秋山晶さんに聞くコピーの裏側 第1回:コピーにおけるセンチメンタルについて、「ただ一度のものが、僕は好きだ。」、「ロンサム・カーボーイ」、「その先の日本へ。」他

カメラを取り巻く「人生のすべて」を描きたい

山根:次は、キヤノン販売の「ただ一度のものが、僕は好きだ。」です。こちらもいろんなインタビューに答えていらっしゃると思いますが、このコピーを書かれた背景を教えてください。

ただ一度のものが、僕は好きだ。

陽が昇り、陽が沈むように、青春は訪れ、通りすぎて行く。
きょうという日は、ただ一日。 いまという時は、ただ一瞬。
ただ一度のものに、夏の甲子園大会がある。
勝者は1チームだけ。「敗れ去るものたちのドラマ」と言った人がいる。
出場する彼らにも、レンズで追うあなたにも、セカンドチャンスは、
まず、無いと言っていい。だから、胸をしめつけるのだ。
(キヤノン販売/1978年)

秋山:これは、甲子園(全国高等学校野球選手権大会)の協賛をしているキヤノン販売のために書いたコピーでした。野球を前提としながらも、野球を狭いものにするのではなく「カメラを取り巻く人生のすべて」にしたい、と思ったんですね。だから野球のアクションや報道写真ではなく、試合前にグラウンドをつくっているビジュアルにしたんです。

原型としてあるのは、市川崑監督のドキュメンタリー映画『東京オリンピック』(1965年公開)で、ラストのタイトルが閉幕後、グラウンドを掃除しているシーンが流れていく、というものでした。それが頭にあったので、これは逆に始まるシーンにこのコピーを使おうと考えたわけです。そこに込めた僕の思いは、すべてボディコピーに書いてあります。

山根:一度聞いてみたいと思っていたのですが、秋山さんはご著書『秋山晶の仕事と周辺 D.J.SHOW』(2013年/六耀社刊)の中で「このコピーは『ただ一度の“ものが”』と書いたけれど、“ことが”の方が良かったんじゃないか、と葛藤した。」と書かれていましたね。

秋山:そうですね。「もの」だと何かモタっとしているというか……。シャープではない感じがしていました。それで、コピーライターの小野田隆雄さんに聞きました。

山根:それは、コピーが世に出る前ですか?

秋山:はっきりと覚えていないのですが、そうだと思います。最初に「小野田さん、このコピーの“ものが”っていうのは間違いじゃないか?」と聞いたら、黙っていましたね。しばらく考えた後で、「やっぱり、“ものが”が一番いいんじゃないですか?」と。消極的賛成をされたわけです。

山根:ご著書のコメントを読んで、僕も色々考えてみた挙げ句、自分も結局「もの」のほうが好きだなと思ったんです。秋山さんの言われるモタっとした語感が、高校球児の不器用さのようなものとか存在全体を含んでいる気がして。

秋山:やっぱりね。それは、コアから出てきた賛成意見ですね。これに曲をつけたなら、歌詞は「もの」だろうなと思って。そういう考え方がコピーにはあると思うんです。

山根:ちなみに秋山さんはロケに行かれた場所でコピーを書くことが多いですよね。

秋山:そうですね。ロケ地でも撮影中ではなく、その前後でコピーを書くことが多いですね。

山根:ロケに行くまでに、自分の中にはあたりとして書いたメッセージやコピー、あるいは概念のようなものがすでにあるんでしょうか。

秋山:概念としてもあるし、言葉としてもあります。でも、それはそのまま使えない。そのまま使うと、ロケに行った意味がないですから。ロケは写真を撮るためだけに行っているのではなく、空間を把握するために行っているんです。そこで空間と空間を構成する要素を把握しています。

山根:秋山さんのつくる広告のビジュアルの多くは映画的というか、グラフィックであっても映像の1シーンのようにも見えます。どういうところからインスピレーションが沸いてくるのでしょうか。

秋山:自然にそうなっていますね。ただよく風景などを記憶しています。撮影が終わって、帰りの車から見える景色、例えば高圧線の鉄塔が立っていたり、風力発電の風車が回っていたりすると、それをアシスタントに写真に撮ってもらい、どこなのかポイントをおいてほしいとお願いします。次に、そこに撮影に行くこともあります。

山根:僕の中では、秋山さんは「現場の人」というイメージがあります。以前にご著書で、その理由として、出自が出版だからかもしれない、と書いていましたね。

秋山:それは自分のルーツとして、とても大きいことですね。最初に勤めたのが講談社で、僕は宣伝部に配属になり、『若い女性』という雑誌を担当しました。その雑誌の編集長だったのが久保田裕さんで、『若い女性』を立ち上げた人です。のちに僕の上司となりました。

当時の宣伝は、雑誌の表紙を中心に動くんです。例えば表紙に佐久間良子を起用していたら、ポスターにも佐久間良子を起用する、というように。でも、僕は表紙には関係なく、モデルを使った独自のポスターをつくっていたんです。そうしたら、久保田さんが宣伝部長を呼んで、なんで秋山君はこういうことをするのか、と。

山根:クレームを(笑)。

秋山:宣伝部長は「久保田さんにこんなこと言われたよ」と大笑いしてましたけど。次の人事異動で編集に異動になりました。久保田さんはすごく頭のいい人だったので、そういう人をおとなしくさせるには、自分のところで使わないといけないと思ったのでしょう。その後は彼の指導を受けました。

山根:その指導というのは、ライティングやコピーに通じるものですか。

秋山:もっと大枠の指導です。例えば「グラビアで太宰治の『斜陽』をテーマに8ページ組みなさい。明日の昼までに企画書を持ってきて」と言われました。撮影は細江英公さんで、ロケはせず、全部室内だけで撮る、女優は江並杏子1人でいいだろうと具体的に伝えてくる。さらに久保田さんは「ここにはアップの写真を」「こちらにはロングの写真を」「コピーはこの1ページに入れて」と、8ページを割付する。さらに、そのコピーが大変なんです。「太宰よりいいことを書いて」とおっしゃるので。この方には本当に影響を受けましたね。久保田さんとは、僕がライトに入社してからもお付き合いが続きました。

山根:編集者の方はある意味、広告のCD的存在ですね。企画や誌面構成、キャスティングも考える。コピーライティングだけじゃない絵やビジュアルを考えるということが、そこで鍛えられたわけですね。

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