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コラム

渡辺潤平の「非進化論」〜自分にできることだけをしっかりやる、という仕事論。

#非進化論6:自分を犠牲にすることで、最後は自分が生きる(アルバルク東京・渡邉拓馬さん)

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引退。その先への想い

潤平:15年間の現役生活で、一番怖かったことってなんですか?

拓馬:情熱を失うことが怖かったです。自分に対する評価が低くて、そんな能力があるほうではないと思いながらも、好きだからバスケをやってたんです。だから、情熱がなくなったらその時に辞めようと思っていました。

試合に出たいとか、勝ちたいとか、試合に出て観客を驚かせるようなプレイをしたいとか、そういう欲がなくなったんで、もうダメだなと思ったのが、当時所属していたNBDL(ナショナル・バスケットボール・デベロップメント・リーグ。日本バスケットボール協会が中心となって2013年~2015年に開かれた男子バスケットボールリーグ)のアースフレンズ東京Zから、トヨタ自動車アルバルク(アルバルク東京の前身)へ復帰した年だったんです。ちょうど身体も動かなくなってきて、自分が思うようなプレーもできなくなったタイミングだったので、本当にやり切ったという思いがあって、ここで引退することに決めたんです。

潤平:引退されて、今はどんなお仕事をされていますか?

拓馬:今は、Bリーグの「トヨタアルバルク東京」という新会社でアシスタントゼネラルマネージャーという役職をしています。簡単に言えば、選手とフロントの間に立って、お互いの話や思いを共有できるように伝えるポジションですね。あとは子ども向けのスクールや、バスケットボールアカデミーをつくりたいので、その手助けをしようと考え、プロジェクトを進めています。

潤平:かなり重要な役まわりですよね。

拓馬:選手時代に、選手とフロントとのコミュニケーションをどうスムーズに取ることができるかというのを、よく考えていたんです。

潤平:僕らの仕事って、基本的に引退がないんです。脳みそと手が動く限りは書けるし、ちょっとペースを落とすことで引退って言葉を使う人もいるんだけど、人生のそのものが一変するような「引退」って、アスリート特有な宿命だったりするじゃないですか。

ずーっと続けてきたものに終止符を打って、次のステージでも同じバスケという土俵でチャレンジしようとしている拓馬さんに、すごく興味があったんです。でも、ちゃんとご自分の中にシナリオがあって、それを地道に一歩一歩遂行してるんだなって感じました。

拓馬:ルーキーの時に今を想像できたかって言ったら違いますけど、少なからずその瞬間、瞬間でいろいろ感じて、自分なりに考えて今があるとは思いますね。

潤平:引退って聞いた時、Bリーグでプレーしないんだって驚いたんですけど、そこに葛藤はありましたか?

拓馬:いや、迷いはなかったですね。トヨタに戻ろうと思った時点で引退を決めていたので。

潤平:キャリアの最後の場所としてトヨタを選んだんですか?

拓馬:はい。長く所属していたチームですし、最後はここで引退したいっていう理想というか欲があって、それで戻りたいって話していたんです。ヘッドコーチが替わって、ベテラン選手を一人補強したいという話を聞いて、もし戻れるならアルバルクへ戻って、一年だけプレーして引退しようと。

潤平:僕、プロ野球の千葉ロッテマリーンズさんと長くお仕事していて、2005年と2010年に日本一になったんですよね。で、その当時の主力選手がだんだん引退をする時期に差し掛かってきた。それでもその選手たちは、おそらく葛藤に苦しみながらも、二軍でぶんぶんバットを振って土まみれで必死にプレーしていたりもする。どっちも正しいんだと思うんですよね。拓馬さんみたいに次のステージに自然と向かう生き方もありますし、ボロボロになっても、必死でしがみついていく生き方もある。

拓馬:正直、自分に情熱がなくてもプレーはできるじゃないですか。でも、情熱を注いでやってる選手たちを目の前にして、情熱のない奴が続けてたら失礼かなって思ったんですよ。そこで、もう引退しようって決意しましたね。

潤平:昨シーズンは、出場機会そのものは決して多くなかったですし、ベンチに入らないことも多かったですよね。その中でプレーヤーとしてモチベーションを保ち続けることって難しいんだろうなって、スタンドで見ながら思っていたんですけど。

拓馬:辞めることは決めていたので、モチベーションを保つのはそこまで大変じゃなかったです。逆に、チームを離れたところから見る楽しさみたいなものを知ってしまった後でしたし、もし必要とされる試合があったら、その役割をしっかり果たそうという思いでいましたね。チームのために何かできればいいという気持ちでした。

次ページ 「自らの経験を、次の世代へつないでいく」へ続く