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共感のヒント~「言語化」の先にある「たとえ」 【りょかち×井上大輔】 前編

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「言語化」と「抽象化」の違いと必要性

井上:りょかちさんは「言語化」って、どいうことだと思いますか?

りょかち:皆さんが「この曲エモい」とか「これはめっちゃエモい」と使っているその「エモい」はどういうことなのか。それを自分の具体例を出して「こういうことだよね?」と確認したかったんです。私の言う言語化とは、そういう意味です。

井上:いろいろな人が使っている「エモい」の共通要素を抜き出していくような作業ですね。そういう意味では抽象化とも取れますね。「言語化」と「抽象化」はどう違うのかな。「抽象化」というのは、具体的なものから大事な骨格・エッセンスを抜き取ること。たとえば、カレーライスの作り方を「具体的に」説明すると、お肉を何グラムとかどんな野菜をどれだけ入れるとか、水の量とか、いわゆる“レシピ“の説明になりますよね。一方でカレーの作り方を「抽象化」すると、「肉や魚貝類を野菜と炒めて、スパイスで煮込む」とか、そういう感じになります。

それで言うと、りょかちさんがおっしゃっている「エモいが乱用されている」とは、具体化のレベルで乱用されているということですよね。たしかに具体的な「エモい」はたくさんあってもいいけれど、その本質となるアブストラクト(抽象)は1つしかない。それを言葉にしてみた、という感じですかね。

りょかち:そうですね。そう考えると、一度抽象化して、そのうえで言語にしたのが「言語化」なのかもしれません。「ヤバい」がそうですけど、骨格がないので気づいたら何でも「ヤバい」になってしまっていますよね。「エモい」も同じように、骨格がないとなんでも「エモい」になってしまいます。だからとりあえず抽象化して、こういうものが「カレーですよね」と定義する。そのうえで、「いや、それはカレーじゃなくてハヤシライスじゃん!」と言わなければいけないなと思いますね。

井上:カレーライスの番人ということですね。

りょかち:ハヤシライスを出されて「これだってカレーじゃない!」と言われた時に、カレーではない理由を説明できないと世界はどんどん曖昧になっていくと思うんです。

「抽象」を言葉で表現する「言語化」、さらに具体的にわかりやすくする「たとえ」

井上:りょかちさんのように言語化能力の高い人は、いろいろある言葉の使われ方の中から共通するアブストラクトを抜き出して、それを文章にする技術を持っている。でも気になるのが、「抽象を表現する作業は言葉だけで完結するのか」ということです。抽象として抜き出したものは、言葉で100パーセント表現しきれるものなのでしょうか。

りょかち:それで言うと、私は言葉をまったく信用していないかもしれません。

井上:同感です。言葉では表現しにくいからこそ芸術があると思うんです。わかりにくくなろうが、気合いで言葉で表現しようとする哲学もありますが。

りょかち:そうですね。抽象を言語化する技法のひとつとして「たとえ」がある気がします。図や絵を使いたいけれど使えない時に、「りんごみたいな赤」とか「夜の公園のすべり台みたいな冷たさ」と言うと、イメージしやすくなります。こうした表現はテキストで完結しているけれど、図とか絵といった他のものの力を借りている気がするんですよね。

井上:まさにそのとおりだと思います。結局「抽象」というのは、基本的にはメタフィジカルなものなので、言葉では表現しつくせない。つまり、具象から抽象を抜き出しただけではわかりにくいから、その抽象をよりわかりやすい具象にもう1回跳ね返す。その跳ね返す時に、よりわかりやすくするために身近な例に置き換える。それが「たとえ」なのかなという気がします。

そう考えると、「言語化」と「たとえ」は非常に似ていますよね。具象から取り出したアブストラクトをよりわかりやすい言葉で言い換えることが「言語化」で、それをもっとわかりやすい具体的な表現にすることが「たとえ」ということかもしれませんね。


【書籍案内】

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