)りょかちさん、右)井上大輔さん

「共感」を生み出すものとは

井上大輔さん

井上:りょかちさんって、ご自分を世の中の肩書にあてはめるとしたら、何が一番ぴったりくると思いますか?

りょかち:そうですね‥‥。「プランナー」が一番かなぁ。

井上:「プランナー」ですか?僕には「表現者(クリエーター)」に見えるんですけど。

りょかち:ああ、たしかに。私が「プランナー」と言ったのは、サービスでも文章でも、自分が作った企画を世の中に出したいと思っているからです。でも「表現者」と言われると、そうかもしれないですね。

井上:なるほど、そういうことか。僕自身は、マーケティングコミュニケーションの仕事をしているのでコミュニケーションの人間だと思っているのですが、クリエーター(表現者)とコミュニケーションの仕事はちょっと違うと思うんです。コミュニケーションは伝えることが仕事なので、いかにしてわかりやすく伝えるか、をいつも考えているわけです。でも、表現者の人たちは、きっとそういうことはあまり考えていませんよね。たとえば、岡本太郎さんが「芸術は爆発だ!」とかいう時って、たぶん意味が伝わるかとか考えてない。

りょかち:うふふふふ。

井上:文学の人も伝「え」ることはあまり考えていないと思うんですよ。

りょかち:自分の表現を追求しているから、そう思わないのかもしれないですね。

井上:それでいうとりょかちさんの文章は、いい意味ですごく表現者然としていて、何かを伝「え」ようとしているというよりは、自分の中にある美しいものを表現している感じがするんですけど、そんなことはないですか?

りょかち:どうでしょう……。自分のパーソナリティを出したいとは思っていますけど。

井上:伝「え」るということは意識されていますか?結果として何かが伝わっているから読まれているし、共感されているのだと思いますけど。人に伝わるように何か工夫をされているのか、それとも天性の感性があるのか。僕の感じでは後者かなと思うんですけど。

りょかち:文章は、ある意味実験として書いているところがあります。

井上:それは、伝わらなかったら修正するということですか?

りょかち:そうです。伝えたい相手が明確に存在していて、その人たちにこういう反応をしてほしいと狙って書いています。

井上:それは、「伝える」あるいは「理解させる」ことが目的としてあって、その結果として「共感」につながっているのでしょうか。「エモいの正体」としてりょかちさんが書かれている文章を読んで、「それなんだよ!それ!」と非常に共感しました。一方で僕が完全に意味を理解できているかというと微妙だなと思う部分もあるんです。そうすると、理解できないけど共感はある、みたいなパターンも存在するのかなと。

「私が思う、『エモい』の正体」-りょかち
私にとって「エモい」とは、“心の微振動の再発見”だと思っている。そして、「エモいクリエイティブ」とは“感情の表現についてディティールの詰まったモノ”だ。

例えば、“コンビニ”はエモくないけど、“夜中に恋人とアイスを買いに行くコンビニ”はエモい。“だらしない格好で、なんでもない道を、好きな人と一緒に歩いて向かうコンビニ”はもっとエモい。“七回目のベルで受話器をとった君”はギリギリエモくないけど、“受話器を持ちながら、ベルが鳴る回数を数えてるわたし”はエモい。(一部抜粋)

りょかちさん

りょかち:あまり分けて考えたことはありませんけど、たしかに私の場合は共感にかなり寄っているかもしれません。「理解させる」というのは、「AはBで、BはC。だから、AはBでもCでもありえる…」みたいに、構造的に頭でわからせることですけど、私が目指す共感では、昔感じた空気感とか、そういう言語化が難しい身体的な感覚をすごく意識しています。

井上:りょかちさんの「エモいの正体」という文章のゴールは何なのでしょう?そんなことは考えていないんでしょうか。

りょかち:恐縮な話なんですけど、世の中に「エモい」という言葉が氾濫する中で、自分は「エモい」という言葉を使って文章を書く「エモクリエーター」のひとりのように思われているなと思っていて。だから私が思う「エモい」はどのようなことなのかを伝えることがゴールだったのかもしれません。“コンビニ”自体はエモくないけれど、“夜中に恋人とアイスを買いに行くコンビニはエモい”という風に、言語化できないような小さな心の微振動を再発見することなのだよ、と。

井上:「エモい」の権威になりたいということですかね(笑)。

りょかち:それもありますね。だれも言語化せずにスルーしている部分を、言語化することが共感につながっているのかもしれません。

井上:「言語化」もまた面白いポイントで、難しいですよね。「言語化する能力を高める」とか、ここ数年流行っているみたいですけど。「言語化」ってどういうことですかね。「抽象化」とは違うのでしょうか。

次ページ 「「言語化」と「抽象化」の違いと必要性」へ続く