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コラム

燃えない、スベらない。パーパス・ブランディングの極意とは

「ブランドパーパスとは、ソーシャルグッドのことだ」。その誤解を解くために、書きます。

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【前回】「時代のレンズと、ブランドの存在意義。加速する、“Say”から“Do”へ」はこちら

いきなりですが、「ブランドパーパス = ソーシャルグッド」というイメージ、なんとなくありませんか?

ブランドパーパスに基づいたコミュニケーションというと、社会に一石を投じるようなメッセージを発したり、社会課題の解決に向けて何か「いいこと」をする、そんなイメージ。

もしそういうイメージがあるとするなら、それは誤解というか、ブランドパーパスが少し狭く解釈されてしまっている気がしてもったいないなと感じます(……と言いつつ、前回のコラムで紹介したカンヌの事例は、「ブランドパーパス=ソーシャルグッド」のイメージを上塗りするものに偏ってたかも。すいません。)

「自分たちのブランドに注目してもらうためには、何か社会的なこと言わなきゃ。一石投じなきゃ。よし!流行りのブランドパーパスコミュニケーションをやったるぜ!」。

そんな会話がなされたかどうかは知りませんが、社会課題を取り上げたコミュニケーションが時に炎上したり、売上にまったく寄与せずに終わったり、という結果と、ブランドパーパスに対する誤解(あるいは狭い解釈)には、少なからず関係があるんじゃないかと思います。

ブランドパーパスの表象がたまたま何か社会的に良いことをしたり、抑圧や制限を受けている人の声を代弁したりすることはあるかもしれませんが、それはあくまでも一部の形。

「自分たちのブランドの役割はこれだ!」。そんなパーパスが見つかることは、普段のマーケティング活動やコミュニケーション、ひいては企業全体の活動を考える上でも役に立つ。パーパスとはそのために存在するものなんじゃないかと思います。

次ページ 「「本業」を通して、誰かにとって意味のある存在になる。」へ続く