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映画「第4の革命―エネルギー・デモクラシー」カール・フェヒナー監督インタビュー

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東日本大震災後、福島第一原発の事故が発生して数カ月後、世界に先駆けて脱原発を決めたドイツ。そのエネルギー政策に影響を与えたといわれるドキュメンタリー映画「第4の革命―エネルギー・デモクラシー」のカール・フェヒナー監督が7月末、来日した。第4の革命を見て日本人は何を考えるべきか。フェヒナー監督にインタビューした。

カール・フェヒナー(Carl-AFechner)
ジャーナリスト、映画監督、プロデューサー。1989年よりフェヒナーメディア社CEO。16歳の頃から映像制作を学ぶ。22歳の頃にはサハラ砂漠を車で縦断する旅に出る。大学ではメディア学を学ぶ。1991年より持続可能性(サステナビリティ)をテーマにTV 番組やドキュメンタリー映画を制作。

――ドイツで2010年に公開された第4の革命は、どんな経緯で撮られたのでしょうか。
きっかけは、(ドイツを再生可能エネルギー先進国に導いた)故ヘルマン・シェーア議員(当時)からの1本の電話でした。彼は3時間にもわたって、100%再生可能エネルギーへのシフトを訴える映画を作りたいと熱弁をふるいました。

この映画の主要登場人物の1人、ドイツ連邦議会議員で、いまは故人となったヘルマン・シェーア氏は「今のエネルギーシステムはもうすぐ終わる」と予言した。

それを聞きながら、「やろう」と心の中で決めました。私は17年間、サステナビリティをテーマにした映画や番組を作ってきました。長編を制作した経験はありませんでしたが、意義は大きいし、いろんな国で上映できると思いました。そして、この映画は結果的に、私の人生を大きく変えることになりました。

――映画の制作資金はどうやって集めたのですか。

この映画を制作するには140万ユーロ(約1億3000万円)が必要でした。不特定多数の人からネットを通じて出資を募るクラウドファンディングで資金を調達しました。2006年当時はまだ珍しい方法でしたが、8000人が資金やアイデアを提供してくれました。そして140万ユーロを1年半で集めることができました。サポーターたちは、エネルギー民主化運動の一員として、映画のエンドロールにも名を連ねています。みんなそのことに喜びと誇りを感じてくれたようです。

――第4の革命は、ドイツのエネルギー政策に大きな影響を与えたと聞きます。具体的にはどんな経緯をたどったのでしょうか。

映画が実際に影響を与えかどうかはわかりません。ただ、私が住むドイツ南西部のバーデンヴュルテンベルク州では、61年にわたって保守系政党の出身者が州首相を務めてきましたが、映画を公開した後の選挙でそのポストが緑の党に変わりました。投票の翌日、「映画のおかげです。どうもありがとう」という電話をたくさんいただきました。第4の革命は、ドイツ国内では400万人がテレビで視聴しました。また、ビデオオンデマンドやDVDで見た人も数多くいます。

――連邦政府のレベルではどうだったのでしょうか。

ドイツでは30年にもわたって反原発のデモが続いていました。有識者も政府に働きかけ続けてきました。この映画はそうした歴史の一部です。原発に頼らない社会をつくるための運動の一端を私も担うことができたことを誇りに思います。最近になって、ドイツ政府は「革命」という言葉をひんぱんに使うようになりました。太陽光パネルの会社の広告でも「革命」の文字をよく見かけます。

――この映画を見る日本人に、何を感じてもらいたいですか。

映画を見て、心で感じ、頭で考え、足を動かし、行動してほしいと思います。人々が行動すれば30年以内に100%再生可能エネルギーへのシフトは可能です。そのことを知ってもらいたいと思います。

「原発も化石燃料をたく発電もゼロにするのは無理だ」という人がいますが、技術的には十分可能なことです。これを実現するためには、一人ひとりが「原発と化石燃料への依存をやめる」と自分の中で決めることが大事です。そしてデモに参加したり、家族や同僚に伝えたり、選挙があれば投票をするといった行動を続けていくことで必ず実現できます。

――ドイツは30年かけてエネルギーについて議論し、脱原発を決めました。日本では原発の本格的な議論が本格的に始まってからまだ1年半ほどしか経っていません。こんなに短いあいだに脱原発は現実的だと思いますか。

プレベン・メゴー氏。デンマークの自然エネルギー活用の中心的役割を果たすコミュニティ、フォルケセンターを1983 年に設立。彼が住む世界最大のエネルギー自治区では、住人5万人すべての電気を風力でまかなっている。

もちろん可能です。日本は、日射量も豊富で、風もあり、海洋資源にも恵まれています。飯田哲也氏をはじめ再生可能エネルギーを推進するビジョナリーな人たちもいます。3・11の前は目立たなかった活動家らも知名度が上がりました。私は社会の5%の人々が変われば、すべてが変わっていくと考えています。

世論調査では日本人の7割が脱原発を支持していると聞いています。次の総選挙で事態が変わるかもしれません。ドイツがエネルギーシフトに舵を切ったチェルノブイリの事故(1986年)の頃は再生可能エネルギーの選択肢はいまほどたくさんありませんでした。いまは、当時はなかった様々な選択肢があり、日本でもエネルギーシフトは可能だと思います。

――日本は政治が不安定です。それでもエネルギー政策を転換できると思いますか。この30年間のエネルギーシフトを振り返って、ドイツの政治はどう動いてきたのでしょうか。

ドイツでもエネルギー政策は紆余曲折がありました。1998年の総選挙で、緑の党と社会民主党の連立政権が誕生し、再生可能エネルギー法などを制定し、2004年には脱原発を打ち出しました。ところが、2005年の総選挙でアンゲラ・メルケル首相が就任し、脱原発を撤回しました。フクシマがなければいまも原発推進へ向かっていたでしょう。フクシマを契機にドイツ国内で反原発の声が高まり、2022年までに国内17基の原発を全て停止することになりました。このまま原発を推進することは次の選挙の敗北を意味するため、メルケル政権は決断したのです。ドイツ社会は一貫して脱原発だったということが重要です。

――日本は再生可能エネルギーの比率は10%以下。固定価格買い取り制度(FIT)もこの7月に始まったばかりです。ドイツの再生可能エネルギーの普及状況はどうですか。

再生可能エネルギーの比率は、1999年にはわずか1.8%でしたが、いまや21%にのぼります。140万世帯の家の屋根に太陽光パネルが付いています。再生可能エネルギーの業界で働く人の数は30万人。このほとんどが若い中小企業の従業員です。この映画に登場するマティアス・ヴィレンバッハー氏の会社の従業員は、6年前は180人でしたが、いまでは1800人に増えています。

――再生可能エネルギーへのシフトで、ドイツの産業は何がどう変わったのでしょうか。
 
ドイツ国内の原子炉をすべて作ってきたシーメンスは原発事業から撤退しました。また、フォルクスワーゲンがドイツ北部で新設する工場は、北海の洋上風力で100%電力をまかなっています。しかし、まだドイツの電力の26%を原発が占めています。これを再生可能エネルギーに置き換えていかなければならなりません。いまでも、FITの買取り価格を引き下げようと試みる抵抗勢力は残っています。革命は(電力供給を)中央集権から解放すること。ドイツでも革命はまだ終わったわけではありません。

映画「第4の革命―エネルギー・デモクラシー」(配給・宣伝:ユナイテッドピープル)

再生可能エネルギーへの転換を目指す力強いメッセージがこめられた作品。気候変動の影響などで人々を怖がらせるのではなく、世界中で活動する、再生可能エネルギーの普及に取組む人々を紹介することによって、どうすれば石油、天然ガス、石炭、そして原子力から、風力、水力、太陽光へのシフトがうまくいくかが描かれている。映画が訴えるのは、エネルギー源を替えるだけでなく、根本的な構造変化を起こすことだ。大企業の巨大な発電所で電気を作り遠くから運ぶのはもうやめて、各家庭や村や地域という小さな単位で分散的に作るようにするということだ。

このような分散型のエネルギーシステムでは、いずれ枯渇する有限な資源を取引するのではなく、人々の知恵とテクノロジーをやり取りする。大事なのは、戦争やお金の力で資源を取り合うのでなく、豊富にあるものを活かす技術である。エネルギーを自給する時代はもう始まっている。このシステムによって、エネルギー供給はもっと自立した民主的なものへと変わり、同時に経済はもっと公正なものになるだろう。 「産業革命以来、最大の経済構造変化が、我々の目の前にある」(ヘルマン・シェーア氏) これは農業、産業、IT革命に続く第4の革命だ。

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