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コラム

国民総ダンサー時代前夜に考える、ダンスとクリエイティブの幸福な関係

「バブリーダンス」は奇跡ではない。バブルで終わらないakane式ダンス論。

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振付師のakaneさん

振付師のakaneさんにインタビュー

今までは自分の想いをコラムにしてきましたが、別の方の意見もご紹介していこうと思い、大阪に飛びました。

お会いしたのは昨年バブリーダンスでブレイクした振付師のakaneさん。現在広告の振付依頼なども殺到しているそうです。

登美丘高校ダンス部の「バブリーダンスPV」

ご存知でない方のために念のため説明すると、登美丘高校ダンス部のバブリーダンスは、現役の女子高生ダンス部員が荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」をキレキレに踊るダンスで大ヒットしました。昨年夏に公開され、年末には紅白歌合戦にも出演。その立役者が、ダンス部コーチで振付師のakaneさんです。

実は同じ舞台に立ったこともあるのですが、ちゃんとお話しするのは初めてということで、色々聞いてきました!

—登美丘高校のダンス部コーチを経て、振付師の仕事をされているというのは皆様ご存知だと思うのですが、それ以前の経歴を教えて下さい。

akane:三歳から家の近くのジャズダンスのスタジオに通い始めました。母親が保育園で踊っている私のことを見て、ダンスをやらせたいと思ったようです。いわゆるバトルやコンテストに挑戦するキッズダンスの世界ではなく、そのスタジオでは物語を表現するような公演を毎年やっていたので、ステージに立つ人間という感じでした。

—現在25歳のakaneさんはすでにダンスキャリア20年以上なんですね。中学高校はどんなダンス生活だったんですか?

作品を作るのは当時から好きで、中学生の時に近くの小学校を借りて自主公演をやったりしていました。

高校では学校に同好会があったのですが、自分はやるからにはもっとしっかりやりたくて、自分の学年から部活動にしていきました。部活をやりながらもスタジオには通っていて、インストラクターとしてレッスンもさせて頂いていました。

—その頃から作品作りや人に教えることを自然とやり始めていたんですね。東京へはいついらっしゃったんですか?

akane:大学からです。日本女子体育大学の舞踊専攻で、二学年下に土屋太鳳さんがいらっしゃって。当時はバレエやモダンが大学で出来るところを探していて、見つけたんです。高校の部活も、ずっと私が作品作りや指導をしていたので、自分が卒業してしまって後輩たちが「どうすればいいんだろう」という感じだったので、コーチとして関わることになりました。

当初は夏休みに帰省したときにだけ教えに行っていて、部活の作品作りもするようになったのは大学二年生ぐらいの時からですね。仕事でもありながら、自分にとっては勉強という感じで続けていました。

次ページ 「「部活ダンス」を牽引する登美丘高校」へ続く