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アニメグッズは“消費財”ではなく“表現財”
音楽CD、MD(マーチャンダイジング)グッズ、フィギュア、投げ銭など、人々は「推し」にかける情熱に応えられる消費財を求めている。いや「消費財」という言い方は正しくなかろう。たいていの場合、それらは日常的に何かの役割を果たす「機能」を持っていないケースが多い。
さしずめアルバムの写真や友人との思い出の品のように、ただコレクションしておくものがほとんどである。こうしたグッズは「あのときの興奮・感情」を何度も想起させてくれる「体験の記録媒体」なのだ。
オタク市場ではもはや常識的な話かもしれないが、私の知人は「名探偵コナン」の新刊が出ると同じものを3冊購入し、劇場版の映画がリリースされると同じ映画を4回見に行く。なぜなら本は保存用と観賞用と周囲への布教用で最低3冊は必要だからだ。映画に至っては、1度目は推しキャラを味わいに、2度目やストーリー全体を理解しに、3度目は気が付いた隠し要素を探しに、そして4度目はそれらをもう一度すべておさらいしたくなって鑑賞しにいく。
リピーターという表現は生易しすぎるかもしれない。その作品の1つひとつの展開に、自分の全存在をかけて味わおうとする貪欲さは、時に消費者なのか生産者なのかわからなくなるときがある。作品の世界に同一化しているファンは、その作品のプロモーターとなって周囲に薦めたり、二次創作を含め作品の延長上で楽しむ方法を知っているのだ。
「痛バ」というのを見たことはあるだろうか?“痛い”バッグの略で、自分のバッグを“推し”のキャラクター・タレントの缶バッジやキーホルダー、ストラップなどのグッズでデコレーションするバッグのことである。ライブやイベントに持っていくことで自身の推しをアピールできる。
最近では、街中で目にする機会も増え、毎秋に池袋で行われるアニメ祭典「アニメイトガールズフェスティバル(AGF)
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」でも恒例になってきている。
このような、推しのアピールする「痛バ」はまさに消費ではなく“表現”だろう。推しのグッズを交換などで集めることは「無限回収」とも言われ、エンドレスに同一商品を集め続け、それをオリジナルにデコレーションして持ち歩く。まさに推しへの愛情表現なのだ。
