強風・大雪の年越し、そして大震災
やがて12月。初めての年越しです。この年は異常に厳しい冬で、天候が荒れ、めまぐるしく強風や吹雪が舞っていました。12月30日、会社の納会が終わり、望月社長は実家の花巻市に戻りました。翌日、非番の社員から連絡。「強風、大雪で列車がストップ。この先どんな状況になるか、判断が必要です」。望月社長は、翌日31日10時に即刻宮古へ戻ります。しかし106号線は大雪で通れず、遠野市から釜石市を経由、沿岸を北上することにしました。ところが沿岸では珍しい大雪、強風。幹線道路は大渋滞となりました。宮古へ着いたのは18時。普通なら2時間半のところ、8時間のドライブで疲労困憊でした。幸い列車は運行を中止し、乗客にも怪我はなかったため、そのまま様子を見ることにしました。歩いて数分の距離にある宮古のアパートに戻ったのは、紅白歌合戦真っ最中でした。
開けて元旦。宮古はじめ沿岸各地は大荒れです。高潮に加え、珍しい冬の雷です。宮古市では誰も経験のない雷があちこちで落ち、大爆音が街中に鳴り響きました。住民も「こんなすごい冬の雷、初めて経験した」と言っていました。同時に沿岸の大半が停電しました。
東北電力は急遽、災害復旧チームを立ち上げ、各地から社員を呼び寄せ100人体制で臨みました。正月3が日は毎日徹夜でした。田舎とはいえ、電気が無いとまるで生活できません。まして厳しい零下の冬。こたつもストーブも使えず、「電気がこんなに大事だなんて」とあらためて電気やエネルギーのありがたさを知ったのです。
川井村という山に住んでいた老人は、「おら、なんも困んねがった。まきストーブあったし」と意に介さない言葉が印象的でした。暗くなったら眠り、夜が明けたら起きる。ストーブは蓄えの薪ストーブ、丈夫で長持ち、それでいつも生活しているから、有事の時にはめっぽう強い。そんな体験を正月早々しました。
三鉄は、社員総出で線路の雪かきなど復旧作業に追われました。
ようやく天気が落ち着いたのは7日目でした。
正月の朝礼で望月社長は「大変な正月でした。いつなんどき、どんな災害が起こるかわかりません。鉄道事業者としてしっかり準備、対応を日々やりましょう。それから電話がつながらなくなった場合を考え、衛星緊急電話を各課に配置しましょう」と呼びかけ、早速緊急時携帯電話の導入となりました。これが東日本大震災で素晴らしい活躍をする道具となったのです。
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