メディア環境の変化で、広告はどう変わってきたのか?―「愛と苦情の広告史」見学記

消費者からの苦情が、問題を解決し、自主規制をつくる土壌になった

平松:私は今、「自主規制」をテーマに研究しているので、興味深く展示を拝見したのですが、明治・大正時代の自主規制がない頃の広告と、JARO発足以降の広告とを比較すると、やはり露骨な表現とかは、トーンダウンしているように見えますね。法規制だけではなく、自主規制とのダブルでないと物事がうまく回っていかないだなと感じました。

野崎:90年代に多重債務やヤミ金などの社会問題化した際には、消費者金融のCMが安易な借り入れを助長するなどの批判が高まり、放送業界は放送時間帯の自粛など自主規制で対応しました。法改正や業界団体設立など環境が整備されることで貸金業の健全化が進んでいきました。

また、90年代後半頃、携帯電話、インターネット回線など通信サービスが新しく出てきた時にも、実際は回線が脆弱でつながりにくく速度も出ないのに「どこでも繋がる」「回線速度が速い」といった広告が多数出回りました。これに対しても、通信業界が表示を整備するためのガイドラインを策定するなどして適正化を進めていきました。

このように、新しい技術やサービスがうまれる時には、広告に関するトラブルも起きがちなのですが、自主規制や法規制が整備される中で適正化していく、という流れが50年の歴史の中にも見えると思います。
消費者の皆さんが苦情の声を上げていただいたおかげで適正化が進んできた。まさに「愛と苦情の広告史」ですね。

川名:苦情には段階があるんです。まずは周りの人に言う、それから当該企業に対して言い、最後にJAROのような公的な団体に言うというように、段階が上がっていくんです。

広告を見て何か思っても、わざわざJAROに言おうと思っていただける方は少ないと思います。だからこそ、「JAROに届いている苦情は質が高い、聞くべき指摘がある」とよく言われます。確かに、「この苦情には理がある」と思わせるような内容が集まってきています。第三者であるJAROに言えば、自分が抱えている問題意識をちゃんと伝えてくれるのではないかという期待があるのだと思います。

前のページ 次のページ
1 2 3
この記事の感想を
教えて下さい。
この記事の感想を教えて下さい。

この記事を読んだ方におススメの記事

    タイアップ