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コラム

NYから解説!日本企業のグローバルブランディング

アメリカが恋に落ちた大谷翔平選手、新時代を物語る透明なプレゼンス

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【前回コラム】「大坂なおみ選手の取材拒否と、ネガティブ・メディアトレーニングがなくなる日」はこちら

プレゼンス、それは非言語だ。時に言語よりも雄弁にその人を語る。時の人、エンゼルスの大谷翔平選手もそれを体現し、アメリカを魅了した存在だ。

123RF

米国時間7月13日、彼は投打の二刀流でオールスターの勝利投手になった。「Once in a century Player(100年に一度の選手)」とまで言われ、アメリカ人は大絶賛。しかも、アメリカのメディアが、とにかく彼をベタ褒めなのだ。

それがよく分かるESPNの記事リンクを例に載せておこう。アメリカで大谷選手がどのように捉えられているかが読み取れる。さらにその中から、部分的に抜き出し翻訳してみた。ここそこに大谷選手への好意があふれている。

メジャーリーグはかっこよくない、面白くない、楽しくないという考えを、彼のプレーだけで無意味なものにしてしまう。

たとえ第1シードの大谷選手が、ワシントン・ナショナルズのスター選手であるフアン・ソト選手との壮絶なホームランダービー1回戦で敗れたとしても、大谷選手の仲間やケン・グリフィー・ジュニア選手、球場に詰めかけた5万人以上のファン、そして何百万人もの観客など、目撃した人々の反応は、大谷選手が言葉で語るよりもはるかに大きな物語を語っていた。

月曜日の朝、スティーブン・A・スミスは、大谷がメディアとのコミュニケーションに通訳を使っていることで、大谷と野球が引き寄せることのできる観客が限られていると主張しようとした。月曜の夜にその前提が覆されたので、それは良かったと思う。

大谷選手が日本語ではなく英語でメディアに対応する場合にのみ野球を見ることを選択する人は、大谷選手を見る喜びと楽しみに値しない。

大谷が見せたものは、見ている人が恋に落ちずにはいられないほど魅力的なスキルセット、酔わせる雰囲気、スポーツならではの物語を完璧に表現していた。

大谷選手の最も印象的な点が、打っても投げても遜色のない能力だとすれば、彼の態度もそれに劣らないものだ。2018年に初めて行ったメジャーリーグのスプリングトレーニングで苦戦し、スカウトが彼のスイングをバラバラにし、ライターたちが、彼が本当に両方のプレーができるのかと考えていたときも、大谷は信念を失わず、自分が何者であるか、どのように行動するか、なぜ信じるのかを見失わなかった。大谷の伝説は卓越したものであると同時に、忍耐強さの伝説でもあるのだ。

大谷はショーを見せてくれました。ピート・アロンソのようには勝てなかったし、マンシーニのように多くのホームランを打てなかったし、ソトにも勝てなかった。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。なぜなら、アメリカではアジア系の人々にとって恐ろしい時代になっており、多くの人々が非難すべき暴力や虐待を受けている中、日本人の大谷翔平は、アメリカの娯楽を24時間かけてプレーするという前代未聞の試みを勢いよく始めたからだ。英語でも日本語でも言葉は関係ない。大谷選手を表す言葉はただ一つ、「素晴らしい」の一言に尽きる。

いかがだろうか?「英語でも日本語でも言葉は関係ない。大谷選手を表す言葉はただ一つ、「素晴らしい」の一言に尽きる。」と、その存在に対して手放しの賛辞を贈っている。

大谷選手は、オールスター戦前にレッドカーペットならぬ、ロッキーズカラーにチェンジした“パープル・カーペット”に登場。某メディアでは「It’s like α fashion model(ファッションモデルのようだ)」と評された。

ユニフォームを脱いだ彼のプレゼンス・出で立ちは、大谷翔平という人物の個の魅力をしっかり語っていた。野球の才能も当然ながら、何故その存在を多くの人が好ましく思い、受け入れられ、魅了するのかわかる気がする。

そして彼のあり方は、まさに世界的に時代の流れに敏感な一流ブランドがこれからの時代を読み「ヨシ」としている大事なものを持ち合わせているのだ。それは、謙虚で礼儀正しい様と透明性。

当日の彼のプレゼンスを元に解説してみよう。

大谷選手といえば、大きなアメリカ人の中に混ざっても引けを取らない193cmの大柄な体格と、試合中には真剣そのものだが、それ以外の時の屈託のない表情を浮かべる顔が思い浮かぶだろう。そして、この日のパープル・カーペットを歩く姿は、意気込んで威勢が良すぎるわけでも、かといって恥ずかしげでもなく、極々自然体だ。

当日の服装は、彼がアンバサダーをつとめているHugo Bossのネイビーのセットアップ、白のTシャツ、そして白スニーカー。エレガントさと、スポーティ感、そして何より肩の力の抜けた快適さを感じさせるフレッシュでシンプルな装い。これこそ、これからの時代必須のキーワードとなる「スマート・コンフィー」だ。

セットアップのネイビーは、彼のフレッシュさ、清潔感、潔さ、礼儀正しさ、そして若々しく精悍な華を印象付けた。生地も薄手で、かしこまりすぎずスポーティな作り。フォーマルになりがちなスーツスタイルを、適切な具合にカジュアルダウンできている。上着はダブルベンツ、腰回りのガッチリしているスポーツ選手には最適。動きやすく、後ろ姿のシルエットもスッキリだ。

胸ポケットから1cmほど顔を出していたポケットスクエアは、彼がHugo Bossのアンバサダー就任時に公開されたスーツ姿の写真の中で、胸ポケットにあしらわれていた物なのではないかと思われる。全身の中で、唯一のささやかなアクセントとして好感が持てる。

インナーには襟のあるドレスシャツではなく、白のTシャツを合わせ、よりスポーティで自然体な様子を見せたところも良い。上着の前ボタンを全開にし、動きに合わせ上着がたなびく様子も、颯爽としたイメージを印象付けている。また、Tシャツをパンツにインしていないのも効果が高い。上着の前を開けている為、顔の下全面にTシャツの白が広い面積で広がり、光を反射するレフ板効果を成している。それにより表情をさらに明るく清々しく見せ、疲れを見せない顔作りに一役買っている。また、場面・状況を踏まえ、自然さ・しなやかさを出すには、シワひとつない、まっさらでサイズとシルエットの合った素材の良いTシャツを、インせずに着ていたのはベスト・バランスだった。

足元も素足ばき(に見える)で決めすぎない抜け感や自然さを狙いつつ、スニーカーの白で完全なる清潔感を高めていた。

多くのオールスター選手が派手なパーティー衣装で決める中、過剰・華美なことは一切なし。見る人に適度なリラックス感を感じさせられていることで、場をともにする人たちへの配慮と、引き算ができる知性をも感じた。

このようなシンプル且つミニマルな装いだったからこそ、大谷選手の個の魅力が隠されることなく現れていたと言える。

人間とはつい格好つけすぎたり、無意識に自分を大きく見せようとしすぎたりするものだ。そして、こと「人物のブランディング」に関する世間の捉え方が、その人の中に無いものを、あたかもあるように表現したり、ありたいと願う架空の自分を作ることかのようになり、長い年月の間に本来の意味から大きくかけ離れてきてしまっていることに、その仕事に携わる身として、違和感と危機感を感じていた。

そんな時に世界をCovid-19が襲い、ポストパンデミックの世の中に向かう今、ブランドのあり方はよりシンプルにより透明になって行っている。それが証拠に、多くの感度の高い一流ブランドが、自社ブランド名やロゴを必要以上に前面に出さなくなってきている。過剰な大声をあげず、人それぞれ「個のあり方」との融合を尊重する姿勢を示している。

また、数年前に出版された『Think Civility』(英題『Mastering Civility: A Manifesto For The Workplace』)という本はサブタイトルを「礼儀正しさこそ最強の生存戦略である」としており、グローバル社会において、人の存在を一つの生命体として尊重すること、礼を尽くすことこそ、生きる上での最重要事項であると語っている。

アメリカはパンデミックのこの1年以上の間に、社会面でも大きな変化が起こっている。多様性を認めること、それを包括すること、それが大きなキーワードだ。この時代の潮流の中で、アメリカ人を恋に落とした大谷選手は、時代の寵児なのかもしれない。

大谷選手の通訳を入れてのインタビューに苦言を呈したコメンテーターが責められ謝罪をすることになるほど、世界は大きく動いている。「日本語だ英語だと言っているものに彼のプレーの素晴らしさがわかるわけがない」とまで言わせる大谷選手の存在感は、より良き新しい時代を作る一助となってくれることだろう。

(英語を話す・話さないに関しての考えについては、グローバルな社会で生きるにあたり大事なポイントであり、いかにするかも一つの意思表示なので、改めて言及することにしよう。)

表面を取り繕うよりも、自らの価値がより伝わるように努めることが、応援してくれるファンを増やし、信頼を得る正当な姿勢。言い換えれば、より透明で可視性の高いプレゼンスということだ。

パープル・カーペットの大谷選手の装いや振る舞いを通した姿は、自らを飾りすぎたり隠し立てしたりしない透明性と、それが故の個の魅力を見る人々により強烈に印象づけたに違いない。

大谷翔平選手には、これからもますます世界中の人々を恋に落としてほしい。最後に、全く野球ファンでもない筆者でさえ、彼のプレゼンスに魅了された一人であることをここに告白しておこう。