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なんとなく、社会人2年目になったら通おうと思っていた
僕は2018年の春から半年間、コピーライター養成講座の基礎コースに通っていた。まだ平成の時代、社会人2年目になったばかりの頃の話だ。
通い始めた動機として、とりたてて言うべきことはない。強いて言えば、「宣伝会議賞」の学生チーム対抗企画に参加したことだろうか。その頃からなんとなく、「社会人1年目はお金を貯めて、2年目からコピーライター養成講座に通おう」と考えていたのだ。「コピーライターとして働くきっかけや、仕事でプレゼンなんかをするときに役立つスキルを得られたら」と。
先生も受講生も、講座にはいろいろな人がいた
そんな風に「とりあえず行ってみよう」と思いつつ、多少の打算と期待を持って通い始めた講座は、ほぼ期待(というかHPとかに書いている内容)通りだった。広告界の第一線で活躍されている方々が、ご自身の事例を紹介しつつ(紹介しない先生もいるけど)、コピーライティングの基礎である「What to say」の探し方や、企画のつくり方を教えてくれる。
ただ、先生によって話し方やキャラクターは当然違うので、伝える内容は大体同じでも「今日の授業はすごく分かりやすかったな」と思うときもあれば、「(自分にとっては)かゆいところに手が届かない内容の日だったな」と思うときもある。
受講生も、さまざまな世代や感性を持った人ばかりだ。先生から出される課題に対して、感性が鋭いのか鈍いのか、とにかく僕には理解できないコピーを考えてくる人もいれば、毎回のように先生から「目のつけどころがよい」「切り口が面白い」と褒められる人もいる。そして、その中に難波くんがいた。
のことである。彼とは当時、同期生という以外の接点はほとんどなく、互いに話すこともなかったのだが、僕には思い出が2つだけある。
ひとつ目は、初めて難波くんと話したときのことだ。彼が課題で獲得した金の鉛筆※を受け取るために教室の前方に歩いていくのを見ていると、ポロシャツの襟でなにかが光るのが見えた。それは服のサイズを示すタグシールだった。おろしたての服だったのだろう、MだかLだかと書かれたタグシールが、難波くんのポロシャツに付いていた。だから僕は鉛筆をもらって帰ってきた彼に「襟にシールが付いているので取ってあげましょう」と言った。「すみません」と言いながら、大柄な体を少し丸めた難波くんは変な意味でなく、かわいらしかった記憶がある。