「キリンといえばサッカー」はどう作られたか 48年支援をブランド資産に変えた設計思想

1978年から日本サッカー協会(JFA)との関係を築いてきたキリングループ。サッカー日本代表戦のたびに社名を目にするため、その結び付きは多くの生活者にとって「当たり前」のものになっている。現在はJFAの最上位区分である「オフィシャルトップパートナー」として、SAMURAI BLUEやなでしこジャパンなど各カテゴリーの日本代表に加え、各種大会や育成、指導者・審判養成、グラスルーツ活動まで支援対象を広げている。社会貢献から始まり、スポーツマーケティング、裾野拡大を経て、現在はCSVへ。長期スポンサーシップを、企業ブランド価値と社会的価値の両立へどう進化させてきたのか。キリンホールディングス マーケティング戦略部 主査の泉伸也氏に聞いた。

写真 2025年のキリンチャレンジカップ 集合写真

写真 2025年のキリンチャレンジカップ 贈呈風景

2025年11月18日に実施されたキリンチャレンジカップ2025の集合写真と贈呈風景

「キリンといえばサッカー」は、認知獲得の段階を越えていた

泉氏が現在担うのは、「サッカーを通じた企業ブランディング」だ。着任した2017年から一貫して、キリンという企業ブランドの価値向上に向き合ってきたという。もっとも、同氏が担当に就いた時点で、「キリンといえばサッカー日本代表」という認知はすでにかなり高かった。調査では、スポーツ関心層に限らず約4割がその関係性を認知していたといい、単に認知を上げるだけでは不十分だった。求められたのは、サッカー日本代表の価値向上やサッカーファンの拡大に寄与しながら、企業好意や事業価値にもつなげることだった。

そのため、泉氏が着任後にまず見直したのは、誰に向けてコミュニケーションするのかという視点だった。それ以前はサッカーのコアファンが主な対象だったが、企業ブランド価値を広げるにはそれだけでは上限がある。以降はライトファンへ、ワールドカップイヤーにはにわかファンも含めた広い層へ対象を拡張していった。現在は「コア」「ライト」といった大まかな区分だけでなく、代表ファン、Jリーグファン、海外サッカーファンなど、関与度や興味対象を掛け合わせた9種類のセグメントで生活者を捉えているという。

写真 「日本中の心をひとつに 勝利のハチマキ」キャンペーン

「日本中の心をひとつに 勝利のハチマキ」キャンペーン

社会貢献から始まり、スポーツマーケティングへ進化

では、この長い関係はそもそも何から始まったのか。泉氏によれば、出発点はビジネスではなく社会貢献だった。1978年当時の日本サッカー界は、現在のような人気を獲得していたわけではない。スタジアムはまだ閑散としており、日本代表戦も今ほど注目を集める存在ではなかった。そうした時代に、キリンは「日本サッカー界の普及や発展に役立ちたい」という思いから支援を始めたという。いわば企業メセナ活動のような発想である。

その後、Jリーグ開幕やワールドカップ出場によってサッカー人気が高まるにつれ、キリンの取り組みも「スポーツマーケティング」の色合いを強めていく。代表ユニフォームへのロゴ掲出、選手をあしらった一番搾り、2002年に始まった「勝ちT」キャンペーンなど、応援の熱量を商品や販促へ接続する施策が広がっていった。社会貢献の軸を残しつつ、スポンサーシップをブランド体験に変えていく局面だった。

写真 ポスター 2002年の日本代表応援「勝ちT」プレゼントキャンペーン

2002年に開催された日本代表応援「勝ちT」プレゼントキャンペーンのポスター

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