今回の仕事人
今回たずねた
仕事人は…アルバルク東京:渡邉拓馬さん
2016年9月22日、日本に3つ目のプロリーグが誕生しました。
バスケットボールのプロリーグ「Bリーグ」。日本のバスケ界は、いくつかのリーグが乱立し、長らく混迷をきわめていましたが、Bリーグの誕生とともに、新たな幕開けを迎えようとしています。
Bリーグ開幕の前年、一人のバスケットボール選手がユニフォームを脱ぎました。渡邉拓馬選手。僕らの世代でバスケットボールをしていた人なら、その名を知らぬ者はいない名シューター。彼はBリーグのユニフォームを着ることなく引退を決意し、所属していたアルバルク東京のアシスタントGMとして、チームを支えることを決意しました。正直とても驚きましたし、ずっとファンだった僕にとっては寂しくもありました。
15年間に渡るプロバスケットボール選手としてのキャリアに終止符を打ち、新たな道へと進む決心をした拓馬さん。今回は、その心境と、これからの展望についてお話を伺う、非進化論的「進化論」です。
バスケットボールのプロリーグ「Bリーグ」。日本のバスケ界は、いくつかのリーグが乱立し、長らく混迷をきわめていましたが、Bリーグの誕生とともに、新たな幕開けを迎えようとしています。
Bリーグ開幕の前年、一人のバスケットボール選手がユニフォームを脱ぎました。渡邉拓馬選手。僕らの世代でバスケットボールをしていた人なら、その名を知らぬ者はいない名シューター。彼はBリーグのユニフォームを着ることなく引退を決意し、所属していたアルバルク東京のアシスタントGMとして、チームを支えることを決意しました。正直とても驚きましたし、ずっとファンだった僕にとっては寂しくもありました。
15年間に渡るプロバスケットボール選手としてのキャリアに終止符を打ち、新たな道へと進む決心をした拓馬さん。今回は、その心境と、これからの展望についてお話を伺う、非進化論的「進化論」です。
自分を犠牲にすることで、自分が生きる
潤平:
拓馬さんが、バスケを仕事にしようと思ったのはいつなんですか?
拓馬:
小学生の時から考えてはいたんですけど、本気で思ったのは、大学2~3年の時ですね。OBの活躍も見てきましたし、周りにも半分プロとして活躍している選手が何人か出てきた時期でした。自分が好きで始めたことだったので、辛いことでも逃げずにやろうっていう心構えを持って続けていました。
潤平:
職業になっても、気持ちは変わらなかったですか?
拓馬:
苦しい時期もありましたけど、辞めたいと思ったことは一度もないですね。練習が休みでも、頭の中ではずっとバスケのことを考えていました。
潤平:
練習は好きでしたか?
拓馬:
好きではないですね(笑)。特にシュート練習は数多くやってきましたけど、一番苦しいですよね。どこまでやっても、納得することがないんですよ。プロになって、3~4年目ぐらいの時は、本当にシュートで悩んで、シューティングが苦痛でしょうがなかった時期もありました。
潤平:
それは、ボールタッチが納得いかないということ?
拓馬:
タッチも納得いかないし、シュートは届かないし、ブレるし、どれだけ練習しても修正できないし…。何度、そこの壁にボールをぶつけたかわかんないですね。
